第3話
後頭部を鈍器で殴られたような衝撃に目を白黒させながらそう叫ぶと、コルンがゆっくりと頷く。
「いつかこうなると思っていました。俺の方はもうサインが済んでおりますので、あとはアリーチェ様のサインをいただければ婚約破棄出来ますよ」
「あ、えっ、えっ、お、お父様のサインまであるのだけれど……」
「はい。事前に頂いておいて良かったです」
“どういうことなの……!?”
理解が出来ない。
婚約破棄?
私が? コルンと?
「そ、そんなっ」
「出来れば侯爵家まで護衛したいところですが、きっと婚約破棄した元婚約者に送られたくはないでしょう。侯爵家へは連絡を入れておきますので、迎えが来るまではごゆっくりなさっていてください」
「あ……、え」
“違うの! そうじゃないの!”
動揺で上手く声が出ない。
今引き留めなければかなりまずいということはわかるのに、喉がカラカラに乾き張り付いてしまっている。
「では失礼いたします」
「待っ」
ペコリと頭を下げたコルンを呆然として見つめる。
背筋を伸ばしたままカフェを出るその姿は彼の指先までもを格好良く見せ、何一つ現実感はなかった。
――ただわかるのは、私の目の前に残された婚約破棄合意書が本物であり、紛れもない現実として私の目の前に残されていることだけである。
◇◇◇
「は、はぁっ!? 婚約破棄された!?」
「ちがっ、まだ、まだ書類に印は押してないもの! 不成立よっ」
「それもう最終勧告受けてるじゃない」
動揺した私が婚約破棄合意書と共に駆け込んだのは、もちろん友人であるエリーの家、フィオリ伯爵家である。
いつもは塩対応で私の話をほとんど全部聞き流しているエリーだが、流石に予想外だったのか珍しくお気に入りの読書を止めて私の方へと向き直ってくれた。
「で、なんでそんなことになったのよ?」
「エリーに借りた小説の真似をしたら……」
「創作物は創作物って言ったでしょう!? で、なにやらかしたの」
「き、君を愛するつもりはないって言いました」
「バカ決定」
はぁ、と思い切りため息を吐きながら頬杖をつき呆れた顔を向けられた私は思わず俯いてしまう。
「大体私は、三角関係の本で大人の余裕を、平民からの逆転劇で健気に思い続ける大切さを学んでほしかったのよ」
「君を愛することはない、は?」
「そんなバカなことをしないようにの釘さし」
「うぐっ」
まさかあの一瞬でそんな意図を込めて本をピックアップしてくれていたとは。
そしてその一冊を選んでしまうとは。
自分の浅はかさに思わず頭を抱えてしまう。
「そもそも、『君を愛することはない』は最終的に溺愛する側が言うセリフなの」
「はい」
「コルン卿に愛されたかったならアリーチェが言うセリフではないわ」
「はい」
「むしろ好感度を下げるだけよ」
「……はい」
辛辣な、だが事実であることを指摘されて項垂れた私だったが、ここであっさりとコルンを諦めたくはない。
“だってこんなに好きなんだもの”
もう嫌われてしまったかもしれないし、最初から私のことなんて少しも好きじゃなかったからこんな書類を用意していたのかもしれないが……それでも、まだ私は自分の力では何も頑張っていないのだ。
「婚約はお父様頼みだったし、それに毎日ただただ彼へとつきまとうことしかしてなかったわ」
「あら、それはいい気付きね」
努力をしよう。私はそう思った。
貴族の子女が通う学園でも、トップクラスの成績常連のエリーに比べ私は中。
それも限りなく下のカテゴリーに近い中という学力。
“まずはわかりやすくそういった数字が出るものから頑張ろう”
不器用だからと避けていた刺繍もやってみよう。
「もう受け取ってはくれないかもだけど……」
それでも、今までの私から変わりたい。
“コルンが私を好きだったなら、こんな書類を用意しているはずはない。それに私の言葉にだってもっと他の言葉をくれたはずだわ”
愛することはない、なんてセリフにあっさりと納得して受諾してしまったのだ。
きっとそういうことなのだろう。
「だからせめて、好かれる努力をしたいわ」
自分磨きならコルンへ迷惑はかけないし、騎士として努力している彼に釣り合うようになりたい。
そうして少しでも成長したら、もう一度だけ彼に告白しよう。
“振られてしまったらちゃんと諦めてこの書類も提出するわ”
だからもう少しだけ、彼の婚約者でいさせてください。
自分勝手だとはわかっているけれど、私はそっと婚約破棄合意書を仕舞ったのだった。
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