TS転生退魔士逆婚約破棄RTA

芦屋

第1話 きよしこの夜

 喉が焼け付くような感覚は、酒が抜けて乾いた喉しか残っていない証拠。

 頭髪は脂と埃でボサボサになっている。肌はぼうぼうに生えた髭と手入れされていないガサガサの肌。

 冬の川を眺めれば、水面には生気のない、やつれた男の顔が写っていた。


 名画、負け犬。

 これが自分でさえなければ笑えるところだ。


 惰性で飲んでいた水も段々と飲まなくなって、防寒具も着ていない俺の喉や手はとっくにボロボロだ。

 河川敷にかかる橋の下。誰もホームレスが住んでいないように見えるここは、近隣では有名な心霊スポットだ。


 曰く、迷い込んだ人間を食う幽霊。

 曰く、幽霊が取り憑いた人間を殺す場所。

 曰く、ここに住み着こうとしたホームレスは皆死んでしまった。


「まあ、いいか」


 かつてケアは欠かすことがなかった喉は、いまはしゃがれ声を発するだけの機関に成り下がって。

 手指のタコは意外にも短い放浪者生活に役立ってくれた。


 誰も住居を作ることなく野ざらしの不法投棄場となっているそこに、白い何かが居た。

 体長はおおよそ2メートルほど。噛みつき防止のための犬用マスクのような、口輪がよく目立つ、人となにかを足した化物。

 そいつはニヤリと口角を上げ、キヒヒとこちらを見ては小さく笑っていた。


 ……今さら怖いとは思わなかった。

 終わってもいいかと腹をくくってしまえば、あからさまなバケモノであっても心は動かないものなのか。


 終わってもいい。

 ついこの間、俺が後輩に聞かせた自作の新曲。そいつを盗んだ挙げ句にあいつらはデカい一発を当てやがった。

 バンドのメンバーは最初は後輩たちに怒っていたが、後輩たちが誰が見ても大ヒットしたと言うしかない状況になると俺を責めた。

 危機管理がなっちゃいないって。


 色々あって……俺はなんか全てがどうでもよくなった。

 ギターと作曲用のノートを背負ってぶらりとアパートを出た。

 故郷に帰るつもりはなかった。カネもなかったし、なにより自分の惨めさがもっと生々しく感じられそうで避けてしまった。


 ゴミ捨て場に放置されていた雨ざらしのソファに座り、ギターケースを開ける。

 ノートをまとめて地面に置いて、ライターで火をつける。


 ゆっくりとノートに火が回っていき、見れば徐々に他のゴミにも引火していく。


「キヒヒ」

「なんだよ、ギターには触るなよ?」


 見ればバケモノがこちらに近づいていて、ギターをじっと見ていた。

 しっしと手を払ってバケモノを追いやろうとする。

 しかしバケモノはこちらに近づいたまま動かない。


 俺は子供に見せるかのように適当な旋律を弾いてみせる。するとバケモノは余計に喜んでみせた。

 ……かじかんだ手で弾くととてつもなく痛いな。ケアもしてないしな。


「せっかくだ。一曲弾いてやるよ」


 ……童謡でいいか。


 今日はクリスマスだろ、だから……これでいいか。


 きよしこの夜を弾き語る。


 ギターの弦を撫でるたびに過去が去来する。

 音楽が好きで来る日も来る日もなんでも楽器の練習をしていたこと。

 バイトで初めて自分の楽器を買ったこと。

 親を納得させるのに時間がかかったこと。

 プロデビューの話が詐欺で痛い目を見たこと。

 後輩の面倒を見続けているうちに、開花していく才能を見送っていたこと。

 それでも後輩たちは俺の曲をたまにカバーしてくれること。


 叶えたことの裏には叶わなかったこともある。

 俺はただ、自分の可能性を信じるために歌い続けていた。


 でもこんな踏みにじられ方をするのなら、俺は……。


 燃えていく、燃えていく。

 ゴミ山が、自分の身体が、想いが、無念が。


 観客ただひとりの最終公演。

 俺が燃え尽きたとき、そこにバケモノの姿はなかった。



 誰かが歌っている。

 下手くそで聴いちゃいられない歌声。

 けれどもその下手くそな声が俺の心によく沁みて、なんだか落ち着いていくのだ。


 きよしこの夜か。


 それしか歌えなくてもいい。

 いまはこの歌が聴きたい。



春香はるか、春香。四季春香ひととせ・はるか? ……お嬢様?」

「ふあっ!?」


 いつか見た景色から急速に現実へと引き戻される。

 おれ……いや、わたしの名前を呼ぶのは幼馴染でいとこで従者の夏樹沙耶なつき・さやだ。


 王子様を思わせる沙耶の顔からハスキーボイス一歩手前の低音で囁かれるとうなじの辺りがぞわっとして飛び起きてしまう。

 というか……。


「……寝てた?」

「はい、それはもう見事に。あまり学業に差し支えがあるようでは〈退魔士ナイトキーパー〉としての独立もご実家に難色を示されるとはご自身でおっしゃって――」

「ごめーん! いやー、面目ないです……」

「テストの点数は取れても日頃の態度も重要なのはご自身でもおわかりになっているでしょうに」


 ぜ、舌鋒が鋭い……。

 従者たれと実家から言われているため、さすがのお小言だ。わたしが人生二週目でなければとっくに参っていただろう。


 そう、人生二週目。

 わたし、四季春香は前世の記憶を持つ転生者である。

 失意のうちに人生を終えたらあらびっくり、良家のお嬢様に生まれ変わっていた。

 性別も変わってはじめは大きな変化についていけなかったところもあるが、今では女の子っぽく振る舞うこともある程度はできる。


「はい……。ところでホームルームは……はい、終わったね……」


 教室をキョロキョロと見回しても誰もおらず、校庭からは運動部のかけ声が元気よく聞こえてくるだけ。

 もう皆、各々の行くべき場所に向かったあとなのだろう。


「何度起こしても起きなかったので放置することにしてたみたいですよ」

「うう……、そんなにもスヤスヤと……」

「お嬢様の可愛い寝顔はしっかりと撮っておいたのでご安心を」


 なにも安心できないよ!?

 どうしてかは分からないけれど沙耶は写真をよく撮りたがるんだよね。


「さ、お嬢様。宿題を片付けながら今日の仕事をしますよ」

「分かってはいたけれど〈退魔士ナイトキーパー〉の仕事はお肌に悪いねー。今日は朱鳥あすかちゃんとだっけ?」

「いけませんよ、お嬢様。公私はしっかりとわきまえてください、白波しらなみの家にお嬢様のアーパーが伝わったらコトですからね」

「えー、朱鳥ちゃんとは仲良くしてるだけなのになあ」


 そんなに変なことはしてないはず……。してないよね? いや、していない。

 わたしは机にかけていた鞄を手に持ち、沙耶と二人でその場を辞す。


 黄昏時を超えて始まるのは夜。

 夜に棲まう悪鬼悪霊を祓う、人々の夜を守る仕事。

 それが〈退魔士〉ナイトキーパーだ。

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