第29話

俺たちは今、エルフの森の中心にある集会所で英気を養っている。切り株でできた椅子がたくさんあって、みんなそれぞれ好きな場所に座っていた。


ミーナはライラ、ナナと何かを楽しそうに話しているし、俺とリオンは椅子に腰かけてぼーっとしている。


ヒルデガルトはというと、『しばらくゆっくりするといいよ』と言って集会所を出ていった。きっと盟主の仕事があるのだろう。


ちなみに、ヒルデガルトは俺たちの会話のやりとりを樹海同盟に風で届けていたらしい。後出しで言うことではないが、情報共有をするなら二度手間が避けられて良いのは確かだ。まったく便利な力だ。


それにしても、『明日にはこの侵略を終わらせる』か。ヒルデガルトは決意めいた物言いをしていたが、あの言葉には根拠があった。


『ミーナさんが示した円の中心には深域しんいきと呼ばれる場所があってね。巨木が密集した地域の内側にあるんだ。ボクたちも人目がつきにくい深域が怪しいとは思っていたんだけどね、そんな場所は樹海のいたるところにある。ひと月かけても全てを確かめることはできないんだよ』


そのひと月を、ミーナが一日に変えた――そういうことになる。


俺はこの体になってから主人公とはなんなのかとよく考えるようになったが、今のミーナこそ主人公の器なのではないか。戦う力がなくとも自分の考えで行動し、他者を導く。それをヒーローと呼ばずしてなんと呼ぶのか。


そんなことをぼんやりと考えていると、不意に手首に痛みが走った。


「あいたた」

「ばかもの」


隣に座っていたリオンが両手で俺の思いきり手首を掴んでいる。なんで……。


「グレンタケの痛みはこんなものではなかろう」


ああ……こっそりグレンタケの症状を確かめた話か。


「殿下……あの……ご勘弁を」

「ふん」


リオンは手を離し、不機嫌そうに腕を組んではそっぽを向いて言う。


「もっと自分を大切にしろ」


リオンは自分のことを棚に上げている。口には出さずに思っていると、


「上に立つ者とは、常に自分のことを棚に上げ続ける者なのだ」


俺の考えを見抜いたのか、リオンはそんなことを言った。まかり間違えば嫌な上司でしかない。


だがリオンはそこらの上司とはまるで違う。


「殿下」

「なんだ」

「俺は、殿下の痛みも知らずに分かったようなことを言ってしまいました」

「謝るな。あれは過ぎた話だ」

「……分かりました。ですが、たまには棚に上げたものを下ろしてほしいです」

「……考えておく」


リオンはそっぽ向いた顔を戻し、再び俺の手首に手を伸ばした。


「痛かったろう」


握られるのではなく優しくさすられて、俺は思わず手を引っ込めた。


「はい、殿下は見た目に反して力がお強いので」

「誰が怪力女だ」


リオンはグレンタケの痛みについて言っている。分かり切ったことだったが、リオンはそのことを追及したりはしなかった。


〈ミーナさん、あなた、同盟の盟主になりませんこと? 下剋上ですわ!〉

〈えぇー!? 無理だよッ!?〉

〈では、ナナと共にわたくしの補佐をするのはいかが?〉

〈そ、そんなこと急に言われても! 困るよー!〉


現盟主の根城であるエルフの森のど真ん中で、盟主を引きずり下ろす計画が立てられようとしている。恐ろしい話だ。一応、周囲にはエルフのみなさんがたくさんいるんだけど……あまり気にしていないのか澄ました顔をしていた。


一方、リオンはニヤリとして立ち上がる。


「ミーナミーナは我々の仲間だ。私を通さずにそのような話をされては困るな」

「あ! リオーン! そうだよー! ミーたちには一緒に暮らす家があるんだもん!」

「あらそうですの。でしたらわたくしも皆様のお家に行ってみたいですわ」

「ふむ、それは構わぬ。が、通行料として尻尾は触らせてもらうぞ」


しれっと自分の欲望を混ぜ込むリオンだが……ミーナのように尻尾や耳はデリケートだったりはしないだろうか。


俺が苦笑していたその時、風が吹いてきた。


「盟主を陥れる算段を立てるなんてあまり感心しないな。それもこんな場所で」


ヒルデガルトが微笑を浮かべながらゆっくり歩いてくる。これについてはごもっとも。


ライラは腰――蛇と人間の境目――に手を置いて胸を張った。


「ふふん。より多くの人に聞こえるように言っているのでしてよ? 第一、500年も盟主が変わっていないなんて不健全だと思いませんこと?」

「うふふ、相変わらずライラさんは耳が痛いことを言ってくれるね」


ヒルデガルトは耳が痛いと言っているが、むしろ嬉しそうに見える。もしかしたらヒルデガルトも畏敬の念をもって接してもらうよりも、ライラのように歯に衣着せぬ物言いをしてくれる方が嬉しいのかもしれない。


「さて」ヒルデガルトが俺たちに向かって言う。「このままこの森で明日を待ってもらってもよいのだけれど、どうしたいかな」


その問いを聞いたミーナが俺たちに駆け寄ってきた。


「パパとママが心配してるから、一度帰りたいな」

「うん、そうだね。殿下?」

「ああ、帰るとしよう」


ヒルデガルトはライラたちの方を見る。


「わたくしたちも一度ラミアの森に戻りますわ。明日が決戦の時、お母様たちと会えるのも今日で最後になるかもしれませんので」


平然と言ってのけるライラ、表情一つ変えないナナ、二人の姿に不意を打たれた気がした。俺は不死身の体のせいか、死を意識から外していたように思う。リオンの顔色をうかがうが、二人に負けず劣らず……いや、二人以上に冷たく、遠くを見すえるような目をしていた。


ミーナが「最後なんて……」と小さくこぼす。目線を落とすミーナを見て、ほっとしている自分がいた。


「もちろん、最後にするつもりなど一切ありませんわ。それに、歴戦のエルフ様もこの森にいるそうですし?」


ライラの目を真っすぐに受け止めて、ヒルデガルトは言う。


「500年前、君みたいなラミアがいてね。彼女はまだ若かったボクを守って死んだんだ。その時のことを今でも覚えている。ラミアだけじゃない……他にも多くの樹海の民が、より若い命を守って死んだ。そのことをボクは、これからもずっと覚えている」


それきり、ヒルデガルトは口を閉ざした。


と、ライラの表情が崩れていく。予想していた返答とは大きく違ったらしい。


「……だからなんだって言うんですの! もう! 行きますわよ、ナナ!」

「あっ、お嬢様! 皆様、失礼いたします……」


ぶんすかしているライラとそれをなだめるナナの背中を、俺たちは見送るのだった。

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