第4話

 「どうして逃げたのかしら?」

 ここは各県に設置された怪獣対策局の支部である。緑川という二十代の若い局員が、剣呑な表情を青空に向けた。

 「はあ……」青空は弱気な顔を俯けるだけだ。

 「そりゃああなたはまだ戦士になったばかりだから、怖くなったら逃げても良いとは言ったわ。でもね、流石に戦闘が始まる前から逃げ出すのは、いくらなんでも、ちょっとね。一回戦うごとにあなたには数十億円の報奨金が支払われるのだから、次はどうにか、頑張ってもらえないかしら?」

 欲しくて貰っている金ではない。青空は何度も辞退した。青空の家は病院を経営しており十分に裕福で暮らしに何の不満もなかった。仮に例えどれだけ貧していたとしても、金の為に命を賭けるような行為はどう考えても愚かだった。

 実際、青空は報酬金が振り込まれる口座を一度として開いたことはない。通帳もカードも親に預けてある。叶うことなら今すぐにでも国に突き返し、自由の身になりたかった。

 「あなたが本当は戦いたくないのは知ってる。高校生の子供であるあなたに戦いを強いなければならない国や軍や私達は、本当に情けないと心から思う。でもね、怪獣達を相手に戦えるのはあなた達しかいないの。あなた達が戦わなかったら大勢の人が死ぬの。国が亡ぶの。望んでそうなった訳じゃなかったとしても、あなた達には人々を守る為に戦う責任が、私達にはあなた達を戦わせる責任があるのよ。それは分かってもらえるかしら?」

 「はあ……はい」

 とりあえず聞き流しておくしかない。言い返しても無駄なのだ。気弱な青空なりに十分過ぎる程抵抗したが、全てが無駄であることは悟り抜いていた。何せ青空は国の命運の三分の一を担っている。日本と言う国のすべてが青空に戦うことを強いている。小娘一人、それに抗おうと足掻いたところで、何の意味もない。

 「だから、次はもうちょっとだけ頑張って見て欲しい。敵が弱い内に戦いに慣れておいて貰わないと、いつか赤錆さんと黄地さんの二人で手に負えなくなった時、困るからね。それはあなた自身の命を守ることに繋がるわ。お願い出来る?」

 「はあ……」

 「どうかしら?」

 「……はい」

 口先だけそう答えたことによって青空は解放された。

 部屋を出ると赤錆と黄地が立っていた。「怒られたぁ?」と下卑た興味を向ける赤錆に、青空はへどもどと媚びるような笑みを返した。

 「怒られました」

 「あんま怖くないでしょ?」

 「はあ……まあ」

 両親や姉、塾の講師に叱られる時と比べると、語気や言葉選びは遥かにソフトだった。しつこく難詰めされるようなこともなかったし、感情任せに恫喝されるようなこともなかった。

 「強く言えないんだよ。あなたには代えが利かないから。本当にヘソを曲げられて逃げ出されたら困るのは向こうだからね。適度に機嫌を取って、𠮟らなきゃいけない時も最低限度。そういうもんよ。聞き流してやったら良いよ」

 「余計なことを教えるな」黄地が剣呑な顔で赤錆を一瞥した後、青空を睨んだ。「なあおまえ。あんな体たらくじゃ困るんだよ。毎回おまえにすぐ逃げられたら、一緒に戦ってるあたしらが危ないんだよ」

 「……皆で戦うのをやめるのはどうでしょう」青空は蚊の鳴くような声で、半ば本心から戯言を弄した。「それを選ぶ権利は、私達にあるはずで……」

 黄地は青空の胸倉を掴んで壁に叩き付けた。「おいおまえ。ふざけたことを抜かすなよ。あたしらが戦わなかったらどうなる? 一万人の人が怪獣に踏みつぶされて死ぬんだぞ?」

 どうでも良かった。いやまったくどうでも良いことではないし痛ましいことなのだが、それでも青空自身の生命の危機と引き換えにするようなことではなかった。当然だ。無辜の人々が一万人程死ぬと言われたら、それが例え自分と無関係な人達であっても、それを防ぐ為にある程度のものなら差し出せる。青空の差し出せるものなどたかが知れているが、それでも小遣いの貯金の半分くらいは出すかもしれない。だが自身の生命を危険に晒すことは流石にあり得ない。それを強要されると言うのなら、出来る限り抵抗するのが、生命体として原則であるはずだった。

 「今はあたしと赤錆で事足りてるから、そうやって呑気に人任せにしてられるのかもしれないがな。でも敵は現れる度に強くなってる。いずれそれじゃ済まなくなる日が来るかもしれないんだよ。分かってるのか?」

 何も分からない。国が亡ぶのなら亡べば良い。いよいよとなったら一家で国から逃げ出すだけだ。青空の両親は経済的に豊だし、青空自身小中と英会話を習っており英語には自信があった。外国へ逃げてもやっていけるはずだ。そうしていないのは、両親には経営している病院があるし、青空も受験で大変な時期だからというだけのことだ。

 胸倉をきりきりと締め上げられる。青空の目尻には涙が浮かんだ。どうしてこんな目にあっているのか。どうして自分がこんな運命に置かれなければならないのか。理不尽だった。

 「まあまあ」と、間に入ったのは赤錆だった。「そんな締め上げることないじゃない。あたし達仲間だよね。仲良くしとこうよ」

 「おまえこそ呑気だな。こいつが戦わなくちゃ困るのはおまえも一緒で……」

 「だから、そういうの注意するのは緑川さんとか大人組に任せておいて、わたし達はテキトウにツルんでりゃ十分だよねってこと。これから三人で行動する機会ばっかりなのに、険悪なのは嫌じゃない。雰囲気、良くしとこうよ」

 赤錆は青空の手を握り、黄地から距離を取らせた。

 「つう訳でさ青空さん。わたし達これから一緒に遊びに行かない?」

 「い、今からですか?」青空は目を白黒させる。「あの、私、これから飛行機で家に帰るんですけど……」

 戦いが終わったら、次の怪獣の出現地が判明するまでの間、青空は自宅へ帰してもらえる約束だった。既に飛行機の便も取って貰っていた。安全な自宅で受験勉強に戻り暖かい布団で眠るのを青空は心待ちにしていた。

 「それって今日の夕方の便でしょ? まだ朝の九時だよ? 緑川さんも今日の四時に支部にいたら良いって言ってたじゃん。時間一杯あるでしょ」

 「ですがっ。その時間は受験勉強の為に……」

 「受験勉強って何っ。勉強なんかしなくてもあんたもう億万長者じゃん。ウケるんですけどっ」赤錆は本気で面白がっているようだ。「良いから行くよ。黄地さん、あんたも来る?」

 「これからトレーニングだ」黄地は片手をぴらぴらと振った。「武器の扱いを練習しとかなきゃいかん。おまえらもちょっとはやっとけよ。自分達が無敵だと勘違いしてると、死ぬぞ?」

 立ち去って行く黄地。「クソ真面目だねぇ」と赤錆は肩を竦めて見せた。


 〇


 わたし達って信号機みたいね、と赤錆は面白がるように言った。

 「信号機ですか」

 「赤錆、黄地、青空。全部信号機の色でしょ」赤錆は愉快そうに笑う。「青空ってのも珍しい苗字だよね。良い苗字だ。下の名前は?」

 「……渚、です」

 「わたし夕香。どう? 下の名前で呼び合ってみる?」

 「え、ええ」別にどちらでも。「良いですよ」

 「よろしくね、渚」

 青空は赤錆に連れられ、イカ怪獣の被害が及んでいないところまで自分達の脚で移動し、テキトウな繁華街を発見してそこで遊ぶこととなった。支部の周辺の街は皆混乱状態にあったので遊ぶどころじゃなかったが、時速百キロをゆうに上回る青空達の脚力であれば、三十分もあれば平和な地域まで移動することは容易かった。

 繁華街で見付けたデパートに入る。赤錆は国から貰った報奨金を自分で好きなだけ使う方針らしかった。デパートをうろついては洋服だの鞄だのを好きなだけ購入し、恐ろしい程の散財をする。たちまち両手が塞がった赤錆は、いくつかの荷物を青空に差し出して「半分持って」と要求した。

 「あ、はい。分かりました」

 青空は大量の紙袋を受け取った。それは半分を明らかに上回る量だった。青空の手元には四つの大きな荷物が来たのに対し赤錆の手に残された荷物は二つしかなくしかも小さい。全体の八割程の荷物を持たされたのは明白であり、しかしそのことに文句をつけられる性格を青空はしていなかった。

 それでも全部を持たされる訳じゃない=パシりじゃない=いじめられている訳じゃない(?)と自分を納得させている青空を気遣ったのかそうじゃないのか、赤錆は気楽な口調で言った。

 「買い過ぎちゃったね。誰か荷物持ち呼ぼうかな?」

 「よ、呼んだら来るんですか?」

 「当たり前じゃない。わたし達はこの国を賭けて戦う英雄だもん。対策局に電話一本すれば、どんな呼び出しにだって応じるんだから」

 信じがたい。対策局にいるのは公務員や自衛隊のエリートが中心だった。青空達の保護監督役を務める緑川にしたって、東大法学部卒の第一種公務員試験合格者だと言っていた。本来こんな小娘に使われるような身分には程遠いはずだった。

 赤錆はスマートホンを取り出して電話をし始めた。本当に怪獣対策局に掛けている様子だった。電話で話をしながらも脚を止めることはなく、前も碌に見ていない赤錆の動きは危なっかしかった。

 向かいから歩いて来る少女と赤錆の肩がぶつかった。赤錆は気にしていない様子だったが少女は赤錆を睨んでいた。それに気づいて赤錆は脚を止めた。少女は赤錆の方をじろじろと見ながら、不快そうに自分の肩を払うように叩き、視線を外して再び歩き始めた。

 「ちょっと待ってね」赤錆はどこからともなく弓を取り出し、矢を番えた。「ムカ付く奴がいるから」

 赤錆は矢を放ち少女を背後から射った。矢が貫通するなり少女の肉体はその場で四散した。

 少女の身体は小さな無数の片となって散り散りになり、デパートの通路を赤黒く汚した。

 本気を出せばこんなデパート木っ端微塵にしてしまえるだけの威力の矢だ。それ少女の身体以外を破壊しなかったのは、それだけ赤錆が手加減をしていたからだろう。しかしそれでも周囲の人々は悄然として震えあがっており、血まみれの少女の肉片と赤錆たちを取り巻いていた。

 「ちょ、ちょっと」あまりの凶行に、青空は流石に顔を青ざめさせて赤錆に縋り寄った。「な、なんてことをするんですか?」

 「ムカついたから」

 赤錆はそっけなく言って、電話口との会話を再開する。

 「え? 何? 殺したかって? うん、殺したよ。別に良いんだよね。 うん、うん。……じゃ、三階の喫茶店で待ってるから」赤錆は電話を切った。「それじゃ、いこっか」

 こともなげな笑顔を浮かべる赤錆に、青空は引き攣った笑みを返した。

 言いたいことは山ほどあったが、こんなおかしな人とまともに対話する気にはなれなかった。恐ろしくてたまらなかったが、しかし自分に敵対的でないのなら、何とか媚び諂ってやり過ごすことが出来ると青空は自分に言い聞かせた。

 そして理解した。

 日本にとって、地球人類にとって、警戒すべき化け物は怪獣だけではない。

 赤錆であり、黄地であり、そして青空自身だ。

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