第6話

 地方の高校受験は、その世間の狭さ故か、


 誰々の家の子供はどこの高校に行っただとか、

そういった下世話な情報が一瞬にして伝播してしまうから大変だ。


 無論トップ校に受かりさえすれば近隣住民からも称賛され、

春の学力テストで校内順位を知り絶望するまでの間は天狗でいられるものの、

もし俗に底辺校と言われるような高校に通う羽目になって仕舞えば最後。


 あぁ、あそこのお子さんはバカなのねと散々こき下ろされ、

毎日が恥辱に塗れた高校生活を送るという最悪のシナリオが待っている。


 その子の人生はまだ始まったばかりでも、

まるで人生の最下層であるかのようなレッテル貼りをされる。


 だから俺はそんな地元の風土感が嫌になって上京したのに、

タイムリープして束の間の幸福感を味わったかと思えばこれだ。

ゴシップ好きなマダムはどこにでもいるようで、その日の豆腐屋は

いつになく賑わいをきかせており、シズクはその対応に追われていて大変そうだ。


「クイナはあんなの気にしなくて良いから」

「ふん..。気にするわけないでしょ? あんな、偉い人が書いた本よりも、

三件隣の家の子供の、噂の方が大事みたいな人たちなんて..」


 彼女は俺と一緒に、自室で最後の授業をしていた。

窓越しから伝わってくる近所の方々の喧騒に半ばうんざりしていた所だった。


「ねぇ..。先生は大人になったら、田舎を出たいと思う?」

「出るよ」


「そうなんだ。じゃあ、先生がここを出る時は、その時は私も一緒に行く」

「うん。好きにすれば良いと思うよ。クイナの自由だ」


 とはいえ、彼女は結局ここから上京したのだろうか?


 シズクも同様に、

俺は大人になってから二人とどこかで話すわけでもなかったし、

別れて縁が切れてからは、クイナとこうして会って話す事もなくなった。


「先生..」

「どうしたの? わからない問題?」 


「ううん違う」


 その時、クイナの眼差しが途端に険しくなった。


 唇のあたりが微かに震え、

ほんのり日焼けした彼女の頬色が少し濃くなった。


 今までこんな顔をされたのは初めてだ。というくらいで、

彼女はどこか儚げで、今にも消えて無くなってしまいそうだった。


「先生..」


 いつも通りそう呼びかけられただけなのに、

時間が静止したかのような錯覚に捉われた。それほどまでに、

辺りは静まり返り、夕焼け空の斜めに伸びた影と、日差しが肌を焼く。


「高校に受かっても、先生は私の事を忘れないで下さい。

そしてたまーにで良いので、ここで一緒にお話ししませんか?」


「良いよ。約束だな」


 苦虫を噛み潰したような、嫌な気分になった。


 無責任だ。そう、何度も思い返して胸の辺りが苦しくなるのは、

俺が大人になって、彼女の事を完全に忘れ去っていたからだ。



「リョウ..。最近ボケッとしてる事多いけど、どうしたの?」

「いや..」


 今日はクイナの受験日だった。冬空と凍てつくような風は、

青白い俺の肌をかじかませ、カイロ無しではいられなくした。


「受験、大丈夫かなーって」

「うん..。そーだね..」


 今日は日曜日だった。世間では週休2日の最後の一日。

旧約聖書では神によって定められた唯一の安息日に、俺はシズクの

部屋に訪れ、勉強会をしていた。


「あ、リョウ君。そこの問題違うかも!」

「うわ..。本当だ..」


 しかし、クイナの受験が気がかりで、今日は勉強に身が入りそうにない。


 もうすぐ4時になる。試験が日程通りに進めば、そろそろ帰ってくるはずなのだが..。


 ギィーー


 と、その時。


 店の仕切りを開く弱々しい音が聞こえてきたかと思えば、

ギシッギシッと、おぼつかない足取りで階段を上がり廊下を進む何者かが、

いつになく鈍い動作で、シズクの部屋のドアノブを回し中に入ってきた。


「あ! お帰り、試験どう..」


 トス


 鞄を前に放り、膝から崩れ落ちた。


「ダメだった」

「く、クイナ..?」


 そう、彼女はクイナだったのだ。

目を真っ赤に腫らしながら、肩口が震えている。

もう何度涙を堪えたのか、彼女が噛んだであろう唇からは血が滲み出ていた。


「全然出来なかった。多分落ちてる」


 淡々と語り出し、まだ無感情を装っている彼女は立ち上がり、

そのまま無言で部屋の外に出ていった。


「ちょっと待って! 鞄置き忘れて..」

「リョウ君..」


「え..? どうしたの?」

「行く時に持たせてたエチケット袋..。なくなってる..」


 もしやと思い、後日高校の保健室に駆け込んだ所、

そこに駐在している養護教諭曰く、クイナは試験の休憩時間中あまりの

緊張からか、吐いてしまったそうだ。


 毎年必ず一人はいる、ありふれた話らしい。


 彼女は数学と英語は保健室で受ける事になった。

顔面蒼白で、泣きながら問題を解いていたとかー


「落ちたらリョウに面目が立たないって、

ずっと言ってたけどあなたのことだったのね..」

「面目が立つとか、立たないとか..。なんでそんな事を..」


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