第6話 マユ、カヌーを体験する(1)
「これが今日使う舟じゃ。持ってみなさい」
私は地面に置かれたその舟の、人が乗るコックピットの縁を持って持ち上げようとした。
「重い!」
その舟はちょっと傾いただけだった。両手で持っても持ち上がらない。
「その舟は小さいが13kgある」
「あのー、私はこういう舟ではなくてカナディアン・カヌーに乗りたいんですけど」
「カナディアン・カヌーを知っとるのか?」
「はい。そこのキャンプサイトでカナディアン・カヌーを持っておられる方がいらっしゃったので、さっきお話を伺ってたんです」
「ああ、山田じゃな」
「はい。山田さんは川中さんのこと『師匠』って呼んでましたけど」
「うむ。あいつにカヌーのいろはを教えたのは儂じゃからな」
「私にもカヌーのことを教えてください」
「カヌーとカヤックの違いを知っておるか?」
「はい。それも山田さんから教えていただきました」
「そうか。はっきり言うとカナディアンについてはほとんど教えることがない」
「え?どういうことですか?」
「簡単すぎて1時間もすれば講習は終わってしまうのじゃ。あとは実際の流れに乗って体で覚えるしかない」
「そうなんですか?」
「まあ、あんたがそれでもいいというなら仕方ないが。でもせっかくビキニの水着を着ておるのじゃからもっと時間をかけて堪能したい……」
最後の方は聞き取れなかった。いや、聞き取りたくなかったと言うのが正しい。
「まあよい。じゃあカナディアンをやってみるか」
「はい。よろしくお願いします!」
2人がかりで艇庫から1捜のカナディアン・カヌーを引っ張り出した。
「重いですね……」
2人で持っても肩が抜けそうに重い。
「このカヌーは長さが486cmで27kgある」
「げっ!さっきのカヤックの倍ですか!」
これでは私一人では運ぶことすらできない。車に積むなんてできそうにない。それにどこに保管するんだって話だ。
やっとの思いで水辺までカヌーを運んだ。
「これがカヌー用のパドルじゃ。パドルは分かるかな?」
「はい。山田さんに教えていただきました」
「うむむ、山田の奴め…… わしが教えることが何もなくて何よりじゃ」
師匠はカヌーを押して河原から水の上に浮かべた。
「じゃあさっそく乗ってみるか。あんたは前に乗りなさい。わしは後ろに乗る。ところであんたは右利きか?」
「はい。右利きです」
「ではパドルのハンドル部分を右手で握って、柄を左手で持って、こんな風に舟の左側の水を漕いでみなさい」
私はブレードが水を掴むように角度を考えながら漕いでみた。舟がすーっと前進する。
「よし。その調子でどんどん漕ぎなさい」
舟はまっすぐ進んで行く。対岸が近づいてきた。
「では右に曲がるぞ。あんたは今度は左手でハンドルを握って右手で柄を持つようにするのじゃ。うむ。それで舟の右側にパドルを入れてそのまま漕がないでじっと止めておきなさい」
私は言われた通りにパドルを持ち替えて、左舷から右舷に移ってパドルを水につけ、動かないようにしっかりと柄を握った。インストラクターのおじいさんは後方で左舷側を漕いでいる。舟はくるりと右に回転して来た方向に舳先を向けた。
「ではまた左側を漕ぎなさい」
インストラクターのおじいさんは私と逆側の右舷側を漕いでいる。それぞれが違う舷側を漕ぐことによってまっすぐに進むことを知った。さっきスタートした場所が目前に近づいてくる。
「今度は左に曲がるぞ。あんたは」
「はい!左側にパドルを入れたまま止めればいいんですね!」
「うむ、察しがいいな、お嬢さん」
そう言うとおじいさんは右側を漕いだ。舟はまたくるりと左に180度回転して、今来た方向に舳先を向けた。
「うむ。これで基本的な漕ぎ方の講習は終わりじゃ」
「へ?」
「一人で乗る場合は右と左を交互に漕げばまっすぐ進むし、左を漕げば右に曲がるし、右を漕げば左に曲がる。それだけじゃ。もうあんた一人でもこの舟を操ることができる」
困惑顔の私を見ておじいさんは、
「嘘だと思うならやってみるか?ほれワンちゃんも乗せてやればよい」
私はクマを乗せてカナディアン・カヌーを一人で漕いだ。クマが不安そうに私を見ている。
「大丈夫だよ」って声を掛ける言葉が震えているのが自分でも分かる。笑顔も強張ってる。私は深呼吸して漕ぎ始めた。
舟が沖へと進んで行く。同じ側ばっかり漕ぐと舟は曲がって行くので、左、右、何回かづつ交互に漕ぐ。一生懸命に漕いで、気が付くと対岸が目前に迫っている。曲がらなきゃ! よし、右に曲がるぞ、ってことは左側を漕いだらいいんだよね。
私は左舷にパドルを入れて漕ぐ。いや、ほとんど漕がなくても水に浸けたブレードの角度お調節するだけで舟はくるりと右に回転してしまった。そうか、ブレードが舵の役割をしてるんだ!
スタート地点に戻るまでクマはもう慣れたらしく、舳先から顔を出してうれしそうにお尻を振っていた。短い尻尾がふるふると震えている。カヌー犬の素質があるかもしれない。
おもしろい……けど……何かもの足りない。
「カナディアン・カヌーは大きいから安定性は抜群じゃ。荷物も積んだら重くなってさらに安定する。そのかわり動きが鈍いから川の流れの先々を読んで早めに方向転換しないといかん。だから流れが速くて変化に富んだ日本の川にはあまり向かん」
「午前中はそのあたりをもうちょっと漕いで、午後からその先の瀬を下りて少し川下りを体験してみるとするかの」
そういうわけで今度は私が後ろ、おじいさんが前、クマは私の近くをうろうろして舷側に前足を掛けて乗り出して水面を見ている。おじいさんはもう右とか左としか指示しない。私はその度に左を漕いだり、右を漕いだりするが、さっき発見したとうり、漕がないでブレードを水に浸けて舵をとることもやってみた。
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