アイツの幼馴染み

雨夜いくら

「……いつもより、遅い」

 午後のホームルームが終わり、担任の教員が教室を後にする。

 ガヤガヤと騒がしくなる教室内。俺は荷物を片付けながら帰宅準備を進めていると、隣の席から話し声が聞こえてきた。


「おーい美和、お前来ないのか?」


 いつも…と言ってもまだ4月の下旬だが。彼は和井悠岐というクラスの中心に居る赤毛のイケメン。


「ちょっ、行くよぉ!」


 返事をしたのは花ヶ崎美和、黒髪ショートヘアの小柄ながら巨乳で明朗快活な美少女。


「…ってあれ、伊緒は来ないのかよ?」


 二人を無視してスタスタと廊下へ出て行ったのは四ノ宮伊緒。亜麻色の髪をいつものポニーテールとメガネがトレードマークのこちらもかなりの美少女だが、愛想が悪く無口だ。


 花ヶ崎美和と四ノ宮伊緒の二人は和井悠岐の幼馴染み。俺は一応、中学の頃から彼らとは何度か同じクラスになった事がある。

 詳しくは知らないが、小さい頃から仲が良いとかなんとか。他のクラスメイトととは一線を画して、よく一緒にいる姿を見る。


「あ、行っちゃった。まあ良いや、いつもの事だし。二人で行こ?」


「……そうするか」


 出て行った三人のあとを追うように帰宅部の面子は教室を出ていく。

 俺、紅咲くれさき理桜りおもその一人だ。


 駅前にある個人経営のそこそこ大きなフレンチレストランに入る。


 三十代の夫婦が経営しており、基本的にまあまあな人数で切り盛りしている店。

 リピーターが多く、去年の春からバイトをしていると自然に顔を見知りが増えていった。


 見かけた店長に軽く挨拶をしてから制服に着替えていると、後ろから「おーす」と挨拶が聞こえてきて振り向いてから頭を下げた。


「すみません、日直でちょっと遅れました」


「そう思うんならその分ちょっと長く働いてくれ」


 若作りの童顔だが背が高くて体格が良い、優しい雰囲気の男性だ。


「あ、はい」


 相変わらずラフな店長に苦笑いしながら、俺はホールに入った。




 仕事自体はいつも通り。

 仕事場の雰囲気は良好。

 仕事はほぼ覚えたし、一人暮らしをする分には貯金もできるくらいには羽振りは良いが、高校側の規則で二十一時までしか働けないので、それ以降の片付けなんかは参加せずに店長に挨拶して帰路につく。


 しばらく歩いて着いたのは、駅前から徒歩で15分程度の場所にある小さなアパート。

 両親からは今後自立した生活を送れるように…という名目のもと4月分の家賃諸々は払ってもらい、それ以降の生活費は一応、問題なく自分で稼ぎながら貯金もできる。本当に羽振りが良い。


 自立して欲しいのは間違いではないのだろう、二人居る姉もそうだったから。

 俺も小学校低学年の頃には、自分の部屋を貰ったが…。

 そうなる前から、週に何度も両親が夜中にまぐわっている姿を目の当たりにして来た。


 そんな訳なので、自立して欲しい以上に…ただ両親がイチャイチャしたいだけである事には、姉弟揃って気付いていた。


 両親の仲が良いのは良いことだと思う、それ以上は考えないようにしている。




 ふと、アパートの一室。俺の部屋の玄関のすぐ側に立つ人影があった。

 亜麻色のポニーテールと、メガネをかけた少女は壁に寄り掛かってスマホに視線を落としている。


 俺は挨拶もせずに自分の部屋の鍵を開けて、中に入ると……後ろからその少女も入って来る。


「……いつもより、遅い」


「えっ、いや……。五分くらい多目に見てくれって。君が何時に来るかなんて知らないんだから」


 部屋に入ってきた少女は、クラスメイトの四ノ宮伊緒。幼馴染みがクラスの中心人物として人気者をやっていると言うのに、夜中に俺の部屋に平然と入って来るとは何事か。


「ご飯は?」


「…ん…」


 聞くと、伊緒は小さく頷いた。

 どうやら食べて来た様だ。


「あの……見られてると着替えづらいんだけど」


 気にしないで、と視線だけで示して来た伊緒は、開いていた窓から当たり前のように部屋の中へ入って来た白猫の方に向かった。


 見られていない隙に部屋着に着替えて、キッチンに立つ。


 そこで侵入して来た猫と戯れながら、偶にチラッとこっちを見てくる美少女に目を向けた。

 伊緒がこうして家に来るのは、一度や二度ではない。




 彼女は中学校の卒業式の日に、こっそりと俺の机に手紙を忍び込ませていた。


 その手紙の内容はいわゆるラブレターと言う奴だった。

 無口な彼女は自分の口から言葉で気持ちを伝えるのは難しかったからと、手紙に想いを込めてくれた。


 そこに書かれていた話の一つに、彼女の幼馴染み二人の事があった。

 伊緒は進路希望の提出書類で俺の志望校をこっそりと確認したそうだが……。それを追ってここを受験しようとしたところ、幼馴染み二人に知られてしまい、着いて来てしまったと嘆いていた。


 手紙にはラブレター的な話とは別に、幼馴染み二人にこの手紙や、内容の事は内緒にして欲しいと、そんな事も書かれていた。


 その後、高校に入学すると俺は伊緒と偶然同じクラスになった。

 ただその日は話しかける機会が無かったので、仕方なく彼女と同じ様に手紙を書いた。

 告白に関しては了承することと、アパートの住所と部屋、バイト先なんか記して手紙を返した。


 その日の夜から、こうして週に三回か四回という高頻度で家に来る様になった。


 その何度かの間に彼女は、こっそりと私服や自身の生活用品をこの部屋に持ち込んでは置いていく。


 そんな生活を一ヶ月近く続けて居たら、今では彼女も寝泊まりできる程度には物が増えてきた。


「…」


 美少女というのは不思議な物で、見ているだけで安らぐし、何も言わずにただ猫を膝に乗せて撫でているだけでもとても画になる。


 ふと、少女はスマホを取り出してポチポチと誰かに連絡を取り始めた。


 そんな様子を眺めながら食べるご飯の味はいつもとなにも変わらない。

 なんなら、疲れて味がしない気がする。


「…お風呂、借りる」


「えっ……何、泊まるつもり?」


 伊緒は返事をせずにスマホを手渡して来た。

 やり取りの相手はお母さん。


『いおちゃんまた遅くに出てったの?』

『仕方ないわね〜ゆうきくんでしょ、お父さんには言っておくからお泊りしてもいいのよ』

『あ』

『でも』

『初夜はいおちゃんにはまだ早いからね!!!』


 そんな内容に、思わず頬を引きつらせる。


「…相手お母さん?」


 相変わらずの無表情でこくっと頷いた。

 ……娘とのギャップがデカすぎて衝撃だし、完全に既読スルーしてる伊緒にもびっくりだし、それを気にしてない母親にもびっくりだ。


 盛大に勘違いされている状況に何も言わない娘と、娘の初夜の話をしている母親。

 見てるこっちの頭が痛くなる。


「…てか、親に話してないんだな、俺の事」


「………話すと、バレる」


 バレる、というのはこのやり取りにも居るゆうきくん……和井悠岐にバレるという話だろう。


 詳しくは知らないが、どうも彼に関係がバレるのはよろしくないらしい。

 俺と伊緒が学校で目を合わせることすらしないのは、そんな理由があってのこと。


 ここで「え、なんで?説明してよ」みたいな事を聞いても、この少女は何を言えば良いか分からなくなってあたふたするだけになるので、一々深堀りはしないでおく。


「じゃあ友達の家に泊まる、みたいに返すのは駄目なのか?」


「……居ないよ……?」


 お泊り会をするほど、仲の良い友達なんてのは居ない様だ。

 強いて上げるならもう一人の幼馴染みである花ヶ崎美和なのだろうけれど、彼女経由だとそれはそれでゆうきくんとやらにも、親にもバレるので結局言えないらしい。


「……お母さんは……。悠岐が良い、から」


「君が和井と恋人に……というか、あわよくば将来的に結婚する様な間柄になってくれた方が嬉しいって事?」


「……ん」


「……なら、伊緒はどうして和井を選ばなかったんだ?」


「……美和との、約束」


「どんな?」


「同じ人を、好きにならない……みたいな」


「あー……?えっと、つまりは、花ヶ崎美和が和井悠岐に恋をしている事を知らされたから、しばらく距離を置いていたら、その時に俺のことを好きになった……ってこと?」


 今までに彼女から聞いた話を一通り思い出しながら、大体の事情を察して纏めると、少しだけ嬉しそうに頷いた。


 俺の彼女が口下手とかいう次元じゃないんだけど。


「私は、美和のこと……応援してる、から……」


「てことは、今も二人と少し距離を置いてるの?」


 こくこくと頷く彼女に「下手すぎるだろ」とは口に出さないで置くことにした。

 今になってやり方を変えても、多分ボロが出るだけだろうから。


「そっか、話してくれてありがと。お風呂行ってきなよ」


「……一緒に、入る?」


 そんな冗談に苦笑いしながら……


「食器片付けて、課題もやらないと。俺はその後で良いよ」


 と返すと、伊緒は少しむくれたふりをして……すぐにほんの小さく口角を上げてみせた。


 風呂場に向かった彼女の後ろ姿が見えなくなった後で、俺は思わず一人呟いた。


「……急に笑顔見せんなよな」


 やっと無表情な美少女がすぐ近くに居る状況に慣れて来たって言うのに、今度は不意打ちで微笑んでくれる様になるのか。

 人の心弄んで楽しいかよおい?

 癒しにはなるけれど、本当にドキッとするから心臓に悪い。




 今日一日で土日分の課題を終わらせ、座椅子ソファに寝転がる。


「……んっ、11時か。風呂炊き直さないと」


 明日はバイト先が定休日、部活に入ってないので丸一日休み。すぐにでも寝たいところだ。


「……ん、やっと終わった」


 一緒になって高校の課題をこなしていた伊緒も、ゆっくりと伸びをする。

 風呂から上がった後、彼女はポニーテールを解いたまま亜麻色の髪をストレートに下ろした状態。

 視力の方はとても悪いとまでは行かないまでも、メガネをしていた方が、楽という程度のようだ。


 課題は終わったので、メガネも外して少し目を擦る彼女の仕草に見惚れる……前に、俺は風呂の設定をして寝室に向かった。


「伊緒、冷蔵庫にプリンあるから、食べてて良いよ」


「……いただきます」


 少し時計を見た後、伊緒は素直に頷いてソファから立ち上がった。


 伊緒が居るし、もう少しだけまったりしようか。


 そう思いながら入った風呂の中でも、やはり考える事と言えば、伊緒の事。


 付き合ってみようと決めた時からずっと疑問であり、でも答えが分かり切った問答がある。


 どうして伊緒は俺を好きになったんだろう……と。


 具体的な事は全て手紙に書いてあったが、似たような事を言葉で伝えられた事は一度もない。


 彼女と関わりがあったのは中学二年の時。

 新学期の初めから隣の席だった、というだけ。


 そもそも俺はどこのクラスに行ってもで孤立する一匹狼みたいな気質なのでそのクラスでも当然の様にボッチを貫いていた。

 でも隣の席の女の子、伊緒はシンプルにコミュニケーションが下手だった。


 話が飛び飛びになったり、そもそも言葉が出てこない事が殆どだったり、それに加えて無愛想に見える無表情のせいで反感を買ったり。

 辛抱強く、ちゃんと話を聞いて分かったのは、本当にただのコミュ障だったということ。


 俺は大人数と居るのは苦手だが、一対一なら相手が誰であれ問題なく話せるし、大人数だろうと参加しようと思えば、精神的なストレスはあっても出来ない訳じゃない。


 伊緒の場合、人数関係なく感情表現、特に口に出して言葉を扱うのが苦手。

 表情が変わらないのは、もうそういう性格だからなんとも言えない。


 実際、手紙に書いてあった文章は丁寧だったしとても分かりやすかった。

 自分の考えを文章に落とし込むことはできるようだが、言葉として声に出そうとすると途端に出て来なくなるらしい。


 そんな中で、何を話すにしても辛抱強く聞いてくれて、首を振るだけで答えられるように「はい」か「いいえ」で答えられる質問の仕方をしたりと、彼女がコミュニケーションしやすい様に工夫していた俺に好感を持ったのだそうだ。

 隣の席になっていたときだけじゃなく、文化祭とかの学校行事でも可能な範囲ではサポートしていたからそれもあるんだろう。


 その前後の年は幼馴染み二人のどちらかが必ず一緒にいて、周りから「無口無表情なクール美少女」というレッテルが貼られてしまって、余計にどう話をして良いか分からなくなっていたらしい。


 幼馴染み、という割にはあまり理解はされていない様だ。

 寧ろ、小さい頃から一緒に居る故にそれに抵抗がないのかも知れない。灯台下暗しとでも言うべきかな。


 結局、三年の時は全くと言って良いくらい伊緒と話す事は無かったが……それが彼女にとって寂しかった様で手紙の一文には「一年離れてとても寂しかった、今も紅咲君の声が恋しいです」という事も書いてあった。読んでてちょっと恥ずかしかったよ。


 卒業式の日にどんな顔で手紙を俺の机に入れてたのかは知らないが、気持ちだけは全て書いてあったからよく伝わってきた。


 それがいざ付き合う事になったら、一緒に過ごす時間がほとんど夜中でしかも常に二人きりという。他の時間に会うと、色んな意味で騒ぎになるから仕方ないんだけども。


 風呂から上がって、少し眠そうにしている伊緒の側を通ってキッチンに向かう。

 彼女はそれに気付いて立ち上がり、ソファの近くにドライヤーを持って来た。


「あぁ、ありが……やってくれんの?」


 どういう訳かは知らないけど、どうも彼女は俺の髪を触るのが好きらしい。


 時々注意しないと風呂入る前に突然頭の匂いを嗅いできたりする。

 触ったり撫でたりするのは構わないんだけど、嗅がれるのはなんかソワソワするし恥ずかしい。汗臭いときもあるだろうし。


 ドライヤーの音が止むと、うなじの辺りに息がかかる感触があった。


「嗅ぐなって、シャンプーの匂いしかしないだろ」


「……理桜の匂い」


「体臭ってこと?どんな匂いなの?」


「枕……?」


「君が使ってる枕の匂いとか知らないんだけど…。身近な物と似てる匂いがするから好きなのか」


「ん……」


 腕を回そうとして来たので、一旦手で静止してドライヤーを片付けてからソファに座り、伊緒を膝の上に乗せた。


 そうしてから今の伊緒の姿を見て、不意に思った事がある。


「伊緒って、家に居る時もこんな感じなのか?」


「……?」


「髪下ろして、メガネも取ってラフな感じなのかなって」


「……家……だと……」


 少し考えてからふるふると首を横に振った。

 と言うことは家に居る時も学校と同じ様にポニーテールとメガネというスタイルの様だ。


「寝る時だけ」


「家族と居る時は楽にしてないのか?」


「……悠岐も、居る」


「家が隣なんだっけ。幼馴染みならそんなに気にする事でも無いんじゃないのか?」


「……油断、だめ」


「えっ……と……?心を許してる様に見られるのが駄目なのか。花ヶ崎の為に?」


「ん……。それと……」


 ぽすっ、と俺の胸元に頭を置いて体を寄せて来る。


「理桜が、特別」


 嬉しいのは嬉しいけど、ドキッとするからそう言う言い方はやめて欲しい。

 急に言われると本当にびっくりする。他に言い方を考えられるほどコミュニケーションが得意じゃないのは知っているけれども。


 学校に居る時の彼女は、無口で無愛想。

 幼馴染みを相手にすらも冷たい雰囲気を纏っているのだ。そんな彼女が自分の前でだけ、それも自分の部屋の中限定でスキンシップと一緒に甘えて来るという状況が……。

 高校生活に甘い夢を見る思春期男子に、特攻性能を持っている。


 スマホを見るでもなく、ただ本当にくっついて話をしているだけの時間は疲れた心身が癒されていく。


「……なら、愛想を尽かされない様に頑張らないとな」


 とクールに振る舞ってはみたものの、伊緒は俺の胸に耳を当てるようにして体を寄せているので心臓の鼓動が早くなったのには気付いたのだろう。


「ずっと、このままでいい……」


「……それ眠いからこのまま寝たいだけだよな?」


「……理桜は、察しが良い……」


 だから好き、と……こういう時はもう少し鈍感でも良いよ、という二つの意味を持たせたいんだろう。でも結局、なんて言えば良いのか分からないんだよな。


 君の言いたい事は不思議とよく分かる。

 察しが良いというより、言いたいことが言えなくて困っている彼女をよく見ていたからだろう。

 それで困っていると認識していなかった幼馴染み二人との違いはそれかも知れない。


「そろそろ寝る?」


「もう少し、このまま」


「……なら、一緒に寝るか?」


「……ん」


 さあ早く来い、と言わんばかりにすくっと立ち上がって寝室へと手を引かれた。


 何が面白いって、この雰囲気でめちゃくちゃ健全に眠るだけなのが。なんか、良いよな。

 なんの欲も打算もなく、ただ一緒に居る時間が優しく過ぎていくだけ。


 ………和井が知ったらどんな顔するんだろうって思うと、どうも凄まじい罪悪感に襲われる。


 色々勘違いしたままの母親が和井に何か言ったりするんじゃないのか、とか思うと余計に心配になる。なんの訂正もしてない伊緒に問題があるのは分かるけど。


 その一方で、自分が幼馴染み二人から離れる事で三角関係に終止符を打とうとしているのも分かってはいるのだ。

 俺の所に来るのは本当に好きだから、なんだろうけども。


 ……でも、その三角関係に俺のことは巻き込まないでくれよ……?






───────────────────────

短編です。人気次第では続きや連載版の作成も良いかなと考えてますので……。


このお話が面白かったら、応援やコメント、フォロー、レビュー等をよろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アイツの幼馴染み 雨夜いくら @IkuraOH

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画