第4話 マユ、カヌーとカヤックの違いを知る(2)

「ほら、舟を漕ぐときに使うこれ、何て言うか分かる?」

「オール、ですか?」

 おじさんは苦笑いして、

「そうか。じゃあもう少し話を広げましょう。カヌー、カヤックだけじゃなくてボートっていうジャンルの舟もあるんだよ」

「ボートは知ってます。公園の池で乗ったことあるし」

「ボートに座って漕ぐとき使う道具がオールなんですけど、あれって船体に固定されてるでしょ? しかも左右2本ある。そして進行方向は自分の背中側になる。つまり漕ぎ手の後ろ向きに進む。あれがボートです。それに対してカヌーやカヤックで使う漕ぐ道具は船体に固定されていなくて1本だけです。そして漕ぎ手の前方向に進む。そのカヌーやカヤックで使う漕ぐ道具はオールじゃなくて『パドル』って言います」

「パドル」 私は復唱した。


「で、こんな風に片側に手で握るためのハンドルがついていて、反対側は水かきになってる。この水かきのことを『ブレード』って言います」

「ブレード」 また私は復唱した。

「で、このように片側にだけブレードが付いているパドルで漕ぐ舟のことをカヌーっていいます」

「はい……」

「パドルには大きく分けて2種類あります。一種類が今僕が持ってる片側ブレードのパドルですが、もう一種類は左右両側にブレードが付いたダブルブレードで、パドルの中ほどを両手で持って漕ぎます」

「はい……」

「そういうダブルブレードのパドルで漕ぐ舟のことをカヤックって言います」

「パドルの違いなんですか?」

「端的に言えばそうなんですが、パドルが違うってことは舟の形状が違うってことなんですよ」

 よく分からなくて首を傾げる私。

「ここにダブルブレードのパドルとカヤックがあれば分かりやすいんだけどなあ……」


「たとえば今目の前にあるのは『カヌー』ですが、特にこういう形のものをカナディアン・カヌーって言います」

「カナダで使われてたってことですかね」

「僕も詳しいことは知りませんが、たぶんそんなところだと思います。カナダの広大な大地をゆったりと流れる大河を下るのにピッタリな舟なんです」

 私がカヌーをやりたいって思ったきっかけになった写真の中の舟が、まさにこのカナディアン・カヌーだった。このタイプの舟は幅も広いし、ダブルブレードのパドルでは使い難いことは容易に想像できる。


「それに対してカヤックって言うのは元々北方のエスキモーの人たちがアザラシ漁をするために氷の浮いた海で漕ぐための舟だったんですよ。エスキモーって知ってます? ただエスキモーは差別用語だと言うことで今はエスキモーとは言わなくなっているらしいですけどね」

「あっ、聞いたことあります。エスキモーは差別用語でイヌイットって呼ぶべきとかって話じゃありませんでしたっけ?」

「うん、その辺りの差別云々については僕もよく知らないし、とりあえず今は関係ないので一応エスキモーってことで話を進めますね」

「はい」

「北極圏の氷が張った海で漕ぐわけですからカナディアン・カヌーみたいにデッキがオープンな舟ではパドルで漕いだ水が掛かって冷たいんですよ。それに氷もあるし波も風もあるしで舟がひっくり返ることだってあるんですね。氷の浮いた冷たい海でひっくり返ったらどうなると思います?」

「陸まで泳いで行くなんてできないだろうし、氷の上に這い上がっても寒くて凍死しちゃいますね」

「そうなんです。だからカヤックと呼ばれる舟はデッキが閉じるようになっていて、下半身は舟の中にすっぽり入って上半身だけ外に出るような構造になっているんです。そしてもしひっくり返っても船内に水が入ってこないようになっているんです。荷物はアザラシを撃つ銃くらいだから、カナディアン・カヌーみたいに荷物を大量に積む必要もないので、幅も狭くて小さいんです。そういう舟はダブルブレードのパドルで漕ぐ方が効率的で素早く進める」

 私はエスキモーが銃を背負って氷の浮かぶ海をアザラシを探して静かにカヤックを漕ぐ姿を想像した。アザラシを見つけた漕ぎ手の人がダブルブレードのパドルを舟の上に置いて銃を構える。


「そして何より面白いのは彼らは舟がひっくり返った状態からパドルを使って水の中から自力で起き上がるんですよね。その技のことをエスキモーロールって言います。まあさっきの差別用語云々の話もあって今では単にロールって言いますけどね。あなたが言うように氷の海で泳いだり氷の上に這い上がったりしていては凍死してしまうでしょうから、ロールは命の懸かった必殺技ってわけです。だからカヌーとカヤックの違いを考えるときはパドルの違いと言うよりも、カナディアン・カヌーとエスキモー・カヤックを想像してもらった方が分かりやすいと思います。使用目的の違いの結果、船体やパドルの違いが発生したんですね」


「すごい!よく分かりました。ありがとうございます。お詳しいんですね」

「一応この道20年のベテランですから知識だけは豊富ってわけです。褒めていただいたついでにもう1つお話しましょう。カヌーはオープンデッキでシングルブレードって言いましたけど、それはカナディアン・カヌーの場合で、競技用のカヌーって言うのもあって、その場合はカヤックと同じようにデッキは閉じるようになっていて下半身は舟の中にすっぽり入るようになっていて、ひっくり返っても船内に水は入ってきません。理由は競技中にひっくり返ってもロールで起き上がって競技を続行できるようにするためです。さらに言うとオープンデッキのカナディアン・カヌーでもロールで起き上がることは可能です。ただその場合は膝をベルトで船体に固定する必要がありますけど。カナディアン・カヌーを使った競技もありますしね」

「競技ってどんなことをするんですか?」

「見たことありませんか? まあ普通は見ないかな。カヌーやカヤックの競技ってオリンピック種目にもなっているんですよ。一度見て下さい。面白いですよ」

「ええ、そうなんですか!? 帰ったらネットで検索してみます」

「カヌーやカヤックの競技を見るんだったら、種目の意味も知っておいた方がいいね」

 そう言うとおじさんは荷物からノートを取り出して、いくつか文字を書きつけた。

 K-1、C-1、C-2、OCー1

「???」

「カヌーは頭文字を取って『C』って表記します。カヤックは『K』ですね」

「なるほど。末尾の数字は……」

「乗艇する人数です」

「K-1、カヤック1人乗り。C-1、カヌー1人乗り。C-2、カヌー2人乗り。OCー1って何だろう……」

「ここで言うC-1やC-2はクローズデッキカヤックのことで、CC-1とかCC-2って言い方もします」

「あ!OC-1ってオープンデッキカヌー1人乗りって意味ですね!」

「当たりです! まあオリンピックにOC競技はありませんがね。このC-2って面白いんですよ。クローズデッキで下半身が見えませんから1つの船体から二つの上半身がにょきっと生えているみたいで。それがそれぞれ違う動きをするもんだからちょっと不思議な感じがします」


「最近はカヌーやカヤックだって言っても様々な新しい種類のものがどんどん出て来ています。シットオンとかパックラフトとか。でもカヌーなのかカヤックなのかはどんなパドルを使うかで決まることは覚えておいてください。ああ、長々と講釈を垂れてしまいましたね。私はそろそろ出発の準備をしないと」

「すいません! お忙しいところをおじゃましてしまって。でも、すごく勉強になりました」

「最後にもう1つだけ。そのカヌー館でインストラクターやってる川中さんって言うおじいさん、僕の師匠なんです。すごく上手な人なので教えてもらったらきっと上達すると思いますよ。ちなみに僕は山田っていいます」

「あ、申し遅れて失礼しました。私は山中と申します。今日は本当にありがとうございました!」

 いえいえ、では頑張って下さい、と山田さんは言って私たちは分かれた。




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