少女ティエランは秘石術を使う
歩月琳兎
秘石術
青の娘は未だ世界を知らない
第1話 石術大国ユーシュエンにて
*************
黄雄を引き連れて
飛んで行く
想いは
どこへ、どこへ。
紫泡の彼方はあなたが立つのだろう
それならば、私は前へ進もう。
それだけが、道標。
あなたの手の温もり。
握る石が告げる。
*************
シフ川は今日も大空を映して青々と流れている。
西より吹く風が波とたわむれて、渦巻く泡は石を打ち、魚群を運び、うねり急流となり滝壺に落ちて悠々、緑を取り巻いて蛇行する。ある所で森が切れ、岩場ではなく砂地の河原が広がった。奥に自然由来ではない煙がたなびく。疎らな木々の奥に見え隠れしているのは岩造りの城壁、そして歪ながらもどこか美しく折り重なった瓦屋根、陽光を受けて白く見える物々しい欄干。周辺の属国を従えて三十余年の城壁都市がそこに有った。
ユーシュエン――秘石術の力でのし上がった王国である。
窓布を巻き上げ、目に受けた眩しい光にティエランは首を振った。
「んーっ、今日も良い天気」
半ば口癖となっているこの言葉で皆は一気に動き始める。リシーが店のガラス戸を押し開けた。むあっと外気の熱が入り込む。カチャカチャとトングを鳴らす音とトレイのぶつかるリズムが響く。平日最終日の今日最初の客は、クオーヴの生徒たちだ。そろそろ常連に格上げかという彼らは、落とす言葉の端々から未だジェムス生だと知れていた。
大袋を抱えた彼らと入れ替わりに、出勤客がどっと押し寄せる。(さぁ、今日も忙しいぞ)ティエランは腕まくりをして、焼きたてですよと声を貼り上げる。親方ののんびりとした声も加わり、心地良い喧騒が生まれた。
「ティエ、あがっていいぞ」
午前の客も捌けて店内には誰も居ない。はあいと返事をしてティエランはレジをメイヤに任せる。後少しすれば昼ラッシュだ。厨房を抜けて裏口の階段から自分の部屋へ、行く途中でエプロンを洗濯籠に放り込んで、共用の物干し竿にネクタイを吊り下げた。どさ、とベッドへ倒れこむ。
「おなか…すい…た…」
大抵、朝日が昇って三時間もすれば「はらへりんこー」と連呼しているティエランだがこうなると手のつけようがない。何も考えること無く財布を手に取り、夢遊病者のように街へ出る。朝にパンは一昨日分のだがかじっているので炭水化物ものは自然に足が避ける。しかし、
「ぱ…ぱおず…」
包子の肉汁の香りにつられたティエランは迷わず列に並んだ。すぐ順番は回ってきて、恰幅の良い女性に「鶏肉の二つ!」と嬉々として叫ぶ。叫びながら財布を確かめ、「豆野菜も!」と追加をかけた。
ティエランがイエンバオ・マイディーに帰ってきたのは午後三時のことで、親方がぼけらんと暇そうにレジカウンターに立っていた。
「いくら暇だからってもっと、しゃんとしてして下さいよ」
「うん、まぁもうすぐティエが帰る頃合いだから良いかなって」
何が良いんですか、と毎度の突っ込みを入れつつ差し入れの揚げ豆腐を彼に渡す。ドア上にかかる時計を確かめて、ティエランはまた外へ向かった。親方が首を傾げて、顎をかいた。
「今日はよく外にいるな?」
「そんないつも引き込もりみたいな言い回し止めて下さい…ムーシャの店に胡桃を注文しに行ってきます、まだ在庫はありますけど」
「ああ、助かるよ」
人柄の良さが分かる笑顔が返ってきた。(この人、絶対に嘘ついたり疑ったり出来ない人種だわ、いつもながら感涙よ…)ティエランは行ってきます、とドアノブを握る。そっと閉めた向こうで鐘の鳴るのが聞こえた。
コツコツと石畳を踏むヒールは街を行き交う沢山の人々と共に、雑踏をかき分けてティエランは一つ隣の横丁に入る。顔なじみと声をかけ合う。目当ての家屋に辿り着き、引き戸の横に吊ってある銅板を三回叩いた。
「ムーシャの旦那ー! いますかぁっ」
返事を待ちながら空を見上げた。細い軒下が建ち並ぶ、その向こうに流れる雲はうっすらオレンジ色を帯びている。不意に風が首筋を撫でた。
カラン、と乾いた鐘音が鳴る。初めて会った時はつい気後れするような堅物の顔がドアの隙間からこちらを見ている。
「こんにちは、イエンバオです」
「ティエかい…あいつかと思った」
ぶつぶつと呟く所を見るとまた奥さんと喧嘩でもしたようで、ティランは内心苦笑しながら注文を告げる。サインを終えて頭を下げ、帰ろうとした時、ちょっと待て、と引き留められた。
「これでも持ってけ」
「あ、ありがとうございますー! ピスタチオ?」
ん、と彼が頷くのとドアが閉まるのがほぼ同時で、ついティエランは笑いそうになった。コォン、コォーンと時告げの鐘が聞こえてくる。(もう半刻も経っちゃったか)店へ急ぐ足は、横丁の出口付近でつ、と止まった。
「そうか。スクエアの分の反応は?」
「無いな…残念ながら」
秘石術師が二人、何やら真剣な表情、どちらかというと困り顔で顔を付き合わせていた。どちらも長身の、男だろうかとティエランは推測する。一目で男性と判別できないのは、体を覆い隠す白い術衣を着ているからだ。日の光に鈍く輝いているその白は、ダイヤモンド石師の印だった。(こんな町中で何を話しているのかしら?)普段は中々お目にかかれないその姿を無礼にならない程度に眺めながら、ティエランは脇を通り過ぎる。
「おや」
「ほう」
明らかに自分を指していると思われる二人の言葉だったが、違っていた場合が恥ずかしいので、ティエランは何も聞こえなかったふりで歩くことに努めた。メイン街路へ踏み出し、しかしつい後ろへ耳を傾けてしまう。
「真に美しい青、だなぁ」
「ロイヤルブルームーン、といったところか?」
「おぉ、さすが詩人…」
最後はもう聞き取れなかったがティエランは頬、耳が熱くなった。自分を褒められるのは何度経験しても、慣れない。元が遥か遠くの遊牧民の血というのもあって、どこか気が引けてしまう。だが、細くしなやかなティエランの青髪を綺麗だと言ってくれる人は多く、店の常連の中には挨拶がわりに賛辞を送っていく者もいた。
その髪は今、夕陽の照り返しを受けて尚美しい青を放つ。緩やかにハーフアップでまとめた上の簪、その飾り玉がティエランの歩調と揺れる。
古物商の店が目立つ、大通りからは筋を離れた路地に一人の若い男性が姿を現した。日はとうに暮れていた。彼は既に人通りも無い道を見回し、呟く。
「ここは何も、無いか」
暗闇に浮かび上がる色素の薄い髪、その下に隠れた瞳がつい、と路地の先を見やる。街灯の作る黄色い半円をたたん、と猫が横切った。男性は溜息をついて右肩を軽く回した。
彼は上着のポケットから黒光りする石を取り出し右掌に乗せて、中に何かが入っているような目付きでそれを眇める。キャッツアイの光が鈍く灯を反射していた。これで良いか、と呟き、ぽん、と左手を鎮座する黒石に無造作に覆い被せた。
「隠せ」
掠れた声は手から湧き上がる風に紛れ、男性の姿は音も無く消えた。
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