第三話 街へお出かけ

26 朝ごはん

 陽の光が瞼の隙間に入り込み、視界が円盤状に開いていきます。

 ぼんやりした意識をはっきりさせ、右手を掲げて一伸び。

 反射的に左の手のひらで口元押さえたら、あくびが出てきてしまいました。


「ほわー」


 さて、今の私にはミッションがあります。

 朝起きて早速ですが、やらなければならないことがあります。

 それは、手負いの彼が起きるまでに、朝ごはんを作って見せること。


 疲れた身にしみるのは、いつだってご飯と睡眠です。

 彼は随分ボロボロでしたから、きっとまだ眠っているでしょう。

 朝起きて、ご飯が用意されていることの嬉しさは、何にも代えがたいものですから。

 きっと、今日の最終ミッションを果たす上で、大きな助けになるはずです。


「さてと……頑張ろ!」


 私は脚をベッドから降ろして、枕元の帽子を掴みます。

 髪を整えるのは、台所に付いてからでいいでしょう。

 寝間着のまま目をこすりつつ、部屋の入り口まで行って、ドアを開きます。


「あ、おはよう」

「おはようございま……え?」


 うっかり返事をしてしまいましたが、おかしいです。

 今、この家に私以外の人間は起きていないはずなのに。

 昨日は早めに寝たはずなのに、どうして?


「今朝ごはん作ってるから、カヤちゃんは席で待ってていいわよ

「……どうしてここにいるんですか!?」


 開きっぱなしのドアの向こう。

 私が今から向かおうとしていた台所には、師匠の姿がありました。

 いつも通りの恰好で、緑色のローブを身につけた、金髪の女性。

 紛れもない、私の師匠がそこにいました。


「どうしてってそりゃあ、今日は一緒に出掛ける予定でしょう?」

「それは街についてからって意味で……!」

「いやー、やっぱりカヤちゃんを男の子と二人っきりにするのはまだ早いかなって思って、忍び込んじゃった!」

「そんな」


 そんな理由で私のプランを崩壊させてしまうなんて。師匠に朝ごはんを作られてしまったら、私の立場がなくなってしまいます。ここはせめて、今からでも私が手伝って……


「あの、お湯が沸騰しているが」

「あ、火、弱めておいて!」

「え?」


 台所から響いた謎の声。誰の声? と一瞬考えて、思い当たってしまいます。男性的でありながらも、幼さの残るその声は、昨日聞いたばかりのはずです。


「あのーひょっとして」

「あ、うん。お察しの通り」


 その声を聞いて、私は早足で台所へ向かいます。

 師匠が顔をのぞかせた扉を開いて、脇から中を覗きます。


「あ、えっと、どうも」


 台所の中に佇んでいたのは、予想通りのぼさぼさな黒髪。

 つまりは昨日助けたばかりのはずの、男の子の姿がありました。

 男の子は、私よりも先に起きていて、あろうことか、私より先に朝ごはんの準備を始めていたのです。


「どうして!!」


 私の嘆くような叫び声が、台所中にこだましました。


***


 テーブルの上に並んだシチューには、牛乳が使われているのでしょう。

 まろやかなコクに、煮込まれた具材の旨みが加わって。

 朝食にはもったいないくらいの味わいが、口の中に広がってしまいます。

 それなのに、素直に美味しいと言えないのは、どうしてでしょうか。


「あのーカヤちゃん?」

「……なんですか?」


 目を伏せながら捻りだした声が、思ったよりも低くて、自分で驚いてしまいます。いや別に、怒っているわけじゃないんですけどね?ただちょっと、自分の思い通りにいかなかったのが悲しいだけというか。


「怒ってる?」

「怒ってないです!」


 別に、本当にいいんですけどね。

 でもちょっと相談してほしかったっていうか。

 これから仲間になってくれるかもしれない人にいいところを見せたかったっていうか。


「なんだかよくわからないが、すまない……」

「あ、いや、あなたに謝ってほしいわけじゃなくて……」


 どうしましょう、男の子にいらない気遣いをさせてしまいました。

 そんなつもりじゃなかったんですけど、ちょっと気まずいです。


「えーっと本当にごめんなさいカヤちゃん。私が何か邪魔しちゃったのよね」

「いえ、別にそんなことは……」

「これから一緒に出掛けるんだもの。思うことがあるなら、正直に言ってほしいわ」

「…………」


 冷静になってみれば、今の私って、すごく子供っぽいんじゃないでしょうか。一人で拗ねて、説明もしてくれない子どものように。自分勝手なことをしてしまっているんじゃないでしょうか。


「別に……」


 だったら、せめて説明くらいしておかないと。

 師匠にも、この男の子にも失礼なんじゃないでしょうか。


「朝起きて、ご飯を用意しておいたら、喜んでくれるかなって、思ってただけです」


 言葉にしてみれば、なんてことはなく。

 胸の内には、素直になれた開放感が残るだけ。

 そうして私が、なんだ、こんな簡単なことだったんだと、心の中で胸をなでおろすのと……


「ふふふっ」


あれ? ひょっとして今私、物凄く恥ずかしいことを言ったんじゃ……と思い当たるのは、全く同時のことでした。


「あははははっ!」

「ちょ、ちょっと笑わないでください! 師匠も、あなたも!」

「ふふふふ、ごめんなさい」

「すまない。いや、よかったんだが、あははっ」

「ちょっと!」


 どうしましょう、どうしましょう。こんなはずじゃなかったんですが。本当なら今頃、出来上がった朝食をふるまっているはずだったのですが。本来なら今頃、それをふるまって喜んでもらえているはずだったのですが。


「いや。カヤちゃんは本当にいい子ね」

「ああ、間違いない。あなたに助けてもらえてよかった」

「うーん……?」


 まあ、でも、こうして笑ってもらえているなら、それでいい気もしてきました。想定とは随分違っていますが、これはこれでいいような。うん。まあ、これでいいということにしましょう!


 お出かけ前の朝は、思った通り順調です!

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