001 着任

「黒崎ぃー。ちょっと聞いてくれよー」

「何ですか赤坂さん」


 黒崎の返事は素っ気なく、視線は画面から一切外れない。

 型落ち甚だしい当社のロートルノートPCを激しくタイピングし続けている。


「昨日、新卒の面接行ったじゃん?」

「ええ。そのせいで決裁事務が山積みです」

「そしたら就活生の中にな、なんと推しのアイドルがいたんだよ」

「良かったですね。早く手を動かしてください」


 黒崎 昇くろさき のぼるは三年下の後輩であり、新規企画グループのメンバー。つまり私の直属の部下である。着任当初は私を慕うかわいい部下だったが、ここ最近は常にこの扱いである。


「上司をあしらうな。本当にいたんだって!」

「信じられるわけないじゃないですか。働きすぎて頭おかしくなっちゃったんじゃないですか? 良い産業医紹介しますよ」

「いや、産業医は同じだろ」


 この投げやりっぷり、昭和的タテ社会と年功序列を色濃く残しているはずの当社にあるまじき態度である。

 そのうち天罰が下るに違いない。


「ほんとだもん! ほんとに推しがいたんだもん! うそじゃないもん!」

「トトロ見つけたテンションで言われても無駄です。信憑性は変わりません」

「うそじゃないもん……」

「赤坂さん。30歳以上の男が『~もん!』って言うと刑事罰に問われるって知ってました?」


 マジで? 気を付けよ。


「赤坂さん。私をおもちゃにするのもいい加減にしてください。今月何回目ですか? 流石にひっかかりませんよ」

「いや、今回はほんとなんだって!」


 私の必死な様子を見て、黒崎は内臓吐き出すんじゃないかと心配になるほどバカでかいため息をついた。


「まったく……これで本当にアイドルが当社に来ることがあればね」

「あれば?」

「目でピーナッツを噛んでみせますよ!」


 強い口調で言い放つ黒崎。そこには藤子・F・不二雄先生へのリスペクトが感じられる。


「言ったな! 入社してきたら絶対やれよお前!」

「もちろんです。でもその代わり入社してこなかったら……」

「こなかったら?」

「長めの休みとってゆっくり寝てください」

「いい子! 大好き!!」


 そんなやり取りがあったのが約8か月ほど前である。


 そして、来る翌年4月1日。


「今日からこちらの新規企画グループでお世話になります。小宮山真琴です。よろしくお願いいたします」


 本当に小宮山真琴こみやままことはこの銀行に就職していた。

 しかも信じられないことに、私のグループに配属となっていた。


「……」


 朝礼で流暢に自己紹介をする彼女の姿を見て、我々グループ一同はあまりのことに完全に硬直していた。


 国民的アイドルが目の前にいる。


 その威光は筆舌に尽くしがたく、ファンでなくとも委縮してしまう凄みがあった。

 そんな彼女と、これから一緒に働くのである。その衝撃たるや、朝礼の5分で受け止めきれるようなものではない。


「……」


 あまりの出来事に、たっぷり30秒、グループ全員が言葉を発せずにいた。


 いかん。これでは彼女を歓迎していないかのようではないか。

 こんなときこそ、グループリーダーの私が率先して動かなければ。


 私は重苦しい空気をどうにかするため、なんとか口を開いた。


「黒崎」

「え、あ、はい」

「目で噛むの、マーピーでいいか?」

「この鬼!!」


 黒崎の悲痛な叫びが部署内全体に響き渡った。


 こうして、推しが部下となるという奇妙な日常は幕を開けたのである。

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