二章
第四話
一子の肉体が起床する時刻が訪れる。
私(四季・第四人格)は、コックピットに向かう為に自室を出た。
城の廊下では三浦と五木が待っていた。それぞれぶっきらぼうな態度で、コックピットの鍵とコントローラーを差し出してくれる。そのまま言葉も交わさずに立ち去ろうとする男どもに、私は声をかけた。
「二葉と六花は?」
五木は興味なさげに答える。
「寝ているんだろう」
「良いご身分ね」
「寝かしておけば良い。特に二葉はね。あのあばずれに関しては、このまま永遠に眠っておいてくれるのが理想だ」
「あいつにしか出来ないこともあるんだろ」
三浦が表情を変えずに言った。五木は肩を竦めて。
「それは誰だってそうだ。だが問題は利点と欠点を天秤に掛けてどちらが上回るかということだ。奴が担っているささやかな役割と、目を覚ましたら見知らぬ男の隣で寝ていたり、中絶が必要になったりするリスクを天秤に掛けて、どちらが重たいかは自明だと思うが」
「耐えがたい程の痛みや苦しみをいったい誰が引き受ける?」
「暴力的な脅威は今のぼくらの暮らしにはない。あったとしても、三浦、君が遠ざけるのさ」
「絵が一番上手いのも奴だ」
「ずば抜けてね。それは誰もが認めているが、しかしその能力をぼくらの為に使ってくれる訳でもない。木更津芸術大学の入学試験を担当してくれるというなら話は別だが、奴にその気はないんだろう?」
五木は真剣に二葉の排除を目論んでいる。二葉が何かやらかす度に、天使様に頼んでこいつを棺桶に封じ込めようと提案して来る。
私達は大切なことは全員の多数決によって決める。二葉自身はもちろん反対するし、五木はもちろん賛成するので、残る三人の内の二人が賛成すれば可決になる。私としてはやらかしの程度によって賛成したことも反対したこともあるのだが、三浦が常に反対側に回ることもあって、今のところ二葉は首の皮一枚繋がっていた。
「今は良いでしょ。その話は。それに、あんな奴にも一応の使い道はあるっていうのは、三浦の言う通りでもあるわ」
私は受け取った鍵とコントローラーを持ってコックピットに入った。
『コックピット』などという物々しい名前が与えられているが、実際のその部屋の雰囲気はむしろ遊び部屋に近かった。五角形の部屋の中央には大きめのテレビと座椅子がおかれていて、五面の壁の内扉以外のスペースには本棚が並んでいる。それらの本棚に並べられているのは、私達の記憶そのものである『申し送り』のバックナンバーだった。
座椅子の隣には電話機もある。見た目は携帯電話などではなく自宅用のいわゆる『子機』だ。部屋の外に持ち出しても機能はするが、それは規則で禁止されていた。
私は座椅子に座り込むと、テレビを眺めながらコントローラーの電源を付けた。
虹川一子の肉体が起床する。
私は目をこすって部屋の様子を眺めた。八畳の広めの子供部屋には、クイーンサイズのベッドと小学生の時から使っている勉強机がある。本棚には人格達のそれぞれの嗜好からなる書籍や小物が、常にスペースを争いながら多種多様に詰め込まれている。ゲーム機もあり、主に六花が遊んでいる。自由にさせていると無限に夜更かししてやり続けるので注意が必要だ。
部屋の隅には画板もあり、いつも誰かしらが絵を描いている。私の身分は芸大を志す受験生であり、美術予備校にも通って画力を鍛えている。壁には誰かしらが描いた絵が飾られていることもある。今は三浦の抽象画。
洗面台へ向かい顔を洗い歯を磨く。鏡を見るとそこには茶髪を短めに切り揃えた、切れ長の目をした女が立っている。気の強そうなくっきりとした顔立ちで、女にしては背が高い。目の下に小さな泣き黒子があり、顎周りがスッキリしているのが気に入っている。私の顔だ。
この『私の顔』というのは『私=四季』の顔という意味であり、一子の肉体が本来持つ顔立ちという意味ではない。多重人格者特有のある種の思い込みから、本来映っているものと無関係に、鏡の向こうに四季としての私の容姿を幻視してしまうようなのだ。
身支度を終えて朝食の席に向かう。私はさわやかにあいさつをした。
「おはよう」
リビングには義父がいて、整ったスマイルを返してくれる。
「おはよう。一子」
この人は母の再婚相手でハンサムな医者。涼し気な目鼻立ちに眼鏡を掛けていて、四十代とは思えない程若々しい。この人の稼ぎが良いお陰で私達はこの大きくて清潔な一戸建てに住めている。会ったことのない実父よりも、私はこの人を自分の父だと思っている。
「最近、絵の調子はどうだい?」
「ぼちぼちかな? 相変わらず、画風が安定しなくてね」
こう言っておく。画風が安定しないのは人格ごとに描きたい絵が違うからなのだが、それを悟られてはまずい。私達は多重人格者であることをひた隠しにしていた。
「でも、勧めてくれた美術予備校は気に入っているわ。木更津芸大から来てる講師のバイトも来ているし、集中して絵が描けるの。流石お義父さんね。良いところを知っているわ」
私は笑顔を浮かべる。
断りを入れてからテレビを付けた。ニュースを眺めると、水路で発見された男性の他殺死体についての報道がなされている。私は思わず息を飲み込んだ。
やはり見付かったらしい。しかし発見されたのは三浦が捨てた場所から比べると、かなりの下流にあたる位置だった。殺害場所が例の廃虚であることはおそらく分からないだろう。五木が指揮を執ったのなら、隠蔽工作としてまずまずの手が打てたはずだ。
母親の運んできた朝食を採って、私は学校へ出掛けた。
教室に入るといつもつるんでいる何人かの仲間と挨拶を交わす。皆若干の媚びを孕んだ顔で、私をもてなしてくれる。
その中に一人、微かな不満を讃えた表情で、遠巻きにこちらを見ている少女がいるのに気付いた。柏木だ。
柏木は私の親友。バスケ部に入っていてガッシリした体格で、額が狭くて唇が厚いが、化粧で誤魔化せばまあ十人並の顔にはなる。あまり良く喋る方ではないけれど、相手をじっと睨む時の据わった瞳には迫力があり、頑固な性格で激昂すると信じられないくらい強硬になる。
本気で敵に回したら少しは面倒な手合いなので、グループに入れて一番の親友ということにしておいてある。ある程度の対等扱いをして、どうでも良いことを雑に褒めてやったら、十人並の顔をくしゃりとさせて私に懐いた。
そんな柏木だったが、今は唇を結んで不満げな顔をこちらに向けて来ていた。
「ねぇカッシー。あなたもそう思うよね?」
私は努めて笑顔を浮かべて柏木に話しかけた。彼女は口元でぽつりと「別に」と呟くと、あからさまにそっぽを向いた。
ムカついた。冷静に対処すべきか逡巡したのは一瞬で、私は感情のままに声を荒げた。
「ちょっと! 何その態度! 不満があるならハッキリ言ったどうなの?」
睨み付けると、柏木は一瞬だけ鼻白んだ様子を浮かべながらも、すぐにいつもの据わった目になって私を睨んだ。
「別に、何でもないし」
「何でもないことないじゃない? ずっとそんな態度でいられたら困るんですけど? 友達なんだからちゃんと話せば良いじゃない?」
「話さないと分からないのがおかしいんだよ」
柏木の言葉に、周囲の取り巻き達は一瞬だけ同調したような気配を発した。微かな仕草や表情の変化から、近くにいる人間の感情や共通認識を読み取る力は、交代人格の中でも私が突出している。二葉や六花はこういう場面でおろおろするだけだし、五木は理屈しか分からないし三浦に至っては簡単な会話以外は理解できない。
どうやら私は柏木に対し何かやらかしたらしい。私がというか、交代人格の中の誰かが。
それを悟った私は、努めて冷静な、しかし物怖じしない態度で柏木に相対する。
「あのさぁ。私だって自分が何したかはちゃんと分かってるし、それについて話すつもりはちゃんとあったの。だからってさぁ、そんな何もかも察しろみたいな横柄な態度取られるのは、流石に嫌なんだけど」
「だって一子ちゃんが悪いんじゃん」
「昨日のことはね。でも今横柄な態度取ってるのはカッシーでしょ? 何があったのか、何が嫌だったのか、そっちから話しなさいよ」
そう言って柏木に負けないくらい剣呑な表情でじっと見詰めてやる。すると柏木は私の迫力に屈したように、拗ねたような表情で漏らした。
「昨日の数学。ちょっと教えて欲しかっただけなのに、一子ちゃん凄く嫌みな言い方して来た。あたしだって勉強ちゃんと頑張ってるのに」
……そういうことか。
多分、というか間違いなく五木のやらかしだった。あいつはお利口な自分と比べて周囲がバカに見えるとそれをあからさまに態度に出す。さぞ偉そうな口調で講釈をぶったに違いない。
なんであいつの尻拭いをせにゃならんのだと思いながらも、私は全身から怒気を消して温和な表情になると、柏木の肩を抱いた。
「ごめんねカッシー。やっぱりあの時のことで傷付けていたんだね」
優し気に言って頭を垂れる私。同じグループで、名目上の親友ではあってもこいつとの間には序列があるが、時には下の奴にアタマを下げてやるのも処世術だ。
「受験生だと思うとついピリピリしちゃうよね。それはカッシーも同じなはずなのに一方的に強く当たっちゃった。私って本当にダメだなぁ。今度から気を付けるからさ、許してくれない?」
下手に出る時はきちんと下手に出るのも、クラスのボスとして上手くやるコツだ。柏木はむしろ安心したように頷いて見せると、媚びを孕んだ声でこう答えた。
「うん。いいよ。あたしも嫌な態度とってごめんね」
グループ全体に気が抜けたような気配が漂ったのが分かった。
「でも一子ちゃんって時々本当にキャラ変わるよね。その時とか本当に人が違ったみたいだったもん。他にも急に気が弱くなったり無口になったり、手が付けられない程暴れまわったり……」
「そうかもね。私、性格が気まぐれなのよ」
そういうことにしておいていた。
「その時の気分によってキャラが変わっちゃうっていうか、自分でも多重人格なんじゃないかと思う時ある。昨日みたいに迷惑かけることもあると思うけど、友達でいてね」
自分で言って白々しいなとそう思った。
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