第5話
「さっきの奴さぁ。わたしの高校時代の嫌いな奴に顔が似てたんだよね」
喫茶店でアイスコーヒーを啜りながら、赤錆は言った。
デパートのこのフロアに客は一人も残っていなかった。赤錆を恐れて逃げ出したからだ。それは従業員も同じだったが、この喫茶店の店員だけは赤錆が首根っこを捕まえて逃亡を許さなかった。今は震え切った様子で、コーヒーだの軽食だので赤錆をもてなす役をやらされている。
「そうじゃなかったらひょっとしたら殺すのは我慢したかも。いちいち騒ぎになるのも面倒だしね。強く叱られたりはしないけど、それでも小言くらいは言われるし? でも顔見た瞬間、我慢できなくなっちゃって」
「そ、そうなんですか」
「一応、同じグループだったんだけど。いるじゃん? やたら声がでかくてなんでも仕切りたがる奴。そいつといると一緒に威張れるからテキトウに機嫌取ってたんだけど、大学生の彼氏いるとかどうでも良いことで雑にマウント取って来るから、内心鬱陶しくて。今度地元の近くの支部に行くことがあったら、殺しに行くつもり」
気が付けばデパートには何人もの対策局員が立ち入っていた。最初に緑川がやって来て「いくら処罰されないからって、人を殺しちゃダメよ」とやんわりとした口調で注意を行っていた。
「それから、支部から外出するのならちゃんと局員に断ってから、自分の脚じゃなくて職員の車ですることね。勝手にいなくなるからもう大騒ぎよ。気付かなかったこっちもこっちなんだけどさ……」
「あーはいはい」赤錆は鬱陶しそうだった。「あんまり小言言わないでよ。しつこいと殺しちゃうかもよ?」
露悪的な口調で言って見せる赤錆。緑川は流石に鼻白んだ後、額に汗を浮かべながら作り笑顔を浮かべて「どうしたの?」と訊く。
「赤錆さん、普段もっと優しいじゃない? そんなこと言うなんて、珍しいわね」
「そういう気分なの」赤錆は肩を竦めた。「とにかく、今は渚と話してるから、邪魔しないで」
なんとなく、青空は理解した。今の赤錆は自分達が対策局員に対して行使できる権威を、新米の青空に見せ付けようとしているのだ。自分達が何をやっても最終的には許されることになるし、小言くらいは言われても本気で逆らうようなら殺してしまえる。そんな暴君としての自分達の地位を赤錆は青空に示しているのだ。
「この力が手に入って、本当に良かった」赤錆は運ばれて来たミックスサンドイッチを口に運ぶ。「学校、つまんなかったんだよね。一応クラスの一軍グループにいたんだけど、その中じゃ下の方だったっていうか。そういう立ち位置が実は一番気ぃ使うししんどいんだよ。渚に分かるかな?」
「……ど、どうでしょうか」青空はへどもどした笑みを浮かべる。「私は、その、お察しのことだとは思うますが、あの。地味派の日陰者だったもので」
「顔はすごい可愛いのにね。もっと堂々とすりゃ良いのに。何でそんな気ぃ弱いのかな?」
「は、はあ」
「家もまあ、中流って感じでさ。月の小遣いは可もなく不可もなくだけど、バイトが禁止なの。これが本っ当にしんどい! 女子高生のお付き合いってお金かかるんだよ? 服一着買ったらもうその月カラオケいけないじゃん。付き合い悪いとか言われて一日シカトされて、泣いて謝る羽目になって……。そういうのが嫌で家のお金盗んだこともあるよ。ぶん殴られた」
「そうなんですか」青空は特に共感するでもなく話を聞いていた。ようするにどこにでもいる女子高生だったのだろうと思う。教室では被虐者の地位にいた青空からすれば、その普通具合が何とも羨ましいが、そんな赤錆にも赤錆なりの苦悩があったらしかった。
「でも今じゃこうやって好きなものしこたま買い込めるし、腹の立つ奴は弓矢で好きに射殺せる。髪だって自由に染められる。この赤いの、どう? 可愛いでしょ?」
「可愛いと思います」こう言う以外にない。もっとも、赤錆の容姿は極端に良すぎはしないが良い方ではあるので、その鮮やかな赤色のセミロングも様になっていた。
「怪獣と戦うのもね、最初は確かに大変だったけど、慣れたらこなせるしさ。アニメの主人公とかになった気分。そんで戦ってる時以外は何しても許されるお姫様。最高だよ」
「そ、それは良かったですね」
「監視がきついのはつらいとこだけどね。昼はこうやって外で買い物したりとか遊んで、夜はネットとかで特撮とかの怪獣調べてるんだ。わたし達が戦う怪獣って、いちいちが何かのパクりみたいな見た目してるんだよね」
「それは分かります。どうデザインしても何かとは似ちゃうんでしょうけど」
「支部の個室とかホテルの部屋とかで寝起きするのも楽しいよ。家にいた頃はお姉ちゃんと相部屋だったんだよ。良く喧嘩したよ。相部屋じゃなかったら多分あんなに仲悪くなかったんだろうけどさ。あの人が高校出て一人暮らし始めた時は、本当に嬉しかったな」
「あ、それはちょっと分かります」青空は口を挟んだ。「相部屋じゃありませんでしたけど、私も嫌いだったお姉ちゃんいます」
「え、そうなんだ」
「ええ。六つ年上なんですけどね。親が忙しくてあまり家にいないものだから、半分以上保護者みたいな感じで。成績の管理まで姉がやってました。良く怒られましたよ。中学受験の時とか、参考書何冊も買い込んできて、終わらなきゃ本当にごはん抜きですよ。虐待ですよ」
「ふうん……」赤錆はあまり興味がなさそうだったが、自分の話をした直後だからか、青空の話も促してくれた。「どういうとこ受けたの?」
「海鳴(かいめい)の中等部です」
「海鳴って、あの海鳴? 超名門じゃん」赤錆は感心したようだった。「そっか。渚って東京の人だもんねぇ……。で、受かったの?」
「一応、まあ」青空は気持ち胸を張った。学力は青空の自慢できる数少ないことの一つだ。「成績良いんですよ。大学だって、理三を志望しています。A判定です」
「理三って何?」
「東京大学の医学部です」
「すごい人じゃん!」赤錆は目を丸くしていた。
「いえいえ本当まったく全然大したことないんです」青空は気持ち頬を赤らめた。自然と鼻から荒い息が出る。「わたしなんて単にがり勉してるだけで……。銀緑戦士なんて揶揄されるんですけど、分かります? 銀緑塾(ぎんりょくじゅく)っていう有名な塾があって、そこの上級クラスで夜遅くまで。課題も山ほど出ますから、もう休日も土日もなく毎日死ぬほど朝から晩まで……」
「渚が勉強好きなのは分かったからさ」赤錆は窘めるようだった。「そんなに勉強して医者になって、どうすんの? 親が医者だとか?」
「両親は共に医者です。大きな病院を経営していて、医者になるなら将来はそこを継ぐことになるとも思います」
「その為に頑張ってる訳? でもさ、こんなこと言ったら難だけど、必死に勉強して医者になって、激務こなして病院を経営するよりも、怪獣を倒して報奨金を貰った方がよっぽど楽で儲かることない?」
「儲かりますね。でも、お金じゃないんです」
「傷付いた人を治してあげたいとか? 立派だね。でもそれだったら猶更怪獣と戦った方が良いんじゃない? 一人の医者が人生でいったい何人救えるっていうの? 怪獣一匹倒したら一万人だよ?」
「人助けでもありません。私の努力はあくまで私一人の為のものです」
「なにそれ? どういうこと?」
「お姉ちゃんを見返すんです」
青空はその口元に露悪的な笑みを浮かべた。
「お姉ちゃんもまた中高と海鳴で、銀緑塾にも入っていました。両親の病院を継ぐ為に、やはり東大の医学部を目指していました」
姉は努力家だったが自分のように勉強だけが取り柄という訳でもなかった。それなりに友人はいたし部活動にも精を出していた。中学の頃は柔道で地区大会を優勝していたし、忙しい両親に代わって家の用事をこなしたり、妹に教育的な指導を加える役割も買って出ていた。
高校に入り鉄緑塾に入ってからは流石に忙しくなり、柔道もやめ家の用事も青空に分担させるようになった。妹への叱咤鞭撻にも手を抜かず、当時小学生だった青空を海鳴中学に入れる為、自身の受験勉強と並行して多くの参考書を買い与えるなど精力的に指導した。
「でもあの人、落ちちゃったんですよね」
姉の成績は確かに良かった。十分すぎる程才気溢れる若者だったと言える。それでも東大理三とは日本で最も偏差値の高い学部であり、どれだけ才能があろうが努力しようが、合格など不可能なのが基本的には当たり前だった。
「今にして思えばテキトウな滑り止めで満足しとけば良かったんですよ。でもあの人、完璧主義ですからね。一年浪人して受け直すって言うんです」
それ自体は良くある選択だ。日本で一番偏差値の高い学部なのだから、何度も受験してようやく合格を果たす人間もいる。姉もそうした中の一人になろうとしたのだろうが、しかし。
「姉は損切りがね、出来なかったんですよ。今までつぎ込んだ時間とか労力とか、そういうのを全部取り戻そうとして、報われようとして。何度も何度も浪人して。一度ほとんど半狂乱になったかと思えば、今度は信じられない程無気力になって……」
三度目の不合格通知が届く頃には、姉はほとんど家に引きこもるようになっていた。食事は青空が扉の前に置いて時間が経ったら下げに行くという有様だ。かつての引き締まった身体は面影もなくなった。たまに様子を見に行けば、ゴミ貯めのように散らかった部屋の中央で、ぶよぶよの肉の塊が鎮座しているという有様だった。
「それで……どうなったの?」
赤錆が息を飲むようにして言った。
「四浪目にもなるとほとんど勉強もせず、ただ部屋に引きこもっていただけだと言います。流石に両親も見かねたようで、部屋から引き出して病院の事務の仕事を与えました。元々能力は高い人ですから、しっかり仕事を覚えて良く働いているそうです。今年の春からは一人暮らしも始めました。身体もすっかり痩せて小奇麗になって、最近だと恋人まで出来たそうですよ」
「それは良かった……のかな?」
「ええ良かったんですよ。私に対する当たりも多少穏やかになりましたしね。社会に出て働いていることに対して尊敬だってしています。でも、だけど……」
青空は頬に露悪的な笑みを浮かべる。
「偉そうに私に厳しくしていた頃のことがなくなる訳じゃないんです。もっとも姉が入れなかった東大の医学部に入れたところで、面と向かって姉をバカにするとか、何か言ってやるとか、そういうことはしません。というか、出来ません。以前よりは優しくなったというだけで、まったく怖くなくなったかというとそうではない訳ですし。だから私は、ただ、受かるだけです。それで私の溜飲は下がるんですよ」
合格通知を受け取る自分の姿を青空は良く夢想している。その先に何か具体的なビジョンがある訳ではない。医者になる自分も病院を継ぐ自分も上手く想像出来ない。合格することがゴールでありそれを果たしたら大学になんて行かなくて良い。
「姉は多分悔しがったりせず本心から祝福してくれると思います。喜んでくれると思います。それで良いんです。私は私の思い出の中の厳しかった姉に復讐したいだけで、今の丸くなった姉のことは、どうでも良い訳ですから」
青空はふぅと小さな息を吐く。
「だから、今の私にとって大切なのは受験勉強で、怪獣をやっつけることじゃないんです。私は私の生命と人生を守るのに精一杯ですし、精一杯でありたいと思っているんですよ」
こんなに人に自分のことを話したのは久しぶりだった。赤錆は唇を結び目線を斜め下にして、青空から距離を取るように椅子に背中を押し付けている。
訝しむような顔をする青空に、赤錆は微かに顔を上げてからこう言った。
「人から暗いって良く言われない?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます