第4話

 玄関の錠前じょうまえが音を立て扉が開いた。ただいまと声がリビングまで通り「咲綺、誰かいるの? お客さん?」と玄関から声が響いていた。


「ママが帰ってきた! マルガレーテ、悪魔だなんだとわけのわからないことは言わないで、私の言う通りにして」

「はい、仰せのままに」


 少々不快なビニール袋の音がリビングに近づく「――もしお友達ならそろそろ帰ってもらいなさい」言葉が言い終わる頃に咲綺の視界に入った。


「ママ!」

「あら、お友達? 大人っぽくて綺麗な子ね。でも、そろそろ夕飯の時間だから――」


「ママ聞いて! この子、拾ったの!」咲綺は決心した目で言う。

「……は?」と咲綺の母。

「今日、外は風が強かったでしょ。歩いてたら電柱の側にダンボールがあって、この子がアネモネのように見捨てられてたの。行く場所がないって言うから……可哀想だと思って連れて帰ってきたの……」

 母は引きつったような顔で見ていた。


「昔飼っていた金魚みたいに放置しないから、しっかり面倒も見るから――お願い」必死に咲綺は訴えた。

「わん」とマルガレーテ言った。


 母はため息をし、じっと咲綺を見た後「まぁ、咲綺も『水葵みずきちゃん』のことで大変だっただろうし、いいわよ」咲綺はそれを聞いて安堵あんどと同時に心が少し痛んだ。

 咲綺は母に近寄り抱きしめ「ありがとうね。ママ……」言葉では伝えきれない感謝を伝えた。

「いいのよ。好きにしなさいな」

「ありがとう……」


「わんわん」

 マルガレーテが吠え雰囲気をぶち壊した。


「それはそうと、結局あの子はどうするの?」

「あのバカ犬は色々あって、私の側にいないといけないの。もしママが駄目ならベランダにでも置いとくから」雰囲気を壊された憤りをマルガレーテにぶつけた。

「くぅーん」とマルガレーテは悲しそうに鳴いた。


「そんなことしないわよ。一緒に暮らしましょうね」母は言いマルガレーテも抱き寄せた。

「くぅーん」とマルガレーテは嬉しそうに鳴いた。

 抱き合ってる中、咲綺は小声で「あなた、いつまで犬の真似してるの」

「もういいんですか?」マルガレーテは首をかしげ確認を取った。

「当たり前でしょ――バカ犬」

「くぅーん」とまたマルガレーテは静かに鳴いた。


 いつもとは違い食事の音が一つ増えた。その音に懐かしさを覚えながら、咲綺の隣ではそうめんをすする音がした。

「お母様、これ美味しいですね」とマルガレーテ。

「ありがとう。茹でただけだけどね」

「いえいえ、お母様の完璧な茹で時間があってこそですよ」

 そうか? と心の中で咲綺。


 マルガレーテはつゆの入ったお椀を置き、小皿に箸を移した。

「この茄子も、とても美味しいです」

「茄子とみょうがに醤油と生姜混ぜた簡単なのだけどね。気に入ってくれるなら嬉しいよ」

「謙遜しないでください、お母様の完璧な分量があってこそですよ」

 そうか? と心の中で咲綺。

 咲綺はマルガレーテに私とは対応が違くないか、と尋ねたら「あの紅茶最後まで飲んでくださるんですか」と返したので、咲綺は何も言わずそうめんをすすった。


 湯船に浸かると、体温が湯気のようにゆっくり上がって、お湯はその体を離さないように掴む。咲綺はお湯に掴まれてない頭を上に向けると、天井には水玉模様に水滴がつき、磁石のようにピタリピタリと吸い寄せられ加算されてゆく。自身の重さに耐えきれなくなった水滴は重力に引っ張られ、星のように落下する。

 水滴は咲綺の額に直撃し破裂した。額に当たった衝撃より、冷たさが勝ち「……冷た」とひとり呟いた。

 貯まった思い出もいつかは水滴のように落ちてゆくのだろうか、もし落ちて消えてしまうなら、星のように輝き誰かの記憶に刻まれれば消えても幸福なんだろうな、と咲綺が思いをめぐらせている時「入りますね」と言葉が急に耳に入った。


 咲綺はハッとし、すぐに頭を浴室のドアに向けた。わかりきっていたことだが入ってきたのはマルガレーテだった。

「咲綺さん、お風呂一緒にどうでしょうか」と笑みを浮かべてやってきた。

「私、もう出るから」

「お早いのですね、私寂しいですよ」

「お互い様」と咲綺は冷たくあしらい、浴室を後にした。

 マルガレーテはからかうように「照れちゃいましたかね」と言い残した。


 咲綺は着替え、髪を乾かしリビングに向かった。

「咲綺お風呂出てきちゃったの? マルちゃんと一緒に入るんじゃなかったの」

「しらなーい」

「寂しい思いしてるよー、きっと」

「私寂しくないし」

「まぁ、仲良くね。言わなくてもわかってると思うけど」

「うん……」 


 咲綺は冷蔵庫に向かい紙パックに入った牛乳を取り出しコップに入れ、今日の出来事を飲み込むように一気に飲んだ。不満も鬱憤うっぷん快事かいじも全部。喉に詰まることなく飲み込んだ。空気が口から外へと滑らかに通り抜け息を吐いた。咲綺にはこれが気分転換になり、母におやすみと伝え自室の電気を消しベッドの上に仰向けになった。カレンダーを見ると六月のままだったが替える力も出ず、明日のことを少しだけ考え、目をつぶり。


 マルちゃんって……犬か! と突っ込みながら寝た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2024年12月17日 17:00
2024年12月18日 17:00
2024年12月19日 07:00

悪魔は記憶を喰らい、私は愛を喰らう 鴻山みね @koukou-22

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画