第3話 青年と少女は出会う

 唐突に目の前に現れた青年をティエランは、無礼も忘れて凝視した。

 「あぁ、力加減をまずったか…」

 顔をしかめて手の中にある、恐らく石の様子を確かめている。ここは普段から人通りの無い上に、体格が大きい者同士であればすれ違うことさえ難しい路地裏であるが、ティエランの好きな散歩道の一つだった。

 昼過ぎということもあり一応太陽は差し込んでいて、彼の髪色を際立たせている。その青年はティエランには全く気づいていないのか、石をそっと陽光にかざした。黒光り、という程の石ではなかった。数歩は離れたティエランの所からでも、それが淡黄色に透けて灰褐色といっても差し障り無い石であることが見て取れた。風が背後から押し寄せて、青の束がティエランの目の端を掠め、青年の視線が石から逸れてティエランの髪、両目を捉えた。逡巡、驚愕の後、彼の青緑にきらめく双眸は険を帯びて、

 「閃光しろ」

 その言葉が耳に届いた時にはティエランの視界は既に、黄白色に塗りつぶされていて、息をつくこともままならずにティエランは膝をついた。コツ、と彼の靴が近寄る。

 「お前は、クオーヴの生徒か…石術師団の者か?」

 掠れた声が尋ねる。違い、ます、と浅い息でティエランは否定した。(なに、これ…上、ううん、この人から圧迫されてる、みたい…言葉が、引きずり出され、る…)少し前から、秘石術を独学で、使ってい、て、と言う気のないことが自分の口をついて出る。布越しではあるが両膝に伝わる石畳の冷たさが、ティエランにこれを現実だと認識させる全てだった。

 「そうか…すまん」

 淡々とした声音で青年はティエランに謝った。偉そうな訳でもなく、かと言って心底悪いと思っているような声調でもなく…感情の読めない人だと、ぼうっとした頭でティエランはそんなことを感じる。(あ、駄目だこれ)重圧に負けた。両手を地面につき、へたり込む。

 ふっ、と目蓋の向こうが赤暗くなった。それを理解するのと同時に、自分がずっと目を閉じていたことに今更ながら気づく。

 「すまないことをした」

 彼の声が存外近くで感じられ、ティエランはゆっくりと目を開けた。

 オアシスの瞳、という形容が心に浮かぶ。透きとおる緑の奥に広がるのは青、海の色とも湖の色ともしれない深い青。知らず、ティエランは感嘆の息をついた。そのため、自分のそれと彼の溜息が被さっていたことには気づかずに、彼の手が持ち上げられて自分の髪を一房すき上げた時、本気でティエランは驚いた。

 「良い青だ」

 それだけを口にすると、彼は立ち上がる。さら、と彼の右指からティエランの髪がこぼれ落ちた。その房はまた後ろからの風に遊ばれて、更に強い、石風と呼ばれる突風がティエランの髪を根本から巻き上げていく。上着のポケットに片手を突っ込み、青年は半ば諦めたような口調でティエランの背後へ話しかけた。

 「あんたら、しつこいよな」

 「そう言われても、任務ですので」

 困った声が石畳に響く。ティエランは、どこかで聞いたような、と思って振り返るとそこには二組の白服が居た。昨日すれ違ったダイヤモンド石師達だった。術衣の合わせ目から両腕を見せ、手を握りこんでいるのは何らかの石術を行使しているからだろうか、とティエランは考え込んだ。右側の術師が一歩足を踏み出す。カツン、と小気味良い音が響き渡った。

 「緊急を要します。即座に師団にお戻り下さい」

 「やだな」

 「感情の問題ではありません」

 「義理や遺言の約束事は感情に入るかい?」

 「問答をしている場合じゃありません。弁えて下さい、黄玉晶将!」

 未だ座り込んだままのティエランは、石師の最後の言葉に反応して、青年を見上げる。(晶将…って、石術師団の最高クラス、だったよね)つい、繰り返す形で彼に尋ねた。

 「黄玉晶将、なの?」

 彼はそれには答えず、まじまじとティエランを見た。

 「お前、あいつらの声聞こえてんの?」

 「へ?」

 青年はぱちぱち、と瞬きをする。故意にしたようだ、と訝ってティエランが首を傾げると、青年はごく薄く微笑んだ。す、としゃがみ込んで彼はティエランと視線の高さを合わせた。

 「石、見せてみ。お前が使ってるの」

 「え、は、はい…?」

 ズボンのポケットにあたふたと手を入れ、ティエランは巾着から石を二つ、今朝使ったものを取り出す。青年はそれらを一瞥し、

 「良い石だ」

 そう呟く。こつん、と左の中指で片方を叩いた。その瞬間ティエランはその石が確かに『うごめく』のを感じた。身体の芯のどこかが、言い知れぬ、見知らぬ感触に畏れを訴え、喜びに打ち震える。その、石の声をティエランが受け取ったことさえも青年は察したようで、

 「お前、才能あるよ」

 そう告げる、掠れた声は確かに、微かな嬉しさの色を帯びていた。

 何も言えずにティエランが青年を見つめ返すと、

 「ちょっと待ってな」

 彼はポケットに突っ込んだままの右手を引き出し、その掌に微細にカットされた透明な石があるのをティエランが目にするのと同時に、

 「覆い隠せ」

 ぼそりと呟きを落とした。


 「やられた…」

 後ろについていた石師が声を発する。術衣の下で複雑に組み合わせていた石術具を降ろし、同様に立ち尽くしている相棒の肩を叩いた。

 「出直しだ。民間人、といってもあれはどうやら青石を扱えるようだが、娘がこのフィールドに入り込んでたことなんて、予測できなかった」

 ああ、と生返事の相方に彼は眉根を上げる。どうした、と尋ねると相方は真剣な顔つきで振り返った。

 「あの民間人、昨日見たムーンブルーの少女だ」

 「ほう…で、何なんだ? 偶然そうだったとして、何が言いたい」

 「この街に住んでいる」

 そうかもしれないな、と彼は相槌を一つ、それから相方の言おうとしていることに気がついた。

 「そうか」

 「そうだ。我々の任務に一役買ってくれるかもしれん、そうだろ?」

 二人の表情は少し明るくなる。連れ立って歩き出し、石術具を完全に解体した後彼は疑問を発した。

 「彼女、黄玉晶将と共に消えたんだぞ。どうするんだ?」

 相方は立ち止まる。彼も立ち止まった。

 「…どうしようか」

 「どうしようなぁ…」

 半刻程度日が傾き、薄暗くなった今の裏路地に残っているのは彼ら石師達だけであった。


 黙々とパルフェを食べるティエランを、リネッダはどうしようかと思案しながら眺めている。ティエランは決してつまらない風ではなく、久方ぶりの甘味に心躍っているのは長年の付き合いであるリネッダに伝わることはそうなのだが、

 「ティエー…」

 「はん?」

 ぱっと顔を上げてティエランはリネッダを見つめる。

 「もっかい聞くけど、何悩んでんの?」

 「あっは」

 スプーンを口に突っ込み、ティエランはすぐに答えない。リネッダは辛抱強いと言える時間を待っていた。パルフェと一緒に持ってきてもらった珈琲はもう冷めている。リネッダが意味もなく砂糖をその中に落とし、かき混ぜていると、ティエランはぽそりと呟いた。

 「本気で掴みたい何かって、リネ、ある?」

 「うーん…そうだね、あるよ」

 「服飾の技術?」

 「ううん。違う」

 ティエランはリネッダを見返した。

 「私が心底頑張って作った服を一生好きと言ってくれる人、よ」

 「…そっか。良いね、それ」

 「でしょ」

 大した会話はその後特には起こらず、リネッダはティエランをわざわざ店の裏口まで送ってから帰っていった。

 階段を上った一番上で、遠くに光る月を見上げた。雲が光を和らげている、いわゆる朧月夜だった。

 「あたしが心底頑張って、掴みたいもの…」

 ズボンの左ポケットに入れている黄色い石がまた、ティエランを呼んだ。


  『これを「聴く」ことが出来れば、また会うこともある』


 何に関しても明言せずに、青年はティエランに鈍い黄色の石を渡して、いつの間にか目の前から消えていた。辺りを見回せば人ごみのセンタースクエアで、どこをどうやって来たのか全く解らなかった。

 朧月夜の光が柔らかに、ティエランの青い髪を照らす。つ、と踵を返してティエランは自室の扉を開ける。

 すう、と夜風が一束髪をさらった。

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