第28話
◇
エルフの森に着いた時、俺は予期せぬ出会いに驚いた。
「ミーナ!?」
衣服がところどころ破れ、全身擦り傷だらけに見える。背負っている採集かごには、いつものように色とりどりのキノコが詰まっていた。
雰囲気が少し違う。そう思わせるほどにミーナの横顔は凛々しかった。
ミーナは俺たちに気がつくと、いつもの満面の笑みを見せてくれる。
「やっぱり会えた!」
何がやっぱりなのだろうと思っていると、リオンがミーナに駆け寄った。
「ミーナミーナ! どうしてここに! ……顔にまで怪我をしているではないか!」
「へへ、かすり傷かすり傷! 全然へっちゃらだよ!」
確かにそれほど深刻そうな傷は見当たらない。俺はリオンの両手足欠損の瞬間を思い出して……あんなものと比べるべきでもないと首を振る。
俺はきょとんとしているラミアの二人――ライラとナナに囁いた。
「彼女はミーナ。俺たちの仲間で……キノコが大好きです」
どんな紹介の仕方だと自分で呆れるが、ライラは気にしていないようだ。
「あら、そうなんですの? わたくしもキノコは大好きですわ!」
キノコが大好きなのか。他意なく心の中で反復していると、侍女のナナが顔を赤らめてライラに顔を近づける。
「お嬢様、キノコが大好きなどとあまり大きな声で言わない方が……」
「あら、どうしてですの?」
「……どうしてもです」
「……? 変なナナですこと」
そのやりとりを見て、俺はなんとなくナナと気が合うのではないかと思った。
ところで、リオンはまだミーナの傷を確認しているらしい。
「もういいよーリオン」
「よし、命に関わるような傷はないな」
「かすり傷だって言ってるのに」
リオンはミーナの言葉にはお構いなく深刻な顔をする。
「ミーナ、何があったんだ?」
「今はそんなことより――」
「『そんなこと』ですむものか!」
「そんなことで済むの! 今は!」
「なっ……」
「パパもママもルタちゃんも無事だから安心して! ね、ソール?」
「うん。今は『そんなこと』で済ませようか」
リオンは「ぐぬぬ……」と不服そうにした。自分は両手足が欠けても『こんなこと』で済ませようとする割に、ミーナが傷つくと自分のことを棚に上げるんだな、殿下は。
俺がリオンをじっと見ていると、珍しくリオンが気まずそうに目をそらした。ついさっき『私を見ろ』と言ったばかりですよ、殿下。
リオンも少し落ち着いたところで歩き出そうとしたその時、
「賑やかだね」
風と共に声が流れてくる。
長すぎる風に揺れる髪、豊か過ぎる胸、どれをとっても規格外なエルフ――ヒルでガルトが立っていた。
「――すごいね。特に、ミーナさんの情報は会心の一手になるかもしれない」
俺たちの話を聞いたヒルデガルトは、珍しく――といってもまだ彼女のことをあまり知らないが――驚いた表情を見せていた。
だが、驚いたのは彼女だけではない。俺とリオン、ラミアの二人も同じだろう。地面に敷かれたミーナの地図に目を奪われていた。ライラにいたっては目が悪いからなのか地図を食べようとしているように見える。
「ミーナは凄いな」
思わずそう、小さくつぶやく。
ミーナはずっと一人で両親のために樹海を歩き続けた――その足跡が地図には刻まれていた。広い樹海を細かな地域に分け、×印をつけている。これはきっと、『キノクダシタケ』がなかったという意味の目印に違いない。
いったいどれだけ……どれだけ独りで頑張ってきたんだろう。分かってはいたつもりだった。それでも今、改めてミーナが歩き続ける姿を想像して、不覚にも目の辺りが熱くなっている。
ヒルデガルトがミーナを真っすぐ見つめ、口を開いた。
「ミーナさん」
「はい!」
「君の考えを採用する。アナタニクビタケが群生しやすい各地点を結んだ領域の中心付近にキメラの本体がいると仮定して動くとしよう」
異論はなかった。この場にいる誰もがミーナの意見に価値を見出していたと思う。ミーナがずっと両親のために樹海を歩き回っていたと知っている俺やリオン、ヒルデガルトはおろか、ライラとナナもミーナに熱い視線を送っている。
と、ライラがミーナに顔を寄せた。
「ミーナさん、と呼ばせていただきますわね。わたくしとしたことが、あなたのような真に樹海のことを思って行動するお方を知らずにいたとは一生の不覚。今後ともよろしくお願いいたしますわ」
そう言ってライラは、例の睨むような目をしながらミーナに握手を求めた。
あまりに真剣な物言いをされたせいか、ライラの目が怖いのか、ミーナは落ち着かない様子でライラの手を握る。
「ミーはただ……自分にできることをしたいと思っただけで……!」
「まあ、謙虚さも持ち合わせていらっしゃるのね」
「えぇー」
ミーナは俺に助けを求めるような目を向けたが、俺は瞬きだけ返した。その賞賛を受け取る資格がミーナにはあるだろう。
と、その様子を微笑ましそうな顔で見守っていたナナが真面目な顔に切り替える。
「ミーナ様のおかげで方針が定まったところで恐縮なのですが、それでも樹海は広く険しいです。ドラゴンに化ける新種のマンイーターも現れ、警戒すべきことが増えているこの状況……キメラ本体の発見にいったいどれだけの時間がかかるのでしょうか」
新種のマンイーターか。ドラゴンモドキとでも呼ぶべき存在が一体だけしかいないという保証はどこにもない。精霊シャーレアの言っていた『本気』の意味するところが、あの赤い化け物の出現と関連しているのなら、一体では済まないだろう。
『う゛ぅぅぅぅぁあああッ!!!』
リオンが触手に手足を奪われた瞬間が、リオンの悲鳴が、未だに脳裏に焼きついている。あの赤い触手がリオンを苦しめたんだ。
「あっ――」
俺は、ふと目に映ったものに目を奪われた。燃えるように赤い竜の色と重なるそれは、俺もよく知っているものだった。
(……ああ、もしかして)
俺は、自分の中で浮かんだ危険なアイデアを無視したかった。思いつかなかったということにすれば、誰に責められることもない。あるいは、別にそれを実践しなくとも可能性の話をすれば納得してもらえるかもしれない。そうだ、それでいいじゃないか。
……でも、それで間違っていたら? 確証が得られないまま仮定の話だけで突き進んで大丈夫なのか?
リオンは……リオンなら俺がこの考えを話したら、きっとそれを実行してしまう。
(だめだ、それだけは)
リオンたちが議論を深めている中、俺は考え事をしているように装いながら地面に置いてあるミーナの採集かごに近づき――自分の手首をグレンタケに強く押し当てた。
(……ッ!!!!!)
同じだ。リオンの手足を肌を蝕んだ時と、まったく同じだ。見えない炎に焼かれているかのように、痛みが燃え広がっていく。
あらかじめ歯を食いしばっていなければ、絶対に声を上げていた。皮膚が裂けるのと同時に裂けつつある皮膚を無理やりつなぎ合わせるかのような矛盾した痛み――加えて、皮膚が沸騰するような感覚が永遠に続くように感じる絶望感に襲われる。
(こんな痛みを受けながら、リオンは笑っていたのか……?)
俺は手首の表面を【
キメラの本体と戦うことなったら、またこの苦痛を味わうのだろうか。
俺は自分の手首を隠し、再生を待った。
「ソール?」ミーナの手が俺の背中に触れたらしい。「どうしたの? 大丈夫?」
「ん、大丈夫」
心配してくれたのか、ミーナが回り込んできた。そして小声で聞いてくる。
「……ソール泣いてるの!?」
「いや……目にゴミが入って」
「本当に……? すごく辛そうだよ……?」
「うん、大丈夫」
どうも酷い顔色だったらしい。ミーナが病人を見る目で俺を見ている。
俺が会話の輪の中に戻ると、隣のリオンが厳しい目で俺を見つめた。
『ばかもの』
声にこそ出ていなかったが、リオンの口の動きは確かにそう言っているようだった。
「ソールが話したいことがあるらしい。聞いてやってくれないか」
……やっぱりばれてた。俺はリオンからは目をそらしながら、ミーナに尋ねる。
「ミーナ。アナタニクビタケが群生しているスポットがあるように、グレンタケが群生しているスポットがあるんじゃないか?」
「え? うん、あるよ?」
ミーナがアナタニクビタケの他にもたくさんのキノコを集めていたから、もしかしたらとは思っていた。
「俺たちが倒した新種のドラゴン――ドラゴンモドキは、グレンタケと同じ色をしていたんだ」
「え…………あっ! そういうこと!?」
ミーナも驚いていたが、特に驚いていたのはラミアの二人だった。
ライラがナナに尋ねる。
「今まで討伐してきたドラゴンとの違い、分かりまして……?」
「いえ……細かな色の違いまでは……」
と、俺はヒルデガルトにじっと見つめられていることに気がつく。俺の瞳の奥を覗こうとするようなあの目だ。
『なぜ俺が確信を持ってグレンタケと同じ色だと言えたのか』
そんなことを聞かれるのかと思ったが、ヒルデガルトは特に追及してこなかった。代わりに妖しい笑みだけ向けてくる。やっぱり怖いなこの人。
視界が何かに塞がれる。ああ、リオンの手だ。
「できた!」ミーナが声を張り上げる。
その場にいた全員で一斉にミーナの地図に群がった。
(これは……!)
グレンタケの群生スポットの点と点を繋ぎ合わせてできた円は、楕円形のアナタニクビタケの群生スポットの内側に収まっていた。
キメラ本体はこの円の中心にいると、この場にいる誰もがそう確信したに違いない。
「これなら七日と待たずにキメラ本体を見つけ出せますわ!」
息巻くライラに「いや」とヒルデガルトが割り込んだ。
「明日だ。明日にはこの侵略を終わらせる」
灰色の乾いた瞳が、敵を見据えるように鋭く光っていた。
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