わかめ、ひと春の桜のような恋をして

三屋城衣智子

わかめ、ひと春の桜のような恋をして

 あたし、わかめ。


 季節は春。

 沿岸に植えられた桜も満開で、気持ちのいい風と流れが吹いていたわ。


 あたしもその中にいて、ゆらゆらと気持ちよく波に体を任せていて。

 周りを見渡せば芳醇な海中世界。

 見上げればキラキラと波間に太陽がきらめいて。

 仲間のスズキやメバル達もそわそわと、春の訪れに揺らめいていた。




 そんな時だった。

 目の前の水が流れてきた桜の花びらと一緒にとてつもなく泡立って、そこに真っ黒な塊がまるでトドみたいに現れたの。

 それは、あたしのことを舌舐めずりするかのように見ながら近づいてきた、自称イケメンだった。

 情け容赦なく仲間ごと刈り取って、それであれよあれよとここへと連れてこられたってわけ。


 最初は、なんて奴! って思ったけど段々、自業自得なジコチューっぷりに、ついつい絆されちゃって。

 ダメね女は、母性が強いとどうしたわけかこんなダメンズに拾われて、拾い返しちゃうんだもの。


 そんなあたしだったけど。

 ある時舎弟の一人に払い下げても良いかなって、電話してるの聞いちゃって。

 ほんと、クズよねぇ。


 それを好きだったあたしも、とんだおまぬけちゃんだったけれど。




 酷い扱いだけど、どうしたって憎めないと思ってた。


 けど。


 わかめに思い入れはないって。


 たまたま、そこにあったからとったんだって。




 ぴちぴち魚類と話してるの聞いちゃって。

 怒髪天よ、もう。


 ほんと、もう。


 あなたのそのずんぐりとした体も。

 ぷっくりとした手も。

 黒く澱んだその瞳の奥も。

 全部全部。


 愛おしかったのに。


 あなたのそのぷりっぷりの唇が、魚類のそのしなやかな体にキスをして、そうして咀嚼して飲み込んだ。

 その瞬間。

 わかるかしら、あなた。

 あたし、ものの見事に鬼神の虜になったの。




 許さない。


 許さない。


 ゆ る さ な い

   ゆ る さ な い

      ゆ る さ な い

         ゆ る さ な い

            ゆ る さ な い

         ゆ る さ な い

      ゆ る さ な い

   ゆ る さ な い

         ゆ る さ な い

               ゆ る さ な い

                     ゆ る さ な い

                          ゆ る さ な い


 ユ ル サ ナ イ




 あらゆる細胞を活性化させ。

 太古の力も総動員して。

 あたし、今、あなたを飲み込もうって。

 そう、暗躍しているの。


 あなた、どうか元気でいらしてね。


 あたし今、一つになりたくて。

 仲間達は味噌汁だったり、お刺身だったり、サラダになってあなたの元へと旅立ったから。

 そろそろあたしも、彼らの元へと向かおうと思うの。

 ちょうどほら、酢の物が出来上がりそうよ。


 もう少し待っててね。

 わからないくらい馴染んだら、きっとそっちに行くわ。










 あたし、わかめ。


 今あなたのお腹の中にいるの。

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わかめ、ひと春の桜のような恋をして 三屋城衣智子 @katsuji-ichiko

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