第2話 秘石術の頼まれ事
「今日も良い天気、ですねぇ?」
早朝のからっとした風が吹く中で品出しの準備をするティエランの背中に、誰か少女の声がかかる。(まだ開店まで二時間あるんですけど…)顔にはそれは出さずティエランは小机を抱えたまま振り返り、
「リネじゃん! どうしたの? あんたが早起きなんて珍しい」
リネと呼ばれた少女は、ゆるく一つに編まれた小豆色の髪を揺らして所在無げに立っていた。訝しげなティエランの顔が、はたと閃いて『うげっ』と言う台詞のよく似合う表情を作る。それを待っていたのだろう、彼女はぱしんと手を合わせ、ティエランを拝んだ。
「こんな朝からもーしわけないんですが何卒何卒…!」
ティエランは空を仰いだ。(うん、今日も良い天気、ですねっと)
「りーねーぇっだーさーん?」
名前を呼ばれ、うう、と目を上げた彼女はティエランの指が三本立てられているのを見とめた。こてんと首を傾ける。お下げも合わせて傾いた。
「なにそれ?」
「貸し分、これで三回目。さてさて覚えてないとは言わせないわよ」
「ふぎゃぁ、うっそん!」
喉の奥で笑いながらティエランはぐいっと指を彼女に突きつけた。
「リネッダ、今日の夜あたしにパルフェを奢ること!」
「…はぁい、なんでもごちりますから今から探して下さいますか先生」
「うむ」
リネッダを入り口脇で待たせ、ティエランはドアを半開きにして店内に首を突っ込んだ。レジを整えているリシーと目が合う。やりとりを見ていたのだろう、彼女は苦笑顔でティエランに両掌を向け、ひらひらと振った。溜息とこちらも苦笑混じりにティエランは軽く頭を下げ、さっとドアから離れて外回りで裏口階段へ走る。リシーはカウンターから出た。
「リネッダさん、また針無くしたんですか?」
リシーはドアをきちんと閉めるついでにリネッダに話しかけた。え、うんそんなところ、と肩を落とす彼女にリシーは慰めの言葉をかける。仕事のミスはどうも罪悪感がついて回る、と二人でこぼす。
「にしてもリネッダさん。ティエさんがいて良かったですねぇ」
「ほんとだわぁ」
のんびり、ふくふくと笑う彼女の後ろ、駆け戻ってきたティエランはリネッダの頭を軽くはたく。肩掛け鞄の紐を直し、リシーに片手で謝った。
「急いで戻るから! 開店には間に合うと思うけど…」
いえ、と笑顔で見送るリシーとおじぎをし合う、リネッダの背中で結ばれたエプロンの紐をティエランは引っ張り、歩き出した。
リシーは外机の位置を改めて、大窓の向こうで親方がきよろきょろと店員を探しているのに気がついた。ドアをくぐり、ティエランが一時リネッダと共に出かけたことを告げる。それ以上の説明無しで彼は状況を飲み込み、顎を撫でながら朝日にしょぼしょぼした目をリシーに向ける。
「昨日も、アングの息子が何か頼んでたぞ。あいつは人気者だなぁ?」
それは何か違う、と思いはしたがリシーはそうですね、と頷くに留めた。
リネッダがそっと自室の扉を開けて、ティエランを先に通した。ティエランはベッドに広がる上着や作業着を脇にやり、勝手知ったる顔で腰掛ける。鞄から革表紙の本を取り出しながらリネッダに尋ねる。
「で、リネ、今度は何を失くしたの?」
「お客様の預かりボタン…飾り文様のかがりを直すときに一旦全部取らなきゃいけなくてね、で、その一式を、ね、まぁそんなとこです」
「毎度思うけど、よくそれでお針子やってられるよね」
やれやれと肩をすくめ、ティエランはズボンのポケットに手を突っ込んだ。薄い巾着袋をつまみ出し、そこから数個の青い色をした石を転がす。大きさは不揃いではあるが、どれも均一な大きさをしている。次に膝に乗せた本を繰り、目当てのページを見つけ出すと重しに、
「借りるわよ」
枕側の棚から木製の針入れを取ってページの右上隅においた。簡素な図とその横の説明を追っていくティエランを眺め、リネッダは小首を傾げる。
「ティエ、そんな本持ってたっけ?」
「拾った。すごくない? これクオーヴの教科書よ」
「いっぇええ嘘でしょぉ…どこで! あっ、闇市でしょ?」
目を見開くリネッダにティエランはにやりと笑い、
「アーチ下、本当に拾ったの」
そう告げるとまた文章に目を戻す。左手が青石を弄んでいる、かと思うとそれらを握りこみ、鞄にその手を突っ込んで一枚の羊皮紙を取り出した。すたん、と立ち上がり作業台の椅子にその紙を置く。何も書かれていないそれにぱぱぱん、と石を三つ、一つの頂点が手前に来るように等間隔の三角形に並べた。そしてリネッダを振り返り、手招きする。彼女を自分の左脇に立たせ、その右手を握り言う。
「黙って見ててね」
首を軽く振って髪を右横に流し、息を軽く吸いティエランは目を閉じた。間もなくすっと開かれた両眼は羊皮紙に置かれた三点の青の中央を、その向こうを見据える。
「対象関与者、リネッダ」
名前を呼ばれたが彼女は声を出すのを踏みとどまった。ティエランは右人差し指を最も近い石に触れるか触れないか、静止させて、
「紛失物、客からの預かりボタン一式」指を右上の石に移動、「紛失物の方位を示せ」そのまま指を左へと動かし、「行使者ティエラン、並びに座標原点」その指は宙へ舞った。リネッダの目がそれを追いかける。ティエランは間髪入れず人差し指を図形の中心へ、
「発」
打ち下ろした。
さやさやと枝葉が揺れる。センタースクエアに建つ開祖像の前は人でごった返していた。雲が日差しを和らげており、軒下に入って陰を取る者はそう多くない。銅像を同心円上に囲む形となっている市場、その一角にそう繁盛している風でもない喫茶店が屋根を構えていた。
室内のテーブルは一つだけ埋まっており、屋根の突き出した下の長机には幾人かが思い思いに座っている。この国は大多数が周辺各地より集まった移民が基盤となっているために、髪・肌色共に様々な人が行き交う大通りやこの中央市は一種観光の場と化していた。見て楽しむことの先を行けば、異国の地の珍しい話を聞くこともあるし、己の話が酒の肴になることもある、シートゥベルクはそんな賑やかしい城下町として名が知れていた。
「兄さん、前ええかいな」
ハムバゲットとカップの乗ったトレイを置いて、褐色の男性が珈琲を飲んでいる男性に声をかける。その青年はどうぞ、と手で了承を示した。
しばし世間話めいた会話が続き、ふと褐色の彼は尋ねた。
「兄さんは何処の出や? 俺はシフ川の上流から来たんやが」
「何処に見えます?」
青年は幾分か面白そうだというような笑みを口元に浮かべた。
「ええ…その目が気になって聞いたんやがな、ううんちょっと待てな」
壮年の男性は笑いながら、カップの中身を飲み干した。
「ここのビールは美味いな、評判通り。お、そうや、お前さんの地元にはこういうのんはあるか? 俺んとこは発泡酒はあるっちゃあるけどつうレベルでな。俺はまだ来たばかりでよう分かってへんけども、酒飲みはこの街にようさん流れてくるんちゃうか」
「そうですね。知り合いに酒好きは割合、多いですよ」
褐色の顔が大口を開けて、気持ちの良い笑い声をあげた。青年も笑む。
「酒で有名な通りは行かれました?」
「いや? そんなのあるんか」
嬉々とする彼に頷き、青年は銅像の向こうを指差す。
「あそこの赤と青が交互になっている瓦屋根の店があるでしょう」
背後へ首を巡らして彼はその屋根を認め、頷いた。
「そこの角路地を右へ…」
ざあああ、と突然に風が吹き過ぎた。銅像の周りにいた人々の髪や衣服が波打ち笑い声のようなざわめきは離れた屋根の下まで届いた。
「わっ、これが石風って奴かいな」
壮年の彼は軽い驚きの声をあげた。よくご存知で、と青年は相槌を打つ。親類にこの国へよく来るものが居てな、突風が吹くというのを聞いたんだと男性は笑う。原因は分かってないんだろ、と青年の方へ向き直り、
「あれ?」
机の前には誰も座っていなかった。辺りを見回せど青年は何処にも見えず、飲み残しの珈琲カップだけが残されていることに彼は首を捻った。
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