心象風景

イソラズ

屠殺



牙を抜かれた孤虎が歩く。


もはや理由も見つからぬのに。


虎は足を引きずって、向かう道すらも見失う。


爪の無い手のひらばかりを見つめ、かつての冒険をなぞろうと足掻く。


しかし、それは徒労に終わった。

全て夢の中の動きのように、もはや虎は何事も思い出すことはできない。





:::




荒れ果てた部屋に、落書きがなされている。


怒り、怒りの言葉。


あぁ、我が身に潜む激動の魂よ。


もはや鎮まり返り、反抗の欠片も失ったと思われたその心よ。


今一度、帰ってきてはくれぬだろうか。


だが、一度消えた焚火は、もはや火の粉でしかないのだろうか。


苦しい。苦しい。


これは誇大な妄想か、あるいは過去回想なのであろうか。


後ろを振り返って見える、このボロボロに壊れた黒い翼は、もとより奇形であったのか。


大空を羽ばたいていたかつての私は、全て浅き夢の世界で、目蓋の裏の幻に踊らされていただけなのだろうか。


もはや道は見えぬ。


イデアは枯れ果てた。


私は終わりだ。




;;;



虎はやがて泉を見つけた。


小さな泉である。


かつての縄張りである巨大な山河とは異なり、枯れ果てた不毛の大地のなか、泥を浮かべて湧き出ていた。


虎はその泉を、舐めようか迷った。


だが、虎は誰よりも知っている。


舐めねばいかぬ。


舐めねば、俺は虎ではなくなるだろう。

そして、牙の抜けた子猫になり、他の獣に喰われるのだと。


あぁ、苦しい。


こんな泥水を啜れというのか。


疲れ、傷付いたこの体を引きずって、長い道のりを旅し、その末路がここか。

·····いや、ここからだ。


俺の旅はここからなのだ。


旅を続ける為にも、この水を呑まねばならぬ。


苦しい。胸の奥が。


堪えようのない怒り、情けのなさ。


これを飲んで、何になるというのか。

もはや俺に牙は無い。


かつての強さは再生しないと言うのに。




―――



目の前に、大きなハンマーがあった。


私は、とりあえず手に取った。


ずっしりとしたハンマーを両手で振り上げ、落書きだらけの壁へと振りかぶった。



―――



虎は思った。


『俺は、俺を殺さなければ。』



「俺は、俺を殺さなければ」


殺さなければ。殺さなければ·····。


殺せ、殺せ、殺すのだ。


あぁ、頼む。頼むから───·····、




───再誕を。




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心象風景 イソラズ @Sanddiver

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