第6話

 デパートからの帰り道、青空達は緑川の運転する自動車に乗っていた。

 青空達が出掛けていたのはイカ怪人の出現位置からは遠く離れたデパートだ。よってその帰路もしばらくは平和で正常な街が続くが、支部に近付くに連れ街の様子は混迷を深めて行き、やがて人っ子一人いない状況となった。さらに進むと崩壊した建物や破壊された道路が姿を現し、イカ怪獣の暴虐の爪痕が色濃く印象付くようになって来る。

 「今回って犠牲者いた?」赤錆が尋ねる。

 「いなかったわ」と緑川。「今回は前と違ってかなり早い段階で怪獣の出現を知れたから。事前に避難勧告を出すことが出来たわ」

 「ほとんどの場合そうじゃん。前回が珍しく急だっただけでさ」

 青空は窓辺に寄り掛かり、瓦礫と化した街の様子を眺めながら上の空と化していた。人が死ななかったのは素晴らしいことだと心底から感じるが、それ以上に嬉しいのは例え一時でも自宅に戻れるということだ。

 例えそれまでの日常がどれだけ過酷かつ苦悩に満ちていたとしても、その日常が破壊され冗談のような非日常に誘われるという体験は、不本意でおぞましいものだった。例えそれがクラスメイトからいじめられ、教科書やノートを隠されたり背中を押されて転ばされたりする日々であってもだ。確かにいじめに遭うのはつらく苦しいし、学校に行くのは今から憂鬱だったが、しかしよほど運が悪くなければ、生命の危機にまで晒されないのも確かなのだった。

 一度支部に戻って荷物をまとめた後空港に向けて再出発し、自宅への飛行機に乗る。フライト中は持ち込んだ参考書でも捲りながら、時々は窓を眺めて空の旅というものも味わおう。そして自宅に戻った暁には、叶うことなら両親との再会を……。

 車が急停車した。

 青空は驚いた。緑川の運転は丁寧であり急ブレーキなど掛かったことは一度もなかった。何かあったのかと前方を確認すると、一人の少女が自動車の前に立ち尽くしていた。

 おかしな情景だった。

 こんな瓦礫と化した街の中に、ティーンエイジャーの少女が突っ立っているというだけでも、一種異様なことではある。その少女の雰囲気もおかしかった。肌はやけに青白く、一点に据えられて微動だにしない瞳は、感情がなく虚ろだった。顔立ち自体は作り物めいて整っているが、しかし眼前に車が急停止しておいて表情筋一つ動かさないその様子は、本物の人形のようで見ていると気味が悪くなる。

 さらに妙なのは、少女が抱いている赤ん坊である。

 裸だった。男の子であることがすぐに分かった。オムツすら履かされていない股の間で、小さな陰茎が微かに揺れている。髪の毛は完全なつるっぱげで、それは生まれたての嬰児なのだとしても妙なことだった。

 「……来たわね」

 緑川が息を飲んだ。赤錆もやや深刻そうな表情で唇を結んでいる。一体何が始まるのかと思う間もなく、「出るわよ」という緑川の合図に従って、まず赤錆が、続いて青空が車を降りた。

 赤子を抱いた少女と対峙する。少女は体の向きは愚か、首も目線すらこちらに向けることはなかった。こうして近くで見ると本当に芸術品のように完璧に整った顔立ちの少女であり、年齢は十四歳か五歳くらいに見えた。

 「だぁああ。だぁあああ」

 少女の胸の中で赤ん坊が鳴いた。それ自体はただの赤子の泣き声で妙なところは何もなかった。しかし直後、それを抱いている少女が抑揚のない声で言った。

 「次の怪獣は〇〇県〇市に出現する、と主は申しています」

 「あうらうだう」「あなた方はそれを待ち受け、倒さなければならないと主は申しています」

 「だぁ。だぁあああっ」「でなければまた一万人の犠牲者が出るだろうと主は申しています」

 「あだ。あだひゃ。あだぁあああ」「怪獣はまた少し強くなる。遠からず力を合わせなければならなくなる時が来るだろう、と主は申しています」

 少女の声は機械で作った声のように一定のトーンを維持していた。聞く者すべてに美しく透き通った声だと思わせる見事なソプラノだったが、しかしこうも感情を伺わせない声色だといっそ不気味に感じられる。

 「だぁああああ。だぁあああああ」「それを倒せばあなた達の武器はまた一つ強くなる、と主は申しています」

 「あうらうだう。あだ。だだぁああああ」「今はまだ弱いが、やがては我を滅しうる力に変わり得る、と主は申しています」

 「あうらうだう。あひゃひゃ。あひゃひゃひゃひゃ」「その為には四つの武器を一つに束ねる必要がある。全ての条件が整った時、我はあなた方の前に首を差し出しに現れるだろうと、主はそう申しています」

 緑川も赤錆も、神妙な顔で赤ん坊の鳴き声と少女の言葉を聞いていた。青空は悟る。目の前の赤ん坊と少女は、青空が直面する想像力の欠如した誰かの作ったようなバカげた事態に深く関わっていて、青空達とも怪獣とも違う立ち位置で事態に干渉している。

 ふと瞬きをした直後に赤ん坊を抱いた少女は消えていた。いや実際には瞬きなど関係ないのだろう。何の前触れもなくただ忽然と、元からそこにいなかったかのように少女達はその場から消え失せたのだ。

 「……青空さん」

 呆然とする青空に、緑川が振り向いて、神妙そうでいて有無を言わせない表情で言った。

 「ごめんなさい。これからすぐに〇〇県に行ってもらいます。つまり」

 青空は深く肩を落とした。

 「あなたは自宅に帰れません。……ごめんなさいね」

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