第3話
トイレから出た咲綺は洗面所の蛇口から水を出し、口をゆすぐ。
吐息を漏らし鏡を確認した。反射した自分を見ながら、左右に顔をゆっくりと振り左手で頬を触る。手と頬が使い古されたテープぐらいの粘着力でくっつき離れた。冷静さを取り戻し、自分の部屋に向かう。部屋ではにこやかに悪魔は座っていた。
「そういえば、あなた名前はなんて言うの」と咲綺。
「私ですか? 悪魔に名前はありません」
でも、あった方いいから、と咲綺は名前について考えた。本棚にある本の表紙に手を滑らせて適当な所で手を止め、本を取った。ページをめくり名前を探す「メフィスト……」違う。
親指を動かしてページ進ませると目に留まった名前『マルガレーテ』直感的に良いと思った。咲綺は悪魔のほうに顔を向け名前を見つけた、と言いページにある名前を指差し「これが、あなたの名前『マルガレーテ』素敵な名前だと思わない」と咲綺は少し浮ついた表情で言った。
「咲綺さんが気に入ったなら、私はそれでいいですよ」と歯に衣着せぬことを言い。咲綺は醒めた。
もうちょっと、気の利いたこと言えないの? と咲綺は思った。咲綺は持っていた本を本棚に戻し、聞く「あなたは、これからどうするの?」
「これからは、咲綺さんのお
咲綺はもしやと思い、あなた家はどうするのと問う。
「いつもお傍に」
私が外出したらと問う。
「いつもお傍に」
私が就寝したらと問う。
「いつもお傍に」
咲綺は悪寒が走った。頭を抱え、今更ながらどう生活していくか考えなくてはならなかった。マルガレーテは涼しい顔で座っていた。
――日が暮れる。生ぬるく少し暑さを感じる程度の空気が漂い、住宅の照明が響き合うように光だし、アパートの住人が帰宅して外より内が騒がしくなるぐらいの時間。
マルガレーテはリビングでソファに淑やかに座りテレビを観ていた。咲綺は来客用のカップを軽く洗い冷たくなったカップにティーバッグを入れ、水道水をやかんで沸かし「ミネラルウォーターの方がいいのかな」と思いながら棚にお菓子がないか探したが、見つからないので冷蔵庫にあった半分もないバウムクーヘンの切れ端を五つに切り分け、バウムクーヘン同士の空間を絶妙に開けて皿に盛った。
やかんの蓋を開けて確認すると沸騰するかしないか程度だったので、火を止めやかんを持ちティーバッグが入ったカップに慎重にお湯を入れ、すぐにマルガレーテの所に持って行った。
「つまらないものですが」と咲綺は言い、バウムクーヘンが盛られた皿とティーバッグが入った紅茶をソファの前にあるテーブルに置いた。
「ご丁寧にありがとうございます。では、頂きますね」とマルガレーテは言った後に「ミルクと食べるためのフォークはないのですか」と咲綺に聞いた。
咲綺はすぐにキッチンに行きフォークを手に取り、冷蔵庫を開け紙パックに入った牛乳を見て「紅茶のミルクって牛乳でも大丈夫だっけ?」と考えたが、わからなかったので牛乳を家にある中で一番小さいカップに入れた(無論ミルクポットなんて物はない)。咲綺は持ってきたフォークをマルガレーテに渡し、牛乳が入った小さいカップをテーブルに置いた。
「ありがとうございます」とマルガレーテは言いながらフォークの先端を皿に載せ、小さいカップを手に取り数秒見た後、紅茶が入ったカップに素早く入れ牛乳が小さいカップの外側を伝って垂れないようにした。咲綺はそれを見て感心していた。マルガレーテは紅茶を口元に運びひと口飲み、テレビを観ながら言った。
「咲綺さん。世間では、これを『つまらないもの』ではなく『まずいもの』と言うんですよ」
咲綺は一瞬ぽかんとしたが、理解した瞬間に腹が立ちマルガレーテを家から放り投げようかと考えた。
そんなことを気にせずにマルガレーテは紅茶を置いた後、フォークを手にしバウムクーヘンを口に入れ「これは、悪くないですね」と咲綺を見て言った。
「そうですか」咲綺は無愛想に返答し、悪魔に美味しいとか不味いとかわかるの? と心で思っていた。
マルガレーテは咲綺の顔を見つめた後「少し前に似たようなことを言いましたが」と紅茶が入ったカップを持ち「悪魔は美味しいとか美味しくないとか、甘い、辛いなどの意味は理解できます。ただ、それを意識から感じとれないだけなんですよ」そう言うと、咲綺の目の前にそっと紅茶を差し出した。
「私?」と咲綺が聞くと。マルガレーテは微笑み首を縦に振った。
なんで私が……と紅茶を飲んだ時、口の中ではぬるく薄い紅茶が
「……不味くてごめんなさい」咲綺は謝罪した。
「ミルクが無いなら砂糖でもいいですし、ソーサーやティースプーンも持ってくるものです。まぁ、私は別に気にしてはいませんよ」とマルガレーテは追い打ちをかけた。
(この、悪魔め)
「悪魔ですからね」人の心を呼んだかのようにマルガレーテは言った。
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