第4話

 あぁ、と落ちた息は苦く、重い。

「……ガルー、大丈夫?」

「ミナ、そこで待ってて……あまり、見せたくない」

 そう言って、ガルーは弓を床に置く。構えていた矢を背中に背負った筒に戻して、一度部屋から出ていった。

 背中で扉が開く音がする。

 少しして、向かいの部屋から、ガルーが持ってきたのはテーブルクロス。

 するりと、布が擦れる音。その後に、いいよ、という声。

 部屋の中に足を踏み入れる。

 今まで扉とガルーに隠れていた左手前側には、角に沿う形にベンチがあり、その上にはいくつかのクッションが乗っていた。

 その上。さっきガルーが持ってきた布が、人の形に膨らんでいた。

 死は、とても近くにあった。

 けど、死体を見るのはこれが初めてだった。

 立ち竦みかけて――そうじゃない、と、ガルーの隣に並ぶ。

「……間に合わなかった」

 ガルーの顔からは、血の気が引いていた。

「……前、も……亡くなっていたの、その人」

「……多分」

「多分?」

「前、は……酷い、状態だったから」

「……私も?」

「いや、君は、ちゃんと形が残ってた……けど」

「……形、残ってなかったの? バラバラ、とか?」

「うぅ……」

 ガルーが呻いた。多分、当たりなのだろう。

 バラバラにされていたなら、きっと、血の匂いも凄かったと思う。

 けど、今は家の中に、鉄錆の匂いはない。

「……ガルー、その人……どうやって、殺されていたの」

「ミナ」

「……大丈夫。直接は、見ないから」

「……首、を、絞められて、いる」

「……狼じゃ、絶対に出来ないわね」

「……うん……」

 そこで、はっとしたようにガルーが顔を上げた。

 ぐんと腕を引かれて、さっきよりも強引に背中に隠される。

 舌打ちの音が聞こえて――そこで、ガルーがさっき、弓を置いたことを思い出した。

 開けたままだった入口には、人影。

 逆光で細かい部分はよく見えないけれど、細身であることは分かった。

 そうしてその人影は――長い、銃を持っている。

「……何があった、ロルフ」

 低い、それでも女性の声が響く。

「ッ、エスメラルダ!? なんで、暫く帰らない、って」

 ロルフ。

 そう呼ばれて、ガルーが答える。彼の本名はそっちなんだろうか。

 思えば、『ガルー』よりは『ロルフ』の方がずっと、人の名前『らしい』。

「それから――後ろのはなんだい」

「えっ、あ、なっ……何、言ってるの、エスメラルダ……き、君の」

「ウチの孫だって? 。もう一回聞くよ、ロルフ――『』」

 一歩、人影が踏み込む。

 白い物が混じり始めた茶髪を結い上げて、シャツの下はスカートではなくズボン。

 背はしゃんと伸びて、『おばあさん』と呼ぶのは似合わない気がした。

「……人が、殺されていました」

 ガルーの肩が跳ねる。

 けれども、気にしないで続きを紡ぐ。

「……首を絞められた跡があって、その人はガルー……この人の知り合いで。どうしよう、って、なってました」

「……へェ?」

 エスメラルダ、と呼ばれた女性は目を細める。

 もう一歩踏み出して、そこで彼女が緑の目なんだと分かった。

「ここまでが、今、あったことで――私、は」

 そこで、言葉が止まってしまった。

 今まで内心で散々ガルーを挙動不審だと言って来たけど、人のことを言えない。

 手が震える。喉が詰まる。

 ――あなたの孫の身体に、別の人間が入っています。

 そんなの、そうそう信じられないだろう。

「エスメラルダ……僕は、その、一回殺されかけた」

 ガルーの一言が、やけに大きく響いた。

「……ロルフ?」

「その時、どうしてか『』」

 言いながら、ガルーが私の手首を掴む。それから移動して――手を、握る。

 一回りどころか、三回りは大きいんじゃないかって掌に、震えが少しだけマシになった。

 一方で、エスメラルダと呼ばれた女性は目を丸くする。

 何かを考えるようにしてから扉を閉めて、小さく、息を吐くのが見えた。

「……お前さんの血統なら『』か」

「多分、そうとしか考えられない……でも、その時……代役で、彼女が選ばれたんじゃないかと思う」

「……選ばれた?」

「前の時、僕が死にかけてた時、もう二人は死んでいて……巻き戻った時、何かの理由で魂が足りなかったんじゃないかと、思う」

「あぁ……北の旧い神なら、戦乙女が使えるか」

「……詳しいことは、分からない。でも、この子は確かに、カルミナじゃない」

 そこで、エスメラルダさんはさっきよりも深く息を吐いた。

「……前、お前はどうして殺されたんだい」

「……その……カルミナを、その……殺して、ハイジも殺してばらばらにした、って。悪魔崇拝っても、言われた」

「……酷ェな、それは」

「うん……でも、巻き戻って、ミナ……カルミナには丁度、ここに来る前に会えて。だから、ハイジも、助けられるんじゃないかって思った、けど……」

 俯くガルーに、もう一つ息が落ちる音がした。

「ミナっては、お嬢さんかい?」

「は、はい……そう、です」

「お前、どうやってこのお嬢さんを言いくるめたんだい」

 そこでガルーが挙動不審になる。エスメラルダさんは呆れたような顔をしていたから、いつものことなのだろう。

 どう切り出すべきか。そう思って彼女を見ていたら、ばちりと目が合った。

「あ、の……いい、ですか」

「ああ、どうぞ?」

「えっと……ガルー、ロルフ? 止めたんです。私を、死んじゃうからって」

「……この様子で?」

「この様子で」

 よく信じられたな、とエスメラルダさんは言う。

 確かに挙動は不審だった。けど、それ以上に――ガルーは必至だった。

「……私、も。前、死んで……死ぬのは、嫌じゃないですか」

「……ふ、ふふ。そうだな」

 そう言って、エスメラルダさんは銃を降ろした。

 それを入ってすぐの壁にかけて、奥のベンチに向かう。

 ガルーがかけたテーブルクロスをずらして、そうして、何かを呟き始めた。

 聞き慣れないそれに、ガルーが目を伏せる。

 日本で言う所の、御経、みたいなものだろうか。

 そう思いながら、彼に倣って目を閉じた。流れるようなエスメラルダさんの声に、心臓が落ち着いてくる。

 人が、死んだ。

 知らない人だけど、殺されていた。

 それに指先が冷たくなったのは、『前』の最期を思い出したから。

 つきりと痛んだ左胸に、知らず知らずのうちに、手を組んで祈っていた。

 ――どうか、ご冥福を。

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