第5話

「昨日は、クイナの家庭教師してくれてありがと..」

「別に構わないよ。寧ろあんなに物事の吸収率が良いんだ、

教えていてこっちも清々しいって言うのかなーー」


 そう、例えるなら1を聞いて10を知る。


 基礎的な概念をすぐに応用に結び付けられる。

 問題一つ一つから本質的な定義を抑えられる。


 クイナは姉譲りの優秀な子で、俺が教えるのも憚られるくらいだった。


「今日なんてiDeCo(個人型確定拠出年金)について相談されだよ..。

普通中学生の話題なんて、YouTubeかTikTokのおすすめ動画とかじゃないの?」

「えへへ..。あの子は頭でっかちなだけだよ。

周りの人より小難しい事を知ってる自分が凄いと思ってるだけ」


「そんなもんなのかな..。でも多分、クイナはもう俺より賢いよ..」

「ううんそんな事ないから! 多分リョウ君の前だとカッコつけて

変に知的ぶったキャラを演じてるだけで、私と話す時は大体、YouTube

に出てくるような、某有名実業家の言葉を乱用してる。私が何言っても、

『それってあなたの感想ですよねー?』だって、、ふふっ、面白いでしょ?」


 確かに。ひ○ゆきのモノマネをする彼女の姿が案外すんなり想像できてしまい、

俺は思わず吹き出してしまった。


「じゃあ、いつものと..。今日は絹豆腐も一丁お願い」

「あぁ! 前勧めたの食べてくれたの? どう? 美味しかったでしょ?」


「まぁね..。醤油かけてそのまま食べたら、案外美味しかったよ」

「はぁ、そこは美味しいって素直に言ってくれると嬉しいんだけどな」


「あはは。そりゃ悪かった、案外じゃなくて、普通に美味しかった。

あとさ、受験まで残り1週間だし、クイナに『頑張れ』って伝えておいてくれない?」

「分かった。きっと喜ぶと思うよ。

クイナ、多分リョウ君の事、ちょっと好きだと思うから」


「え?」

「はい! これが商品! じゃあまた明日、学校で!」



 東條クイナは、2つ年の離れた東條シズクの実の妹だ。


 とはいえ、性格がそこまで似ているわけでもない。

シズクが底抜けに明るく剽軽な性格なのに対し、クイナはまさに質実剛健、

超がつくほどの真面目で、あまり笑顔を見せる事はない。


 そんな対照的な二人ではあるが、やはり姉妹だからか顔は似通っていて、

おまけに声のトーンも近い。故に、俺の好みど真ん中のシズクと限りなく

系統の近い彼女と同じ空間で対面形式の授業を取っている以上、どうしても

目線ばかりが彼女の顔辺りに泳いでしまうのは、最近のもの悩みの種であった。


「夏目先生。ここの問題が分からないのですが」

「えっと、どこ?」


「英語の、ここの訳し方です。動詞の後に変な前置詞がついているのですが、

熟語で訳すと文構造がもつれます」

「あ、これか。えっとね、これは熟語じゃなくて、この前置詞と直後の名詞を

含めた一つの句なんだよ。『put on』は確かに『身につける』って意味もあるけど、この問題は直後にある『on a dress』を一つの塊として考えてみて」


「なるほど分かりました。つまりこれをこうすれば..」


 こんな感じで、基本一回説明すれば勝手に解き始める。


「先生、高校に入ったら何が出来るんですか?」

「別に今やってる事の延長線だからね。勉強を頑張れば良い大学入れて、

良い内定先ゲット出来るよ。あ、あと家庭科だけはちゃんと真面目に受けてね。

大人になった時に一番役に立つから。これはマジで」


「ふふっ..。まるでもう大人になったみたいな口振りですね」


 そうですよ。タイムリープしただけの、御年24の成人男性です。


「でもそうですね。家庭科は真面目に聞きますが、

良い内定先、、ですか? 先生は、企業に依存して生きていくんですか?」

「え..?」


 まぁ、ブラック企業に勤めてはいましたが、、


「今の時代、もう終身雇用制は崩壊しましたし、小子高齢化で衰退していく日本社会において、企業に雇われて働くというライフプランはリスキーな気がして..」

「はぁ..」


「成田○輔さんの発言然り、

仕事は自分のやりたい事とお金を稼げる事の交差点上にありますよね。

ですから私はまず、自身のやりたい事を高校で見つけるべく本を沢山読んで知見を広げます!聞くに桜島学園には県内最大の蔵書数を誇る図書室があるそうじゃないですか?」


 まぁ、俺は一回も行った事ないけどなるほど、殊勝な心掛けだ。


「あるよ」

「ですよね! 私高校に入学したら多分そこに常駐しているので、

見かけたら是非声かけてください!」


「分かったよ。でもその前にまず、試験頑張ってね」

「はい!」


 と、今日の家庭教師はこんな感じで終わったが、

もう入試に必要な最低限の知識が

完成してしまった現状、彼女からは受験期直前のピリついた空気があまり見受けられない。


 以前彼女が髪をむしっているとシズクは教えてくれたけど、そこまで

追い詰められているような感じもしない。


 これで本番を無事に迎えるために、後はメンタル面でのサポートかな..。


「えっと、入試まであと6日なんだけどこれからは本番を頭の中で

何度も何度もイメージ..」

「先生..」


 しかし、俺が全て言い終える間も無く、クイナは話し始めた。


「私..、本当はとても怖いんです。最近は入試が怖くて夜も眠れません..」

 

 『髪..。抜いてるんだよね....』


 シズクの言葉が、不意に脳内再生された。


「でも、先生が応援してくれてる、支えになってくれてる。

それだけで私、大分救われているんです。だから受かったら、今度は私が、

先生に何かしてあげたいんです」


「クイナ..」


 マジで、なんで何だろう..。


「えっへへ..。でも、万一しくじって落ちちゃったら、

その時はまた、私の事を慰めてくれると嬉しいです!」


 何で俺、この子の事を大人になって、綺麗さっぱり忘れちゃったんだろう..。


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