一章
第一話
六花(第六人格・11歳)が目を覚ますとそこは暗闇だった。
大きな物音が建物内に反響していた。ひび割れた天井から落ちて来たらしきコンクリート片が、六花の頬のすぐ近くに転がっていた。
思わず身を起こすと全身が何かで湿っているのに気が付いた。とにかく現状を把握する為にスマートホンのライトをつけると、そこは見慣れぬ廃墟だった。ボロボロの天井からは内部の鉄筋や木材が剥き出しになっていて、その一部は六花の眼前にまで垂れ下がっている。染み付いた壁には卑猥な落書きが描かれており、あたり一面には不快な砂埃が充満していた。
だがそれらの状況把握が終了する前に六花は悲鳴を上げている。何故なら六花の全身は血にまみれていたのだ。
見ると隣には一人の男性が六花以上に血塗れになって横たわっている。胸を中心に血塗れになった男性の目は閉じられており、その全身は微動だにせず、間違いなく死亡していた。年齢は四十代程に見え、痩身で顔の作りも整っている。
呆然となった六花の手から、音を立てて一本のナイフが床へと落ちた。そのナイフは血に塗れており、隣で死亡している男を刺し貫いたことは明らかだった。
「この人を刺した? あたし達の誰かが……」
その発想が出て来るのはあまりにも当然のことだった。
身を起こそうとする六花の全身に痛みが走った。誰かに殴打されたような痛みである。調べると六花の身体のあちこちには青黒い内出血の痕があった。
自然に考えれば、交代人格の誰かが隣にいるこの男性と戦って打撲痕を負い、その後ナイフで抵抗してこの男性を殺害したということになる。だが問題はそこに至る経緯と、それをしたのが『だれ』なのかということだった。それを洞察する力は六花には備わっていなかった。
六花は手先の作業に長けた第六人格である。特技は掏りと縄抜け、錠前外し。十一歳という精神年齢故に腕力や知能は高くなく、高校で表に出られることは少ないが、家庭科の授業では手芸分野で活躍することもある。趣味は折り紙とテレビゲーム(交代人格達の中で一番上手い)の他、週に三回与えられる夕方のプレイタイムで、一つ年上で十二歳のビーちゃんと公園で遊ぶこと。
そんな六花では、この状況に対処するのにふさわしくなかった。
「……変わった方が、良いよね。誰かに……」
自然と覚醒する場合なら誰が出るのかは選べるが、急な覚醒時に誰が出るのか分からない。その場合はすぐに相応しい者に変わるべきなのだが、問題は誰を『電話』で呼び出すかということだ。
一度『コックピット』を出て皆を集めて討議しても良いが、この危険な状態で一子の肉体を『虚無』の状態にするのは憚られる。五木に小言を言われたり、四季に怒られたりするのは嫌だった。
「……どうしよう」
考えた末、六花は五木に電話をすることにした。五木は知能の高さを鼻に掛け、何かというと自分を出すように口にする。頼りにされれば、高慢な態度を取りつつも内心では喜んでいるような性格だ。それに彼を出しておけば、他の誰かが文句を言っても、自分を出した六花は正しかったと言いくるめてくれそうな気がする。
六花は脳内に存在する『精神世界』おいて、コックピットのすぐ傍に設置されている『電話機』を手に取り、五木の部屋に電話を掛けた。
〇
ぼく(五木・第五人格)は、六花から『申し送り』を受け取って状況を把握した後、コックピットに腰かけて肉体の操縦権を得た。
六花は何かと悩んだ上でぼくを外に出したようだけど、その判断は至って正解であると言える。危機的状況においては何をおいても状況を把握することが不可欠であり、その能力に関して言えばぼくより優れた奴は存在しない。
ぼくはまず目の前の男の遺体を確認する為にライトで照らした。こうして見ているだけでも色んなことが分かる。
まずどういう訳か、右手の親指が切断されている。指がどこに消えたのかは分からない。ぼく自身の身体を確認してみたが、どこにも指が忍ばせてあるということはない。
そしてこの男を殺したのは右利きの人物だ。ナイフの挿入口の向きと刺され方からそれは明らかだ。ぼく達交代人格の中で左利きなのは三浦だけだから、彼が犯人であるという可能性はある程度除外できる。そうなることを狙ってあえて右から刺したなんてことも考えられはするけれど、あいつにそんな知能があるもんか!
そして今のぼくは(虹川一子の肉体は)おしゃれな外出着に着替えているし、髪も整っていて唇にはリップクリーム(しかも色付きの!)が塗られている。少なくとも三浦は絶対にこんなことはしないから、その意味でも彼は容疑者から遠いと言える。
それから、ぼくはスマホのナビ機能を表示して現在位置を割り出す。自宅から三キロ程の廃ホテルの場所が表示されていた。
この廃ホテルの条件は悪くない。周囲を含めて人は来ないし、近くには大きめの水路もある。いざ遺体を始末しようとなったら、労せずにそれは出来るだろう。
その後ぼくは男のものらしき荷物を漁ってみる。財布の中の免許証から、鈴木宗孝四十四歳だということが判明。住所はこの近所だから誰かの知り合いの可能性はある。
鈴木崇高のスマホにはロックが掛かっており、中身を確認することは出来ない。ぼくら自身の携帯電話も調べてみたが、この鈴木とのやり取りは確認できなかった。
そして最悪なことに、カバンの奥の方には、独特の形状をしたピンク色の危惧があった。膣だかケツだかに挿入する奴に見える。……というか多分ケツの方だ! いったい何の為にこんなものを鈴木は持っていたのだろうか?
ぼくは一通りの観察を終えた。
となると、今成すべきことは何を置いてもこの死体の始末だろう。その為にはまず身体に着いた血液を拭う為の布が必要だ。この血塗れの状態では、外に出ることもままならない。
ぼくは廃墟の内部を探索し始めた。
だがしくじった。階段を降りる時、ぼくは足元に穴が開いているのに気付かずに滑り落ち、床に落ちているガラス片が膝に深く食い込んだ。
激しい痛みに思わず涙が出そうになる。食い込んだガラスは砕けていて傷口からほとんと露出しておらず、これを掘り出すのは苦労しそうだ。かと言って刺さったまま膝を動かしたりしたら、余計に酷いことになるだろう。
……ちくしょう。あんな奴に頼ることになるのか。
ぼくは忸怩たる思いを感じながらも、『電話機』を取って、苦痛の管理者たる二葉の部屋に掛けた。
「五木さん?」弾んだ声がする。「どうしたんですか電話なんて掛けて来て。というか、わたし嬉しいですもう一生無視されるものだと思ってましたっ」
「うるさい黙れ」ぼくは冷たい声で言った。「今すぐコックピットに来い。膝に食い込んだガラスを除去してハンカチで手当てしろ。終わったら一秒でも早く三浦に代わるんだ」
「え、あ。……はい」二葉が電話口の向こうで意味もなく目を反らしたのが想像できた。そして、いつものへどもどした声と態度で続ける。「け、ケガをされたんですね。だ、大丈夫ですか?」
「黙れアバズレ腐れマゾ。心配するなら今すぐに来い」
「は、はいすぐ行きます。待っててくださ……」
言い終える前にぼくは電話を切った。
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