第3話
樵のおじさんの乱入で、途切れてしまった話を続ける。
赤ずきん、と呼ばれる女の子が森の奥のおばあさんへ、食事を届けに行く。
その途中で狼に出会い、狼は女の子に花を摘んでいくよう持ち掛ける。
母親に『寄り道をしないように』と言われていたが、女の子は狼の提案に乗ってしまう。
その間に狼は先回りをして、おばあさんを食べてしまう。そうしておばあさんのフリをして、女の子も。
狼は寝てしまったが、通りかかった猟師のおじさんが狼の腹を裂いて――二人は助かる。
一通りを黙って聞いていたガルーは、そこで深く溜息を吐いた。
「それは……確かに、『前』の時みたいな話だ」
「……もしかしたら、そうなのかもしれないわね」
「ウン……幼い子供に酷いことをした人間は、人間狼って呼ばれたり、するし……」
「人間狼」
それは、ひとでなし、みたいなものだろうか。
頭に浮かんだそれは、ガルーの呼吸が荒くなっていることに気付いて、喉で止まった。
「……ガルー、大丈夫? 少し休む?」
「う、ううん……平気」
「……どうみても、平気じゃなさそう」
「……さっき、マルコさんに、会ったから、かも」
マルコさん、とは、さっきの樵の人だ。
あの人に会うのと、ガルーがどこか怯えたようなのはどう繋がるんだろう。
疑問が声に出ていたのか、ガルーは少し、声を柔らかくする。
「あ、あのね、ミナ……その、『前』の時、僕を、捕まえたの、が、マルコさん」
「さっきの人が?」
「うん……君と、ハイジが惨たらしい状態になってて、僕は立ち尽くしてて……そこだけ見たら、僕が犯人に見えるだろう、し」
「待って、それだけでガルーが犯人だって、言われたの?」
「ウン……」
馬鹿馬鹿しい、と言いかけて――はっとする。
この時代では、『私』が知っているような捜査は出来ないだろう。
そうして、ガルーは狩人で、動物の毛皮を身に付けている。
確か、ヨーロッパでも、昔はそう言った人達は厭われていたはずだ。
その状態で状況証拠が揃っていれば、そうなってしまうのだろう。
無意識の内に唇を噛みしめていたようで、頭を落ちつけるために息を吸い込む。
「……今度は大丈夫よ。『私』が、ガルーは殺してません、って言うわ」
「……ミナ」
「あ、そもそも『私』死んでないから大丈夫。そんなことは起きないわ! もうクリアよ!」
はっと気付いてあげた声に、ガルーの肩が跳ねる。
それからくすくすと、小さく喉を鳴らした。
「……そうだね、君がそう言ってくれると、心強い」
そこで丁度、大きな道に出た。
凹凸はあるけれど、今まで歩いてきた道の様に草は映えていない。
ガルーがそこに降りて、『私』を背中から降ろす。
そうして、『私』に手を差し出してくれた。
その手を取れば、ガルーは曲げた肘に『私』の手を乗せた。
テレビでしか見たことのない、エスコートの形だ。
「……この先を、真っ直ぐ。それが、君の『おばあさん』の住む家」
「ありがとう、ガルー……あのね、さっき、物語になってるって言ったじゃない。この先のこと」
「うん、さっき話してくれた奴だね」
「そう。『私』の『前』の時だと、結構メジャーな……子供の時に、誰もが一度は聞くようなお話だったの。でも、ずっと気になってることがあって」
ガルーは首を傾げて、けれども何も言わない。
『私』の言葉を待っているのだと分かって、静かに息を吸い込んだ。
「――どうして『おばあさん』は森の中に一人で暮らしているんだろう」
前世と比べれば、物流は発達していない。
『私』が想像するよりは若いだろうけど、それでも森の中に一人は生活に向かないだろう。
そう呟いたのが聞こえたのか、ガルーは「えっと」と少し首を傾げた。
「馬車、休むんだ。彼女達の家」
「馬車?」
「えっと、えっと……森向こうの街と、君の街。馬車、走って、荷物を運ぶ」
「……じゃあ、この道も」
「ウン、馬車が通る」
道理で、森の中に幅が広い道がある訳だ。
この先は歩きやすそうだ、としか思っていなかったけど、確かに、この道は自然には出来ないだろう。
「こっち、平らだけど、向こう側、上り坂」
「……森向こうの街から、こちらへ来る時、であってる?」
「ウン……人や荷物が多いと、馬休む。昔から止まりやすかった場所に、家を建てた、らしい」
「なんて言うんだったかしら……宿場?」
あまりピンとこないのか、ガルーは首を傾げてから「多分そう」と落とした。
「天気が悪かったり、夜になってしまったり……飢えた狼が降りてきているなら、泊まる……でも、一休みが多い」
ガルーの言葉を整理する。
馬も生き物だ。坂を上り切ったら、少し足を休めたくなるだろう。
足を止めた生き物は、狼からすれば良い獲物だろう。
送り狼、なんて言葉が頭を過った。
あれも、歩いている内は襲わないけど、足を止めたら途端に襲ってきたはずだ。
「そういう場であれば、管理人が必要ね」
「ウン……それに、エスメラルダ、一人じゃない」
「エスメラルダ?」
「カルミナの……えっと、君の、体の、おばあさん」
「そうなんだ」
狼に食べられる、『赤ずきんのおばあさん』。
この世界では、彼女はエスメラルダと言うらしい。
相槌に頷いて、ガルーが続ける。
森の中の家には、その『赤ずきんのおばあさん』の他に、もう一人が暮らしている。
元々彼女が住んでいて、何年か前に『赤ずきんのおばあさん』も街から移り住んだらしい。
案外、前世の煙草屋のようなものなのかも知れない。
あれも元々は、戦後の未亡人への救済だったはずだ。
どうでもいい雑学は覚えているものだなぁと感心しながら、馬車道を歩く。
少し歩いたところで、一際光が強くなる。
陽光の下、森の先は広場のようになっているのが見えた。
絵本に出てくるようなロッジが、二つ。その周りには、柵がぐるりと巡らされている。
「……ミナ」
ガルーがケープの端を引く。
見上げれば、彼は何とも言い難い表情を浮かべていた。
肘から腕を滑らせて、ガルーの手を握る。
『私』の手が触れた瞬間、広い肩が跳ねた――それこそ、幼い子供のように。
「大丈夫――前回は一人と一人だったけど、今は二人よ。『私』達」
「ふ、たり」
「そう、なんとかするの」
沈黙は少し。
ぎゅっと、ガルーが手を握り直す。
「そうだね、二人だ」
「そうよ、二人」
「うん……あ、ミナ、待って」
「うん?」
ガルーは弓を手に取る。素早く弦を張り、反対の手に矢を持った。
「君に扉を開けてもらってもいい? すぐに離れて、なんなら扉に隠れて……中に、その、『獣』がいるかも」
「……そう言えば、ガルーって狩人だったわね」
「うん……もし、中にいるのがハイジだけなら……僕が怒られればいい」
眉尻を下げてガルーは笑う。
これが『二回目』だから、取れる手もあるのだろう。
「ハイジっていうのが、その、前から住んでいた人?」
「そう……怒ると、怖い」
「分かった……怒られる時は、一緒に怒られましょ」
「ぇ、あ……うん」
二人で頷いて、森を抜ける。
ぐるりと家の周りを囲んだ柵は、予想よりも高い。その一部に、閂のかかった部分が見えた。
「『私』が開けるね」
「お、お、重いよ?」
「多分、大丈夫……ガルー、弓を持ってるから。少しは『私』にも手伝わせて」
そこから敷地の中に入り、忘れないように閂をかける。
息を吸い込んで、吐き出す。柵から扉までは、それほど距離はない。
二つ並んだ建物のうち、向かって右側の棟は『おばあさん』達が寝泊まりする建物だとガルーがいう。
もう片方は休憩をする御者達をもてなす為のもので、厨房なんかもそちらにあるらしい。
「この時間なら、ハイジはこっちにいる、と、思う」
ガルーが示したのは、厨房がある方の建物だ。
「……前も、そうだった?」
「ウン」
絵本に出てくるような扉の前に立って、もう一度深呼吸。
ノックをするが――何の返答も、聞こえなかった。
ガルーを見上げる。彼も耳を澄ませていたようだが、首を横に振った。
褪せた金色のドアノブを捻って、押す。飴色の扉は、簡単に開いた。
するりとガルーが、家の中へ入っていく。
思ったよりも広い彼の背中から、家の中へと視線を移す。
扉の正面には、反対側まで伸びる廊下。
その両脇に、扉が二つずつ並んでいる。
「ミナ……右の扉を、あけてくれる?」
「ここ?」
「そう」
ガルーが視線で指したのは、入口に近い右側の扉。
さっきと同じようにそれを開ければ、弓矢を構えたガルーは矢の先を部屋の中に向ける。
一歩、二歩。部屋の中に踏み込む背中にそろそろとついていく。
扉から見て左側の奥にある暖炉には、炎が燃えている。外から見るよりも、家の中は広く思えた。
右側には、二面に窓。そうして、長いテーブルとベンチのような椅子。
十人は座れそうなその上には、カップが二つ乗っていた。
テーブルの奥は、食器棚が見える。
もう一度正面の暖炉を見て、それから左側へ――
「ミナ――見るな」
ガルーの声が尖る。
彼は、矢を構えたまま動かない。どうしてと、呻くような声が聞こえた。
扉に隠れる部屋の左手前側は、『私』の位置からではガルーの背中で伺えない。
「……ガルー、何があったの」
「うっ、あ……」
「ガルー」
「うぅ……ハイジが……殺されてる」
呻くように落とされたその一言に、ハンマーで頭を殴られたような、そんな気がした。
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