怪談 山
ラルト
怪談 山
とある山奥に私はいる。
町ではもう梅の時期は過ぎ去り、そこから移り変わるように桜が咲き始めているというのに標高が高く日の差さない山の中では未だそこかしこに雪が溶け残っているようで、そのせいかこんなにも青々と木々に葉が生い茂っているにも関わらず山の中は静かで鳥はおろか虫の声すら聞こえてこない。
お母さん、お祖母ちゃん、叔父さん、お祖父ちゃんは何処に居るんだろう…
早く合流しないと…
緑色の闇に閉ざされた道なき道を歩く。車で通ることの出来る道が見えてくる気配は未だ無く、次第に植物の根や蔦が木々や廃墟を覆うが如く心の中を不安や恐怖が蝕んでいく。
ざわめく心に大丈夫、冷静になれと言い聞かせながらもその行いこそが既に冷静でない証だと気づかないまま人の住まう世界を求めて歩みを進める。私の心は私が思っている以上に限界だった。
そしてその時はついに訪れた。
歩いている途中目の前に現れた樹木の背後から唐突に人の横顔が現れ、私は歩みを止めた。
ゆっくりとその横顔の主の全貌が明らかになるにつれて私は名状しがたい恐怖に全身が凍りつく。
その頭部は確かに人間のそれだったがそこから伸びる首から肩にかけては馬の形で肩から生える前足は人、或いは少なくとも霊長類の形をしているだろう。後半身も馬のように見えたが尻尾からしてどちらかというと恐らく牛の形をしている。全身を構成する要素の殆どは哺乳類だが全身が色とりどりの鳥のような羽毛に覆われており、異様な存在感を放っていた。
しかし驚くべきはその大きさで、手前に生えている樹木よりはるかに大きな体をしているのだ。
そんな巨体を隠すには細すぎる樹木の後を横切るという、まるで何もない空間から突如として現れたかのような不可解な現象を前に私は全身の熱が引いていき腹の奥に何か冷たく重たいものが澱むような感覚を覚えた。
ソレの首が音もなくゆっくりとこちらを向いた。
能面のような無表情の黒い眼がこちらを捉える。
ソレは静かにこちらに歩み寄って来る。
それと同時に鈴のような音が脳に鳴り響き、スノーノイズのように視界がざらついていく。
ソレがこちらに近づくにつれて音は大きさと激しさを増していき、視界からは色彩がなくなっていった。
恐怖のあまり叫ぼうにも声帯が締め付けられているかのように声が出せなかった。
さらにいつの間にか周囲の地面から私達を囲う形で複数の黒い人影のようなものが浮かび上がりこの世の存在とは思えない声で叫ぶように祝詞のようなものを読み上げていく。
気が付くと未知の異形の頭部が自分のすぐ頭上まで迫ってきていた。
『ァ゙ア゙ッ゙…ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ッ゙ッ゙…』
顎が外れんばかりに大きく開いた口の奥に多くのもがき苦しむ人の顔らしきものを見たのと、口から吐き出される永い年月を経た古木のような匂いの吐息を嗅いだ瞬間、私は意識を失った。
***
「ァァァッ!ウワァァァァァァッ!」
「……つき……い!…っかり……さい!」
どこか意識の遠くからそんな声が聞こえる……
「ウワァァァァァァァァァァァァッ!!」
「落ち着きんさい!しっかりしんさい!!」
唐突な平手打ちを食らった瞬間意識がハッキリと現実に戻った。
「ようやく正気に戻っただか?!アンタぁ今までどこ行っとっただいや!なぁ!」
「ッ?!………お母…さん…?」
私は心配と怒りと安堵がごちゃ混ぜになった母の顔を認知してここまでの経緯を思い出す。
春の連休を機に実家に帰省した私は祖母に誘われて祖母達や母と山菜を採りに山へ出かけていた。
コシアブラもタラの芽も
母が言うにはある場所で見つけたタラの芽を採ろうと車を降りたところいつの間にか私が姿を消し、山菜を採りに出かけていた全員で私のことを探し回ったらしく、暫く探した後私の悲鳴が聞こえ、声のした方に全員で駆けつけてみれば私は元いた場所、つまり車の近くで錯乱し叫び声を上げながら地面を転がりまわっていたらしい。
その日は山菜採りを切り上げ山を降り、帰りに寺に寄ってお祓いを受けることになった。
それ以来私は山に近付く事をお寺の住職とその日一緒に山菜採りに出掛けていた全員から禁止された。勿論私自身本能の奥底に深く刻み込まれた恐怖にもう一度近付きたいとは思わない。
それでも青々とした自然に近付くと今でも偶に感じる時があるのだ………
『…ン゙ダイ゙メ゙……ミ゙ゴノ゙ヂギリ゙ヺォ゙……』
永い年月を経た古木のような匂いを……
『ノ゙ ガ レ゙ ラ゙ レ゙ ナ゙ イ゙ 。』
終
怪談 山 ラルト @laruto0503
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