第八話

 私(四季・第四人格)は自室でスマホを眺めてくつろいでいた。

 友人に見せるSNSを更新したり、ラインなどで様々な人と連絡を取り合ったりする。これも一応人間関係を適切に保つ為のホストとしての業務の一つということになっていたが、SNS

は楽しいし傍らではテレビのバラエティ番組が流れているしで、私にとっては憩いの時間でもあった。

 しかも今夜は嬉しいことに、美術予備校の講師であり私とただならぬ仲である唯人から連絡があった。絵についてアドバイスをしたいから今度の土曜日にウチに来れないかという誘い。私は大喜びで了承の返事をした。

 そうしていると十二時を回りそうな時刻になった。今日はこの後に二葉に三十分間、絵を描く時間をやることになっている。私はダラダラと動画を流していたスマホを閉じて、二葉を呼んでやろうとする。そしてふと気付いた。

 英語の宿題が出ていたのだ。

 学校の宿題は科目ごとに私と二葉と五木で分担しており、国語と英語は私の領分だった。そこには遂行義務があり、各人の自由時間を含む余裕のある時……例えば先ほどまでのような……に片付けてしまうことになっていた。

 だが私は明日が提出日のその宿題に一切手を付けていない。やむを得ず、私は電話機を手に取って二葉に掛けた。

「二葉」

「これは四季さん。これからわたしの時間だからご親切に連絡を下さったんですね? ありがとうございます」

「そうじゃなくてさ。今からのあんたの三十分、私にくれないかしら」

 そういうと、二葉は途端にへどもどした態度になった。

「そ……そうですか。良いですけど、どうしたんですか?」

 わたしは「ごめーん」と形だけ謝罪して。

「学校の宿題が終わってなくてさ。ほらあんたも歴史のワークとか時間内に終わんないことあるでしょ? それと一緒よ」

「え。ええそうですね。わたし昔っから問題解くの遅くって……」

「トロいもんねぇあんた。そういう訳だから、ごめんね~」

 私は電話を切ると宿題をする為に学校の鞄を開ける。

 英語のワークを取り出す時、指先に妙な感触があった。ガラスのようなその感触に鞄を除くと、覚えのない瓶が入っているのに気が付いた。

 取り出してみる。

 中は真っ赤だった。

 それは血塗られていると言って良かった。渇き初めた血液が瓶の内部にこびりついている。その血液の出どころは明らかで、それは誰かの切り取られた親指だった。

 五木が申し送りに記入していた内容によれば、私達の誰かが殺害したと思わしき鈴木宗孝は、親指を切り取られていたらしい。そしてその親指はどこにも見付かっていない。

 ……これがそうなのではないか?

 その親指の隣には折りたたまれた小さな紙が添えられている。私は瓶の蓋を開けてピンセットで恐る恐る紙を取り出して開いた。

 撥水性の高い素材で出来ているのか、畳まれていた紙の内側にまでは血が滲んでいなかった。

 そこには筆跡の分からない端正な文字で以下のように綴られていた。


 生贄の棺の鍵は私。

 背中を向けて整列していて、時々お腹を割かれてしまう。


「……意味が分かんない」

 誰がこんなメモを残した?

 何の為にこんなメモを残した?


 〇


 「それで英語の宿題もやらずに皆をここに集めたと?」

 城の内側、玄関の前に集められたぼく(五木・第五人格)は、肩を竦めて四季の方を見た。

 「それがどうしたの?」四季は不機嫌そうに言った。

 「義務の不履行はいただけないと思ってね」

 「そんなこと言ってる場合?」

 「ぼく達が存在する目的は虹川一子としての日常生活を協調して生き抜くことだ。例えイレギュラーなことが起きても、緊急性がない限り個人の義務は果たされるべきだと思う。宿題をこなしてからぼくらを集めたのでも遅くなかったのでないのかな?」

 「こんなものを見て英語のワークなんてやる気になるのはあんたくらいよ」四季は忌まわし気に言ってから二葉の方を見た。「二葉。明日先生に怒られるのはあんたに任せるわ。苦痛の管理者なんだからそれが仕事でしょ?」

 「分かりました。任せてください」二葉は笑顔で頷いた。

 五人の交代人格がこの玄関前に集っていた。全員が集っての緊急会議だ。

 一子の肉体はコントローラーで電源を切って(眠らせて)、ベッドの上に横たわらせている。ぼく等が起きている限り一子の脳には負担がかかり続けるが、せめて肉体の方には可能な限り休息をやっておこうという訳だ。

 「問題はそのメモを描いて、鞄に潜ませたアホは誰かってことだ」三浦はヤンキー風のうんこ座りだ。「どう考えても、鈴木宗孝を殺したのはそいつだ」

 「なぞなぞみたいだよね。なんか」六花は膝を抱えて座り込んでいた。「結構、好き、あたし、そういうの」

 「わたしも好きですよぅ。というか……えへへへへっ、実は答え分かってたりして」揃えた脚を延ばして座っている二葉が得意げに胸を張った。「答え言って良いですか? ねぇ、良いですか?」

 「待ってよ。あたし、考えたいから」

 「じゃあヒント出して良いですか?」

 「良いから。自分で解きたい」

 「本当に良いんですか? 遠慮しなくて良いんですよ?」

 「良いから」

 「とっても難しいですから聞いといた方が良いですってぇ。ねぇ。ねぇねぇ」

 どうしてもヒントを出したいらしい。それが自分が解答を知っている証明にもなると考えているのだろう。しかし六花は煩わしそうな顔をするばかりだ。

 「良いから。もう黙っててよ。二葉さん、たまに鬱陶しい時あるよ」

 末っ子に突き放されて二葉は傷付いたような顔をした。

 「こんなのは別に考える程の問題じゃない」ぼくは肩を竦める。「それにこんななぞなぞの答えが、誰が犯人かを解き明かすヒントにはなりはしない」

 「じゃあどうして犯人はこんなメモを私達の鞄の中に入れたの?」これは四季。

 「こうしてくだらない謎解きをさせられるぼくらを面白がる為さ。こんな問題にかかずらってやることはない」

 ぼくはコックピットから持ち出しておいた各人の申し送りを手に取った。内容を知るのにいちいち時間をかけて目を通す必要はない。指先一つ触れた瞬間に、書かれている内容が全て頭に入って来る仕組みになっている。それに基づいて時系列を整理したが、その瓶がいつ投入されたのかは分からなかった。

 「問題は瓶がいつ放り込まれたのかではなく、どうやって犯人がその親指を持ち帰ったのかだ」ぼくは言った。「親指をポケットなどに身に着けていれば誰かが気付くはずだ。その意味では、昨日の夜最後にコックピットに座った者が怪しいとは言える」

 「じゃあそいつが犯人なんじゃないか?」と三浦。

 「それは君だろう?」とぼく。

 「そうなのか」

 「ああそうだ。だがぼくは君が犯人であるとは考えていない」

 「何故だ?」

 「君が化粧をして男に抱かれに行くというのは流石に考えづらい。そして被害者は右手でナイフを刺されていたが、君は左利きのはずだ」

 「そう思わせる為の偽装工作ってことはない?」と四季。

 「三浦にそんなことが出来ると思うか?」

 「思わないわね。念のために聞くけれど、三浦あんたポケットの中調べてないってことはない?」

 「ないな」三浦は言う。「死体を川に流すのに使う道具を入れるのに、何度もポケットは触ったからな」

 「親指を廃墟のどこかに隠していたというのはどうでしょう?」二葉がとても良いひらめきをしたという表情で言った。「それを後から回収したに違いありません」 

 「…………」ぼくは答えるのも嫌だったが、話を進める為にやむを得ず口にした。「今日の申し送りを見るに、誰もあの廃墟に近付けるようなチャンスもなかったように思える。四季は一日学校にいて、三浦は美術予備校にいてアリバイがあるし、六花の持つ一時間の自由時間ではあそこまで行けても戻っては来られない」

 「だったら、どうやって私達の誰かは、その親指を持ち帰ったのですか?」

 「協力者がいたというのはどうだろう? 犯人は廃墟で誰かに親指を預け、いずれかのタイミングでそれを受け取った。そうとでも考えない限り、その親指が鞄の中に入っていることに説明がつかない」

 「協力者ですか。それは……」

 「だがそれを特定するのには無理があるだろう」ぼくは食い気味に言って二葉を黙らせた。「少なくとも、現時点では。今日少しでも接触があったすべての人間に可能性があるし、また申し送りに描かずに接触したといことも考えられるからだ」

 そう。申し送りは嘘が吐ける。この謎を解く為に必要なのは五人の語り部による証言だが、その内の誰か一人は確実に嘘を吐いていることになる。『信頼できない語り部』がぼく達の中には確実に一人以上紛れ込んでいるのだ。

 「でも共犯なんてものを過程しない限り、三浦が怪しいんでしょう?」と四季。「確かに状況は三浦が犯人でないと告げているけど、でも偽装出来る範囲だし、そもそも馬鹿正直さを理由に容疑を免れるっていうのもナンセンスでしょ」

 「何も三浦が馬鹿正直さだけを理由に偽装工作を疑わない訳じゃない。ぼくの推理によれば、あの事件は突発的に起きたものだ。ならばそもそも偽装工作などあらかじめ行える余地がないんだよ」

 ぼくがそう言い終えた時、六花が唐突に顔と声を上げた。

 「……あっ。分かった」

 「何が分かったの?」と四季。

 「メモの謎解きの答え」

 「ずっと黙ってると思ったらそんなの考えてたの?」

 「悪い?」

 「悪いわよ。子供だからってマイペース過ぎない?」

 「みんないつも子供扱いするけど、あたし五木くんと二つしか違わないよ?」

 「だったらちゃんと議論に参加しなさいよ」

 「ごめん」六花は顔を俯けた。「言って良い?」

 「ちょっと待って。私も考えてるところだから」

 「考えてるの? 四季ちゃんも」

 「別にどうでも良かったんだけどね。お子様のあんたに解けるとなったら、分かんないままにしとくのが悔しくなって来た」

 「ところでどうでも良いことかもしれないが」三浦が疑問を漏らした。「被害者の名前、鈴木っていうんだよな。鈴木宗孝」

 「それがどうしたの?」と四季。

 「いや。おまえの彼氏と同じ苗字だと思ってな」

 「予備校の鈴木唯人先生のこと? そんなの偶然でしょ偶然。鈴木なんて全国で二番目に多い苗字なんだから。そもそももし親子とかだったら通夜や葬式に行ってるはずだから、講師として予備校なんて来ないでしょ」

 決めつけるように言った後、四季は思わせぶりな表情を浮かべた。

 「というか今はまだ彼氏じゃないんだけどね。そうなりたいとは思っているけど。ああいう誠実な人が相手なら五木だって文句を言わないでしょ?」

 「節度を持って正しく恋愛を楽しむならそれは良いことさ」ぼくは鼻を鳴らした。「誰かのように、くだらない男に節操なく媚びを売られたら困るというだけさ」

 「五浪丸のことなら、二葉も悪いけど、あいつの前に二葉を出した三浦も悪いわ。変な噂が立ったら、唯人さんがなんて思うか」

 三浦は何も言わずに宙を睨んでいた。

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