黄の青年は沈黙を破る

第4話 黄の青年は秘石術を使う


 *************


 遠い空の夕焼けに、自らの色を思い

 涙した


 俺の手を引いたあの人を

 無下にはするまいと、して、それでも

 ただ闇雲に足掻くようで、

 ただ黙って探した


 それがそんなにも温かなものだとは思いもしなくて。


 *************



 緩やかに白雲は流れゆく。石造りの街並みに薄く影をかぶせて、雄風にまかせ運ばれていく。しばらくの後、羊雲の群れは姿を消してちぎれ雲が一つ二つ、浮かぶばかりの青空が広がった。

 「眩しいな」

 陽光が照らす水面を眺め、青年が呟く。蔓草に覆われた格子状の屋根の下、手の横の小机に作られた本の山に、読みかけていた本を戻す。『幻視 ―水面の秘石術』と箔押しされたそれは危なげなく、十冊目に収まった。

 小さな池を撫でて走る、湿り気のある風が彼の髪を揺らした。乾いた砂浜の色に近いその長めの髪は肩に当たり跳ねている。

 彼が座る椅子は、ブルーブラックに近い色でメッキされている。不揃いな石畳の床は、蔓草の葉をすり抜けた光にまだらに染め上げられていた。彼は足を組み替えて、軽く息をつく。木造りの大窓を振り返った。

 「食料、尽きてた…な」

 いかにも面倒くさそうな表情を浮かべる。

 立ち上がり、彼はベランダ窓を抜けて小屋の中を歩き、途中で壁にかけられた手提げ袋を持ち上げ、部屋の隅、木製の扉の前へ立つ。窓も何も無いその扉には、同様に素っ気のない木の握り手があるばかりだ。青年は首を軽く回し、凝り固まっていたのだろう背中をほぐす。扉の脇に引っ掛けてある上着を丁寧に外し、ポケットから黒の石を取り出した。右手に握るその石を扉の握り手の上部に彫られた窪みへ押し当て、しばしの黙考、

 「座標ベース9、繋げ」

 彼は扉を押す。ゆったりと歩き出した。彼がくぐった扉は別の手に支えられ、真鍮製の窓枠が太陽の光に反射する。リィン、軽い音が来訪者の訪れを告げている。ガラス張りの明るい店内には形も色もとりどりの果実が並ぶ、そこは何の変哲も無い果物屋であった。

 歩を進める彼の脇を、何か冗談を言い合ったのだろう親子連れが笑い声をあげ、その金のドアノブを引いた。

 

 角を曲がるとそこは屋台や露店が立ち並ぶ飲食街、ふわぁん、と風が良い香りを運び、誰かれ構わず財布の紐を緩ませる。

 『払え、さすれば与えられん  チダシェ遊歩街』

 そう身も蓋も無い文言を彫金されたアーチ門が、太陽を浴びて黒々とそびえ立っていた。

 仏頂面のまま彼は、人々がひしめくその中へ分け入る。ぽそりと彼が何事かを呟いた。その肩に正面から顔をぶつけそうになって半身で避けた少年は不思議そうな顔で彼を振り返り、首を振って歩き出した。

 「おばさん、羊肉のを三本」

 「はいよぉ」

 神業かと思うほどの手際の良さで女性は串焼きを紙に包んだ。それを頬張りつつ彼は更に奥へ進む。焼きリンゴ、搾りたての牛乳酒、竹輪の香草焼き、湯剥きトマト、海老のかき揚げ、帆立汁、と次々に仕入れては腹に収める。通りの最後まで来ると、彼は少し考えて右へ足を向ける。

 彼が角を折れたのを見送った氷菓子売りは、横で肩をすくめたウインナ焼きの男と共に感嘆の溜息をついた。

 「いつもながら、あの胃袋はどうなってるんだ」

 「本当にな」

 ひと月かふた月に一度ほど、前触れも無く訪れては連なる店の隅から隅まで仏頂面で食べ歩く。その習慣に気づいた商店組合の一部の人間は、彼はどこか別の組合の諜報員ではないかいや違う高級街のレストランの秘蔵っ子だいやいや有り得ないぞそれよりきっととんでもないグルメ辞典を発行する夢想家だとか、それはもう好き勝手に憶測されていた。

 当の青年はそんな想像が広がっていることなど知ってか知らずか、次なる店を探している。柱と布屋根の軒は途切れて、がっしりとしたレンガ壁の地区へ向かった。幾つものケーキ屋、幾つものパン屋、潰し合いが起こらないのか心配になるほど同種の店が寄り集まっている。どこからも気持ち良く焼けた小麦の匂いが漂い、道行く人を店へ誘うかのようだった。


 木作りの棚は、午睡の時も過ぎて一時間、いい具合にトレーの銀色の表面が見えている。所狭しと並べたのが嘘のようだった。

 「やっぱり、晴れの日に売れると気持ちが良いですね」

 「そうね」

 ティエランは同じく嬉しげな顔のリシーと笑みを交わす。(ふわふわの小麦を味わってもらえるんだもんね。売ってるだけだけど、作ってはいないけど、やっぱり嬉しいもんだわ)

 この時間になると、ぽっかりと客のこない時が続くことが多い。そういえばこの仕事も長いよなとティエランはしばし物思いに耽った。レジ台の鉛筆を何とはなしにいじる。

 カラ、コロロン、とベルが鳴り、ティエランは気を引き締めた。背筋を伸ばし、習慣でレジ台の上をチェック、床面を一眺めして万が一何か落ちていないか確認、パン置き場をざっと見回して補充すべきか考えつつ客に一匙ほどの視線を向ける、はずだった。

 「はへ」

 店員にあるまじき素っ頓狂な声をあげ、慌てて口元を縛るようにきつく閉じる。リシーは幸いに奥へ引っ込んでいたため、ティエランの失態を聞くことはなかった。なかったがこの空間には当然ながら、

 「「……」」

 今しがた入ってきた客も存在していた訳で、彼らもまじまじとティエランを見返した。街の住民らしき落ち着いた格好の、トレーとトングを持ったままの、恐らくまだ十代の二人の青年は揃って、見事に絶句している。

 ぱくぱくと口を動かしている方は、確か詩人と評されていたなぁと動かない頭の隅で、今は全く益にも何にもならない事が思い出された。

 

 「息を吹きかければ、消えてしまいそうだな」

 薄い緑の帯を見る度に、彼女はいつもそう思う。今日は口に出した。

 遥かに広がる草原、その左隅を薄藻の色をした靄が覆う。この場所から到底視認することは出来ないが、靄の下をシフ川が流れていることを彼女は承知していた。その緑より手前には、鮮烈な青緑の葉を付けた木々が茂っている。空と雲と、湿地の草原に、緑。朝焼けを過ぎて、東からの明るい光がその光景を塗り分ける。降りた露が、彩りをより濃くしていた。

 「お変わりありませんか、ツァジンカさん」

 「……君がそうやって驚かさなければもっと健康でいられるが」

 すこぶる元気だよ、と言いながら彼女は窓の外から視線を外し、机の横に立っている青年を見た。いつもの、手入れをしているようなのに着崩している上着、そのポケットから手を抜いて彼は頭を触る。仏頂面の青緑の双眸にほんの少しだけ、申し訳なさそうな色が浮かんでいる。

 (全く、解りにくい)ツァジンカは軽く溜息をついて、

 「君はいい加減にその髪をどうにかしなさい」

 「目の前が完全に見えなくなったら考えます」

 彼が今度は口の端を上げるのを見て彼女はふと、今秘石術で切ってやろうかと思いもしたが、妙に嬉しそうな彼の機嫌を損ねるのも、と止めておくことにした。彼に応接のソファを勧め、自らは書机の椅子にかける。

 「ワンリュウ、今日はどうした」

 「仕事ですよ」

 その答えにツァジンカはほう、と目を上げる。

 「君が、仕事」

 「ツァジンカさん、僕を何だと思ってるんですか」

 「怠け者かつ不真面目」

 「…率直な評価をありがとうございます……」

 仏頂面を崩して苦笑の色を浮かべつつ、青年は左手をポケットに突っ込んだ。小さな袋を一つ取り出して彼女に渡す。ツァジンカの手に乗せられたそれはきめの細かい布を一枚、麻紐で無造作に縛ったものだった。

 「開けても」

 「どうぞ」

 中には丁寧にセロファン紙にくるまれて、黒胡椒にも似た造形の、粒状の物が詰まっていた。(薬か? いや…)透明の紙を開くと、微かに花の香が立ち上る。ツァジンカは彼に尋ねる。

 「光花の?」

 「はい。庭に咲いていたので」

 素っ気のない言い様につい、賞賛の笑い声が漏れた。ワンリュウは訝って少し首を傾げる。(光花の育つ環境を作ること、そしてその香を練る際の秘石術…どれだけの人が苦労すると?)こういう時に限って鈍い、と彼女は未だ不思議そうな顔をした青年を見やる。

 「手にするのは何年ぶりかな。ありがたく使わせてもらうよ」

 彼の瞳に、ほっとした表情が浮かぶ。

 「では、そろそろ」

 「仕事は?」

 「あ、もう良いです。少しはして来ましたし、ついででしたから」

 やはり不真面目だ、とツァジンカが嘆息するより早く彼は右手に石を乗せ、握りこみ、消えた。数拍遅れて部屋の扉が叩かれる。

 「赤玉晶将、いらっしゃいますか!」

 焦り声が彼女を呼ぶ。

 「どうかしたか」

 書机を離れ、もう三十を越えた年には見合わぬ機敏な所作で扉へ近づいた。かちゃり、開いたその向こうには、二人の青年が息を切らして立っている。ダイヤモンドの服が眩しいと彼女は思う。

 息を整えるのも惜しいという風で、背の高い方がツァジンカへ尋ねる。

 「失礼を承知でお尋ねしますが、こちらに黄玉晶将がいらっしゃりはしませんでしたか」

 「ああ。もう消えたが」

 やはり、と彼らは揃って肩を落とす。片方の持つ術具を眺め、苦笑混じりで慰めの言葉をかけた。はっ、とこれまた揃って青年達は姿勢を正す。

 「もしお会いできたらと……突然の訪問申し訳ありませんでした」

 「いや、かまわん」

 今は平和だからなぁ、と誰に言うでもなく呟いた。片肘を支えたツァジンカの手の小袋に、彼らの目が留まる。

 「これか? 光花の香だ。やらんぞ」

 「いえ、とんでもない」

 ツァジンカのおどけた顔に、多少相好を崩しながら彼らは首を振った。

 「あまりワンリュウが逃げるようなら私から言っても良いが、透玉がお前たちに頼んだのだろう?」

 「はい」

 「あいつは間違ったことを告げぬからなぁ…ま、役目だ。急ぐばかりが正解に続く訳でもない。頑張るんだな」

 「「はい!」」

 (眩しい、な)扉を閉めて、彼女は思う。

 (透玉のやつが何を読んだのかは知らんが、あの二人もワンリュウもまだ、若い…)或いはそれが一つの理由なのか、とツァジンカは思考をめぐらせ、銀枠の外を見る。ガラス窓を開け放ち、執務に取り掛かった。

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