第4話 Chapter4 「選ばれし者たち」

 樹里亜は森の中にいた。青森県と秋田県の県境の白神山地だ。白神山地は世界遺産に指定されているため、立ち入りが制限されており、訓練にはもってこいの場所だ。樹里亜は3週間に渡って狙撃を徹底的に学び、最終の実戦訓練を行っていた。

《こちらミサキ、S-5、コンディションは? 詳細を送って》

《こちらS-5、ポイントは動いてません。天候は小雨、体調は良好です。食事は2日前に携行食を食べました。水とビタミン剤は適時接種、残り1リットル。昨日からの排泄は尿のみ。睡眠は1時間を2回。銃の状態は良好です。以上》

《ミサキ了解。引き続き任務を遂行せよ。ターゲットは必ず現れる》

《S―5了解》

樹里亜は森の中に小さな竪穴を掘り、75時間そこに潜んでターゲットを待っていた。食事はチョコレートバーのみ。トイレは穴の中で行い、消臭剤と殺菌剤の粉を撒いている。睡眠は夜中にごく短い時間とる。体温を維持するために厚手の戦闘服を着てアルミブランケットを使用している。熊やイノシイが現れた時に備えてスナパーライフルの他にスミス&ウェソンM29の44マグナムを携帯している。樹里亜は常に360度に視線を配っているため首の皮膚が戦闘服の襟と擦れて炎症を起こし、血が滲んでいる。3日間シャワーも浴びていない。

樹里亜の行っている訓練は待ち伏せ狙撃の訓練である。一つのポイントに潜み、最大5日間の待ち伏せを行ってターゲットを仕留めるのである。狙撃の技術以上に精神力が必要な訓練であった。


 樹里亜は捨て子であった。いわゆる赤ちゃんポストに預けられたのである。浅井樹里亜とうい名前は区の職員が付けた。苗字は前年のレコード大賞の新人賞を取ったグループバンド、『ストライプズ』のボカール浅井和也の苗字から、樹里亜はそのグループバンドのヒット曲『ジュリアに乾杯』から取ったものだった。樹里亜は12歳まで擁護施設で過ごし、適性を認められて内閣情報統括室配下の組織の訓練所に入ったのである。IQ125で運動能力も高かったのだ。


 内閣情報統括室の孤児の採用条件は中学生女子の場合、IQが120以上だった。また、全国模擬試験の偏差値も63以上が条件だった。運動能力は50m走7秒台、1000m持久走3分台、ソフトボール遠投40m以上、水泳は500m以上と中学生女子としてはかなり高いものだった。筋力は訓練所で鍛えるのであまり問題とされなかった。樹里亜は大人しい性格で争いは好まなかったが何事も粘り強く行い、忍耐力強かった。訓練所の卒業時の評価は格闘術と狙撃がA判定だった。


 前方100mの茂みが微かに揺れた。樹里亜はスコープを覗いた。時刻は15:00、小雨が降っている。樹里亜はスコープの中にターゲットを捉えた。スコープの倍率は8倍。ターゲットは3人で迷彩服を着ている。茂みの中をゆっくりと進んでくる。樹里亜はボルトを引いて薬室に7.62mm弾を装填した。一番後方のターゲットに狙いを付ける。息をゆっくりと吐いて止めた。教官のミサキに教わった通りだ。


 「浅井訓練生、息を3秒吐いたら止めて」

藤原ミサキがサプレッサーを付けたM24スナイパーライフを構えた樹里亜の横で言った。藤原ミサキはすらっとした女性で、切れ長の目と長い黒髪が似合う和風美人だった。

『バスッ!』

弾は500m先のターゲットに命中した。

「浅井訓練生、スジがいいよ。今日は満点だよ」

ミサキが言った

「ミサキ教官のおかげです」

「ううん。あなたはスジがいい。どこで習ったの?」

「内閣情報統括室配下の訓練所です」

「そうなんだ。16歳だよね? 暗殺専門だっけ?」

「はい。でも最近は戦闘も行います。ミサキさんはどこで狙撃を覚えたんですか?」

「私は代々マタギの家系なの。今はある宗教団体の工作員なの」

「宗教団体ですか?」

「そう、大きな団体なの。宇宙の真理を教義にしているの。実働部隊も持ってるの。狙撃の教官として時々政府の機関に協力してるのよ」

「なんか不思議ですね」

「浅井訓練生は宇宙人とか信じる?」

ミサキは意外な質問をした。

「宇宙人ですか? どうでしょう」

「宇宙は凄く広いの。一つの銀河に2000億個の恒星があって、銀河は宇宙に2兆個もあるのよ。隣の銀河までジェット旅客機で1500億年もかかるの。凄いでしょ?」

「凄いですね。そんなに星が沢山あって広いのなら宇宙人はいるかのしれませんね」

「ふふっ、いるわよ。そうそう、狙撃は孤独な任務よ。動かず、音も立てずに臭いもさせずに何日も石のようにじっとしている事があるの。乱戦では何十人とうい敵にひたすら撃ち続ける時もあるの。体力と精神力が必要なの。孤独に耐える事が必要なの。私は孤独な時は宇宙の事を考えるの。自分が広大な宇宙の一部であることを想像して実感するの。そうすれば何日でもじっとしていられるの」

「そうなんですか。凄いですね。宇宙ですか」


『バスッ!』

樹里亜が撃った7.62mmペイント弾がターゲットの一番後ろにいる男の胸に命中した。樹里亜はスコープを覗きならすぐにボルトを引いて次弾を装填した。ペイント弾は模擬弾だが実弾と同じ火薬で発射されるので当たればかなりの衝撃を受ける。ターゲットの前の2人が狙撃に気が付き、後退しようとするが撃たれた男が邪魔で動けない。

『バスッ!』

ターゲットの先頭の男のヘルメットにペイント弾が当たり、黄色く染まる。樹里亜はスコープを覗きならすぐにボルトを引いて次弾を装填する。真ん中の男は動けない。

『バスッ!』

ターゲットの真ん中の男のヘルメットにペイント弾が当たる。樹里亜はスコープを覗きならゆっくりボルトを引く。

《ミサキよりS-5、ターゲットより連絡あり、任務成功。キャンプに戻って》

《S-5了解》


 樹里亜は山道を15Km歩いて訓練の臨時ベースキャンプに戻った。大きなテントから藤原ミサキが出て来て樹里亜を迎える。

「ご苦労さん。これで訓練は終了よ。後は定期的に狙撃の練習をしてね。体が冷えたでしょ?」

ミサキはアルミのマグカップに入ったホットミルクを樹里亜に差し出す。

「ありがとうござます」

樹里亜がマグカップを受け取り、を口に運ぶ。

「あったかい! 美味しいです!」

「お湯で足を温めて、首の擦り傷に軟膏を塗ってね。ほんとうにご苦労さん。シャワーは明日になるけど着替えてテントで休みなさい」

「あの、お腹が減りました。食べ物ないですか?」

「空腹状態でいきなり食べるとお腹を壊すわ。薄い雑炊があるからそれを食べてね。極度の飢餓状態の時は絶対に食べちゃだめよ。最初の4~5食は重湯だけを飲んで、その後はしばらくおかゆを食べるの。いきなり普通の食事をしたら死ぬわよ。戦国時代の兵糧攻めや太平洋戦争の時の日本軍の記録に事例が沢山残ってるの」

「わかりました。ミサキ教官はいろいろ知ってるんですね。さすがマタギの家系ですね」

「実はね、私、300歳なの。あはは」


 瑠美緯は自衛隊の対テロ部隊で訓練を受けていた。

「おい、6番、早く登れ!」

戦闘服を来た教官が叫ぶ。

「はいっ!」

瑠美緯は垂直の絶壁に垂れ下がったロープを20m登った。

「6番登りました!」

「よし、5秒で降りろ!」

瑠美緯は垂直の壁を蹴りながらリペリングで絶壁を降下した。瑠美緯はロープを使った登はん及び降下訓練とパイプ登りや狭いダクトの中を進む建物への潜入・脱出訓練を行っている。狭い場所でのナイフやこん棒を使った格闘訓練も行った。爆発物を仕掛ける破壊工作訓練も何度も実施した。ナイフ格闘術と、音を立てずに接近して相手を仕留める技術は瑠美緯の得意技となった。


 最終訓練は群馬県の谷川岳だった。断崖の下に作られた2階建てのプレハブに進入し、格闘術で教官と戦って機密書類を奪った後にプレハブを脱出し、その後に絶壁登り、爆発物を仕掛けて降下する訓練だった。瑠美緯はプレハブの外壁を登った。窓枠や排気口や飛び出したボルトに掴まって一気に2階まで登り、窓にぶら下がって室内を覗いた。敵役の教官が椅子に座っている。椅子は向こう向きだった。瑠美緯は左手で窓にぶら下がったまま、右手で窓を静かに開けた。懸垂の要領で体を持ち上げ、窓枠を静かに跨いで部屋に入った。椅子に座った敵役の教官に忍び寄った。訓練用ナイフで後ろから喉をかき切った。教官は瑠美緯の静かな侵入に気がつけず、反撃できなかった。

「よし、合格!」

敵役の教官が言った。瑠美緯は室内を探索すると戸棚から書類カバンを発見した。

中を確認すると機密書類だった。書類カバンのショルダーを肩に掛けると窓に移動して窓枠からぶら下がり、飛び降りた。ぶら下がった分飛び降りる高さを低くできる。

飛び降りた後はプレハブの横のオーバーハングの絶壁20mをフリークライミングで登った。前腕と肩がギリギリと痛んだ。

絶壁を登りきると6畳ほどの平らな場所があった。リュックから模擬時限爆弾を取り出すとタイマーをセットした。1分ほど腕を揉んで筋力の回復を図るとハンマーで岩にハーケンを打ち込み、リュックから取り出したカラナビのついたロープを取り付けた。瑠美緯は手袋をしてロープを掴むと崖からぶら下がった。ハーネスは使用しない。スルスルと降下する。掌が摩擦で熱くなる。瑠美緯は2mの高さで手を離して飛び降りた。ゆっくりと歩いてスタート地点に戻った。

「よし、合格! いいタイムだ」

瑠美緯は最終訓練に合格した。この訓練ではタイムオーバーで3名が不合格。プレハブの侵入で2名が不合格。絶壁の訓練で4名が落下し、内2名が重症となった。3週間におよぶ訓練の合格者は3名だった。参加者は各機関の優秀な工作員だが過去に何名も死亡者をだしている命がけの訓練だった。

「君は幾つだ? 10代か?」

訓練生の男が話しかけてきた。

「15歳です。高校1年生です」

「へえ、若いなあ。女の子でこの訓練に参加するなんて凄いな。どこの組織だ?」

「それは言えません。ナンパならやめて下さい」

「ははは。俺は27歳で公安系だ。まあお互い頑張ろうぜ。それにしても15歳の女子高生か。どこの組織か気になるな」


 瑠美緯は10歳の時に両親と兄を交通事故で失った。兄は中学生だった。家族で箱根旅行に行った帰り道に幹線道路で飲酒運転の大型トラックに追突されたのだ。瑠美緯は奇跡的に軽傷だったが両親と兄はほぼ即死だった。瑠美緯という名前は宝石好きの母親つけた名前だった。瑠美緯は養護施設に入り、中学校に入ると女子野球部に入部した。兄が野球部のレギュラーで、よく練習試合の応援に行き、野球に興味を持ったのだ。女子野球部でのポジションはショートだった。運動神経がよく足が速かった。IQは122だった。13歳で内閣情報統括室配下の訓練所に入った。


 ミントと樹里亜と瑠美緯は米子の部屋を訪れていた。

『沢村さん、相変わらずシンプルでお洒落な部屋ですね』

樹里亜が言った。

『何もないでしょ? でも殺風景なくらいの方が落ち着くんだよね』

米子がテーブルにコーヒカップを並べながら言った。

「やっぱり米子の淹れたコーヒーは美味しいね。コロンビアだね。でも私も米子に教えてもらった道具を買って毎日コーヒー淹れてるんだよ。メキシコのコーヒーがお気に入りだよ」

「へえ、メキシコか。今度試してみるよ。そうそう、樹里亜ちゃんと瑠美緯ちゃんは特別な訓練を受けたんだって?」

「はい、1ヶ月間狙撃訓練しました。アイアンサイトなら400m、スコープ有りなら1000mまで狙えます。3日間山の中の同じ場所にずっと留まって狙撃する訓練もしました」

樹里亜が嬉しそうに言った。

「へえ、凄いね。狙撃はチームの戦力アップになるし暗殺にも使えそうだね」

「米子先輩、私は潜入工作の訓練をしました。壁や崖を登ったり、ダクトや天井裏に潜んだり、爆破工作やナイフを使った格闘を訓練しました」

瑠美緯も嬉しそうに言う。

「へえ、凄いねえ。忍者みたい。今度教えてよ」

「いいですよ、米子先輩だったらすぐに覚えますよ。米子先輩に教えるなんて夢みたいです。そのかわりバイク戦闘を教えて下さい。米子先輩のバイクを運転しながらマシンガンを撃つ姿がカッコよかったです。来月16歳になるんで正式なバイクの免許を取ります」

「いいけど自衛隊の偵察レンジャーで訓練を受けようと思ってるからその後でね」

「米子、いつ戻ってくるの? 戻って来て欲しいよ。来月また戦闘チームと演習があるんだよ。今度は勝ちたいんだよ」

ミントが言った。

「そうなんだ。まだ休暇は取るつもりだけど、私もその演習に参加したいよ。だいぶ体が鈍ってるからね」

「参加してよ。木崎さんに頼んでおくよ。本格的に復帰するのはゆっくり休んでからでいいよ。きっと米子には休みが必要なんだよ。せっかくの休みなんだから旅行とか行ったら?」

「1人で行ってもつまらないよ。今は学校の友達と遊んだりしてるんだけど、それだけでも新鮮なんだよ」

「へえ、米子にしては珍しいね。やっぱり米子は変わってきてるよ。いい事だと思うよ」

「そうかな? まあ普通の女子高生の生活も知っておかないとね。今までは殺戮マシンみたいだったからね」

「米子の射撃や格闘術と作戦立案や戦闘指揮は凄いもんね。『私とアイドルエイリアン』のナナミ大尉みたいだよ」

「何それ? そうだ、来週から学校は夏休みだよね、みんなでどっか行きたいね。権藤さんが伊勢の別荘に来ないかって言ってたよ。この前聞きたい事があって連絡したんだよ」

「へえそうなんだ。いいねえ、伊勢か。行った事ないよ。それにまたお小遣い貰えるかも」

ミントが嬉しそうに言った。

「松坂牛に伊勢海老食べ放題だってさ」

米子が言った。

「凄いっすねえ! 食べ放題っすか!」

瑠美緯が声を上げた。

「権藤さんの事を思い出すと神戸牛の事も思い出します。凄く美味しかったです。あんなに美味しいもの食べた事無いです。伊勢海老も食べた事ないです!」

樹里亜も嬉しそうだ。

「だよねー、ゴンちゃんは太っ腹なんだよね」

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