三章

第7話

 テレビ画面の中で、怪獣が何かを激しく追っている。

 怪獣はおぞましい程に想像力の欠如した愚劣な姿をしている。ベースは灰色の肌をした二足歩行するトカゲで、尾は長く背中にはトリケラトプスのような棘、どこかで聞いたことのあるような咆哮を発する。これと良く似た怪獣を思い浮かべるのは日本人なら誰にとっても容易であり、もしこれが特撮映画なら二番煎じの謗りは免れないことだろう。

 しかしそれは現実の映像であり実際に青空が体験したことだった。映像の中で怪獣が追っているのは長い髪をした少女であり、逃げ惑う人々の狂騒の上でビルとビルを乗り継いで高速で走っているそれは、他でもない青空自身の姿だった。

 ある瞬間に、逃げ惑う青空は脚を止め、怪獣の方に身体を向けた。そしてどこからともなく取り出した拳銃を構えると、乾いた音と共に発砲する。

 弾丸は目に見えなかった。しかし命中したのは確かであるようで、怪獣はその場で悲鳴を上げて崩れ落ち、地面に横たわり倒れ伏す。それを見て再び踵を返そうとした青空の両隣に、赤と金の髪をした二人の少女が姿を現す……。

 「今ご覧いただいているのが、地球を守る選ばれた『戦士』の姿です。彼女らは怪獣を倒す力を持ち、我々をその脅威から救うのです」

 VTRに合わせてキャスターが解説を加える。ダメージを引き摺りながら起き上がった怪獣を、赤錆と黄地の二人がそれぞれの武器を用いて攻撃し、その全身を粉微塵にして撃破した。

 「良く撮れてるじゃない」満足そうな表情で赤錆が笑った。

 「悪い気はしないな」黄地は胡坐をかいて腕を組み、頬を持ち上げている。

 青空は眩暈がしていた。こんな映像を公開する許可を出したつもりはなかった。自分がこんなバカバカしい出来事の主要人物であることが、全国的に有名になったことを思うと気が遠くなるようだった。肖像権は一体どこに行ったのかと思うと、苛立ちと共に腹の底がシクシク痛むような心地がした。

 「テレビ局に勝手に送られて来るそうなのよ」緑川が言った。「誰が撮影しているのかも分からない。とは言えあんな混沌とした戦場でこれほど完璧な映像を撮るのは人間には無理だから、怪獣を生み出している側の何者かが撮影して送りつけているっていうのが定説よ」

 「怪獣を生み出してる人がいるんですか?」と青空。

 「あの怪獣達が自然発生した生物でないことは、見た目や構造からして明らかよ。『人』かどうかは怪しいけれど、何かしら超常的な手段で怪獣を生み出している者はいるはずだわ」

 その通りだった。生物学的に言ってあんな巨大な生物が生まれるのは合理的じゃない。というか地球の物理法則が正しく作用しているなら、あんな巨体がまともに成り立つこと自体あり得ない。何らかの超常的な作為の上にしか存在出来ない概念なのだ。

 「それってもしかして」と黄地。「あの赤ちゃん抱いた女のことか?」

 「『赤ちゃん』なんて言い方するキャラなの、あなた?」と赤錆。

 「黙れ。ともかく、他に考えられないだろう」

 黄地もまたあの赤子を抱いた少女と会ったことがあるらしい。彼女らは前触れもなく、武器を持った戦士たる少女達の前に姿を現しては、次の怪獣の出現位置と、妙な予言めいた言葉を残して去って行く。目的が何なのか、どちらの味方なのか、その正体は完全に不明だ。

 「どっちかっていうと味方じゃないのかな? 怪獣が出るところ教えてくれるし」と赤錆。

 「あたしはラスボス説を推すね。味方ならもっと分かりやすくハッキリ協力してくれるはずだ。あいつが怪獣を生み出してけしかけてるんだ」と黄地。

 「何の為に?」

 「知るか。なあ、今度あいつが現れたら槍で突いて見ても良いか?」

 「絶対にやめて欲しいわね」緑川はやや口調を強めた。「敵か味方かも目的も役割も分からない以上、軽率なことをしたくない。あの子に攻撃を試みるのは、もう少し調査が進んでからよ」

 あの赤ん坊を抱いた少女が消え去った後、青空は緑川達と共に飛行機に乗って旅立った。家へ帰る為ではなく、新たな戦いに赴く為だ。

 そうしてやって来たのがこの新たな支部だ。対策局の支部は各県に設置されており、怪獣が現れる場所が判明するなり、最寄りの支部に移動させられるのだ。

 怪獣の出現先が知らされてから、実際に出現するまでの時間はまちまちだ。青空が最初に出くわしたトカゲ怪獣のように避難勧告が間に合わず大勢の犠牲が出ることもあれば、イカ怪獣の時のように一人の犠牲者も出さないこともある。

 今回は後者のケースらしかった。それも人類側にはかなりのモラトリアムが与えられている。既にこの支部で待機を初めてから一週間以上が経過していた。

 「持って来た参考書、全部終わっちゃったんですけど」青空は緑川に訴える。「あの、家から新しいの取りに行きたいんですけど、ダメですかね」

 こんなに待たされるとは思っておらず、数日分のテキストしか持って来ていなかった。前回が丸一日で終了したのだから、今回もその程度だろうと考え油断していたのだ。

 「ごめんなさい。許可してあげたいけれど、無理なのよ」緑川は申し訳なさそうに言った。「受験生だし、そのあたりは気遣ってあげたいんだけれどね。ネットで何かダウンロードしておいてあげるから、それで我慢してくれないかしら」

 「銀緑塾のテキストじゃないと……」

 青空は目を伏せた。全国的に有名な名門塾である銀緑塾は、名だたる講師達によって独自のテキストを作成している。その内容の充実具合たるや凄まじく、一冊一冊がネットで数万円の金額で転売されている程だ。

 「と言うか、私が行っていない内にも新しいテキストが配布されているはずですし……授業出れないならせめてそれだけでも送ってもらえないですかねぇ……」

 「ごめんなさいね。無理なの」

 「どうしてですか?」

 「テキストを送付するにも送付する人がいる訳じゃない? その人は当然この支部までテキストを持って来なくちゃいけない訳だけど、その途中で怪獣が現れたら命が危険でしょう? クリティカルなことでないのなら、命を賭けなくちゃいけない人が一人でも増えるのは、ちょっとね」

 ぐうの音も出なかった。青空だってその人の立場だったら行くのは嫌だ。いくら大学受験が尊重されるべきことであっても、一人の受験生の為だけに命を賭けさせられるのは理不尽である。

 「と言うか、今日の昼から大事な模試が塾であるはずだったんですよね」青空は溜息を吐いた。「流石にそれまでには間に合うと思ったのになぁ」

 「そんなに大事な模試なのか?」黄地は尋ねる。

 「え、ええ。……夏休み中の授業でどのクラスに所属するかが決まる、とても大切なテストなんです」

 青空は今上級クラスAと呼ばれる最上位のクラスに所属している。下に上級クラスB、上級クラスC、そして一般クラスがある。銀緑塾の生徒の八割は一般クラスに所属しているが、そこの生徒ですら平均偏差値は70を上回るという名門ぶりだ。

 それでも理三を目指すなら今の地位は何としてでも維持していたいところである。その為の模試を受けられないことを想うと青空は焦燥を感じた。

 「勉強頑張ってて偉いじゃないか」

 「は……はあ、ありがとうございます」

 「まあでもさ。良い大学に行くにしたって、それは日本っていう国や、地球人類が維持されていてこそな訳だろ? それが出来るのは怪獣を倒せる武器を持ってる、あたし達『戦士』だけなんだよな。しんどいとは思うけど、どうにか両立するのがおまえの為でもあるんじゃねぇの?」

 言い返せないことを言われた。粗暴そうな口調の割には理知的なところもある少女である。

 本当の気持ちを言えば怪獣との戦いは青空以外の二人に担当してもらい、青空自身は勉強に専念したいところだった。どうせこの二人は戦いが終わったら国から貰える報奨金で悠々自適に生きるつもりなのだろう。青空の分の負担も請け負って貰えるのなら、報奨金は丸ごと二人に差し出しても良い。

 ともあれ要求が通らなかったのは確かである。青空は肩を落として、今いる共用のリビング・ルームを去って自室を目指し始めた。既にやり終えたテキストの復習をする為だ。

 「ねぇ渚」

 そんな青空に追い付いて来て、背後から声を掛ける存在があった。赤錆だ。

 「何ですか?」

 「何大人しく言いくるめられてるの?」 

 「は? いや、でもダメって言われたものはどうしようも……」

 「言うこと聞かないなら撃つぞ、って言えば良いじゃない」赤錆は手の平をピストルの形にして見せる。

 「……そんなことしたらダメなんじゃないですか?」

 「あんたは地球人類すべての命を守っているんだよ? それなのにテキスト一つ持って来て貰えないなんて不条理だと思わない?」

 「そんなことはないです。というか私は戦闘に出来るだけ参加したくないって態度ですから、極端な特別扱いは辞退するのが筋というか……」

 「ふうん。だったらさ」赤錆は閃いたように言った。「自分の脚で取りに行ったら?」

 気楽に行われたその提案に、青空は思わず目を丸くした。確かに今いる場所は青空の自宅からそう遠くはなく、県境を二つ程跨げばたどり着ける。青空の走力ならば直線距離で数時間もあれば往復できる。

 「出現場所が予知されてから、怪獣が現れるまで、早い時は一瞬だけど待つ時は結構待つんだよ。最長で一か月とか。今回も多分長いパターンだよ。その間ずっと満足に勉強出来ないのは、渚にとってつらいことだよね?」

 「そ、そうです。そうなんですよ」青空は拳を握って強く訴える。

 「そりゃあ黙って抜け出したのバレたら怒られるけど、どうせ強くは言われないんだし。軽いお説教と引き換えに参考書や問題集が手に入るんなら、渚にとっては悪い話じゃないじゃんね」

 「……良いんでしょうか?」

 「良いってば。行って来れば」赤錆は他愛もないものを見るように青空を見た。妹分に悪さを教えるような愉悦がその表情にはあった。「渚がいない内に怪獣がもし現れたとしてもさ、わたしと黄地さんで片付けておいてあげるから。今まで苦戦したこともないし、きっと大丈夫だよ」

 「ありがとうございますっ」

 知恵を出して背中を押してくれた赤錆に、青空は思わずアタマを下げて感謝の意を表した。

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勇者になんてなりたくもない 粘膜王女三世 @nennmakuouzyo

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