第五話
六花(第六人格)は公園のベンチに腰かけていた。
学校が終わり、美術予備校に向かうまでのこの一時間、六花にはプレイタイムが与えられていた。この一時間は六花のもので、他の人格に迷惑を掛けない限り、何をしても良いことになっている。
その日は友達と遊ぶことになっていた。気分を弾ませながら、その友人の到着を待ちわびる。
やがて彼女はそこにやって来た。
「お待たせ。六花ちゃん」
六花のことを六花と(一子ではなく)呼ぶこの少女はビーちゃんと言って、十一歳の六花より一つ年上の十二歳の少女だった。彼女は他のどの交代人格とも無関係な六花自身の個人的な友人だった。
「今来たとこだよ。何して遊ぶ?」
とりあえず遊具で遊ぶことにして六花達は並んでブランコに腰かけた。そしてそれぞれのブランコを揺らしながら、共通の趣味であるテレビゲームについての会話を交わす。
六花は姉が(という体裁で話している他の交代人格が)、貴重なアイテムを勝手に使ってしまう話をし、ビーちゃんは良く共感しながらその話を聞いてくれた。
「あーしも兄弟多いから気持ち分かるよ。部屋も狭いしさ。プライベートがないのって本当つらいよね」
「ないの自分の部屋? ビーちゃんは」
「ないよ。大家族だからもうすし詰めだよ。六花ちゃんはどうなの?」
脳内世界の『城』の中には六花個人の寝室が存在したが、しかし現実世界では一つしかない一子の部屋を五人の人格達と分け合って暮らしている。六花はどう答えて良いか分からなくなった。
「どっちとも言えるかな? あるともないとも」
「そうなの? 良く分かんないけど、六花ちゃんがそう言うんだったらそうなんだろうね」
「難しいかも。詳しく話すのは」
「良いよ。自分のこと何でも全部説明する必要なんてないよ。こうやって一緒に遊んで楽しいんだったらそれで良いんじゃないかな?」
そう言ってビーちゃんは勢い良くブランコから飛び降りた。凄まじく高く飛んだビーちゃんは、ブランコの柵を乗り越えた遠い場所に鮮やかに着地する。ビーちゃんは六花と比べるととても大きくて身体つきもしなやかなので、時折こうした運動能力の高さを見せることもあった。
「すごいビーちゃん」
「大したことないよ。こんなの兄弟の誰でも出来るよ」
「でも出来ないしあたし」
「六花ちゃんには六花ちゃんにしかできないことがあるよ。そうだ、あれ見せてよ。他人の身体から何か取る奴」
六花は過去に、兄弟の一人に勝手に使われてお金に困っているというビーちゃんの為に、掏りをしたことがあった。
「ええでも。怒られるよ。そんなことやったら家族に」
「財布じゃなきゃ良いと思うんだけどね。ハンカチとか無くなっても本気で困る人そうはいないよ。心配ならさ、後から返せば良いんじゃないかな?」
そう言われ、六花は頷いて見せた。
六花は公園内を散歩している壮年の女性に狙いを定める。その視線から注意の矛先を読み取ろうとする。どこへとも注意の向いていないリラックスし切った視線。落ち着いて散歩を楽しんでいる無警戒な様子。
六花は女性の注意を引かないよう慎重に、しかし何気ない様子で近付いた。女性の視界の中に六花は入っているようだったが、公園をうろついているただの女子高生(肉体は)に、いちいち注意を払う者はいない。
女性とのすれ違い様に、六花は最低限度の動きでポケットに手を伸ばした。人差し指と親指が中の手帳に触れた一秒後には、その手帳は六花の懐に消えている。
仕事自体は二秒もかからずに終わることだ。掏りを終えた六花が手招きをすると、ビーちゃんは残念がった様子で近付いて来た。
「やっぱ無理だった?」
六花は首を横に振り手帳を差し出した。
「え? 嘘。これあのおばさんの? 見えなかった。いつの間に掏ったの?」
「ダメだから。見えたら。見えないようにやらないと。掏りじゃないから」
「すごいね六花ちゃん。まるでプロだ!」
ビーちゃんは手放しに賞賛する。六花は照れ笑いを返した。
その後なんとなく手帳をめくると、そこには遊具や花壇などのスケッチが描かれていた。どうやら散歩がてら公園で絵を描くご婦人らしい。だがデッサンがいい加減で構図にも工夫が見られないその絵に価値はなかった。
「下手っぴだね」
「うん。全然ダメ」
そう言った後、六花はビーちゃんが伸ばした手に手帳を載せる。ビーちゃんは女性に走り寄ると、落としましたよと明るく声を掛けた。
〇
私(四季・第四人格)は美術予備校近くの公園で六花と交代し、表に出た。
日中は私が表に出ていることが多い。ホスト(対人)人格だからだ。そのこともあり私は連中と比べ大きな発言力を持っている。交代人格はそれぞれ対等であるという建前が存在しているが、事実上の権力には一定の差異があった。暫定的には私がリーダーで、五木は参謀格で、二葉と六花は味噌っかす。三浦も意見を言う方ではないが、ごくたまに野党として吠えるとかなりうるさい。
六花と交代すると頻繁にそうなるように、服が砂っぽく汚れてあちこちほつれていた。ビーちゃんとかいう友達と一緒に、子供らしく飛んだり跳ねたりしたことだろう。それにしても、肉体的には十八の女子高生である六花と対等に遊ぶというビーちゃんは、果たして何者なのだろうか?
「一子さん」
声を掛けられた。
背の高い、とてもハンサムな男性がそこには立っていた。
堀の深い鼻筋の通った顔立ちで薄い唇を持っている。中学の頃は剣道で全国に行ったというたくましい身体はしなやかだった。体格の割に威圧感がないのは、その涼し気な目元がいつも優しい形を描いているからだろう。
「唯人さん」
鈴木唯人は名門木更津芸術大学の一年生だった。私達の通う美術予備校で講師のアルバイトをしており、絵の技術はもちろんトップクラス。芸術に関する知識は深く、その大きな右手が生み出す絵画は息を飲むほど美しかった。
「バイトに行く途中でたまたま見かけたから、声を掛けてみたんだ。休憩中だったのかな?」
「え、ええ」
「今日は美術教室に行くのかい?」
「もちろんです。あの、一緒に連れて行ってもらませんか?」
「もちろんさ。おれもそうしたくて声を掛けたのだからね」
文武両道で人当たりが優しく、さらにイケメンであるという唯人は、美術教室に通う少女たちの憧れだった。それは私にとってもそうだった。そして幸運なことに、彼は私の絵を気に入ってくれ、彼のアパートで特別授業までしてくれていた。
唯人と一緒に美術予備校に向かう道中、私は幸せだった。予備校の仲間は唯人と歩く私を見て指を咥えるような表情を浮かべた。だがそこに優越感を覚える暇もない程、彼と肩を並べ、互いの絵について語り合うその時間は楽しくてたまらないものだった。
「君ならきっとおれの後輩になれるよ。たくさん教えるから、たくさん良い絵を描いてね」
「はい。唯人さん」
この人と触れ合うことが、今の私の幸せのすべてだ。
邪魔をする者がいたら、それこそ棺桶の中に閉じ込めてやる。
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