第3話 ここからは業務時間外

「ここから先は機密事項が多いエリアだから、認識阻害魔法の結界が張られている。中で起こったことを魔法省外で思い出しにくく忘れやすくさせる魔法だが、魔法耐性が弱いと気分が悪くなるらしい」

「魔法耐性は測定したことはないですが、高いほうだと思います」

「そうか。体調が悪くなったら早めに言うように」


 白い建物の中を副団長のあとに続いて進む。

 脅された割には、普通だ。

 通された待合室のようなところには、狭いケージがあって、中に黒い猫がいた。


 なんだか目付きが鋭くて、シャープな感じの猫だ。


 ケージの脇にいた魔法省の人が、うちの猫を出すように言った。

 レオは、よその猫と会わせたことがないので心配だったが、そっと抱き上げてバスケットから出した。

 ケージ越しに対面させても、猫達はお互いに無関心なようで、特に何も起こらなかった。


 その後、別室に戻っていくつか質問をされたが、普通に猫らしく元気に育っているレオの様子を話すと、がっかりされた。意味がわからない。


「あの……どういうことなんでしょう」

「ああ。これは他言無用にしてもらいたいのだが、実は呪術系のマジックアイテムの暴走があってね」


 シェイプチェンジャー系のマジックアイテムだったようで、さっきの猫は犠牲者の変わり果てた姿だと目されているらしい。たまたま部屋に迷い込んでいたうちのレオをベースにアイテムが作動して、犠牲者を猫の姿にしたのではないかというのが、関係者の分析結果だそうだ。

 解呪魔法や抗魔法薬の投与も行ったそうなのだが、黒い猫を元の人の姿に戻すことができず、困り果てているのだという。


「あー。それは難儀ですね」


 それはそれとして、そろそろレオにゴハンをあげる時間だ。

 水場の近い小部屋をお借りすることにした。


「そうそう。これは抗魔法薬なんだがね。飲ませられそうなら少し飲ませておきなさい。ここは何かと結界やマジックアイテムの影響があるから、抵抗力のない小動物は魔法酔いするかもしれない」

「ありがとうございます」


 親切な魔法省の人は、ミルクパンと、鍋を加熱できるマジックアイテムを貸してくれた。なにこれ。欲しい。


 いつものように手早く特製猫ゴハンを用意して、手拭きやおしり拭き一式をスタンバイする。

 半分物置のような狭い部屋で、明かりは貸してもらった小さなランプ一つきりだが、手慣れた作業なので問題はない。

 バスケットから少し気の立っているレオを出して、優しく声をかけながら撫でてやる。


「色々あって大変だったね。なんだか知らない場所でゴメンだけど、ゴハンにしよう。大丈夫。何があってもレオのことはちゃんと守るから……事件の捜査が終わってもずっと一緒にいられるように、頼んでみるからね」


 薄暗い部屋で、レオは瞳孔の丸くなった青い目でジッと見つめて、一声ニャーと鳴いた。

 それが肯定なのか否定なのか猫語はわからないけれど、ずっと一緒にいたい気持ちは通じていると信じたい。

 ゴハン用のお皿がないので、久しぶりに指ですくって食べさせてあげた。歯磨きトレーニングもしたお陰でレオは口の中を触られても嫌がらない。

 ……ああ、こんなに短い間なのに、君はすっかり乳歯も揃って、自分はどうしようもなく君にメロメロだ。なんてこった。


「そうだ。お薬」


 もらった薬をミルクの残りで溶いて、食べやすい柔らかさにする。

 口元に持っていくと、匂いが嫌なのか口を閉じて拒否された。


 フフン。抵抗かね。無駄なことよ。


 爪を切るときと同じ要領で、レオを陥落させる。

 フハハハハ。飼い主に抵抗などできぬと思いしれ。


 すっかりいい気持ちになっているレオの口に指を突っ込んで薬を塗りつける。そら、舐めろ。



 その時、ピリッと指先にしびれが走り、ランプの明かりが一瞬揺らいだ。




 気がつくと、レオカディオ・バンデラス騎士団長その人が、膝の上にいた。


「は?」


 トロンとしていた団長の目の焦点が合う。

 互いに一拍呆然とした後、団長殿はこちらの指を咥えたまま、一気に青ざめた。


「え……」


 自分の見ているものが信じられなくて、何が起こっているのか把握できないまま、つい指でクイッと上顎の内側を撫でてしまった。


 膝の上でずっしりと重い団長の身体がピクリと震えた。みるみるうちに耳まで赤くなった彼は、そっと片手でこちらの指を口から離し、もう片方の手で顔を覆った。


「……忘れろ」

「えええ」

「忘れろ! 業務命令だ!!」


 はい。承知しました。

 それ以外、なんと言えるだろう。






 魔法省での事件の捜査が一段落したということで、うちの可愛い仔猫は居なくなってしまった。

 急なことでお別れパーティーもできなかったと職場一同で落胆した。

 何があったのかと聞かれたが、魔法省内でのことだったので、守秘義務と認識阻害魔法結界のために、話せるようなことは何もなかった。

「ニノさんが一番お別れがつらかっただろう」と気を使ってくれた同僚は皆いい人達だ。

 副団長のフェルミさんは、おいしい焼き菓子を差し入れてくれた。




 翌週には、団長も職場に帰ってきた。

 演習の計画は滞りなく処理され、例年になく平和で順調な演習期間に事務職員一同の表情にも余裕がある。


「じゃあ、そろそろ休憩にしましょうか」

「団長もお茶いかがですか」

「ありがとう」


 団長と我々の関係は以前に比べ穏やかなものになった。

 団長は相変わらず真面目で顔の怖い人だけれど、団長不在の間、さんざん猫団長な冗談で和みまくった我々は、その怖い顔を見るとつい悪ノリしたときのネタを思い出して、和んでしまうようになっていた。


 そうして実際に声をかけてみると、団長もそれほどお堅い一辺倒という人でもないことがわかった。単に人付き合いが不器用なだけらしい。どうもあちらはあちらで、我々との距離を測りかねていた節がある。可愛らしい話だ。

 最近は、あちらからも声をかけてくれるようになったと、皆喜んでいる。



「ニノ主席書記官」

「はい」

「その……あなたには魔法省の一件で、私の不在中に一方ならぬ面倒をかけたということで……お詫びに食事でもどうかと」

「あ、そういうお気遣いは結構です」


 職場でのいつも通りの態度で返事をすると、勇猛無敵な騎士団長殿は若干怯んだ。これは可哀想だったかもしれない。


「えーっと。でも、お詫びとかそういうのでなければ、どうせ毎日一人飯なので、たまには誰かと食事というのもいいかと思います」

「そうか」


 しょげていた顔がパッと明るくなる。

 この人、こんなに表情のわかりやすい人だったのか。


「では、業務外で」

「ああ」


 テキパキと帰り支度を始めた団長の後ろ姿を見ながら考えた。


 業務外ということは、”業務命令”の適応範囲外ですよね?


 お家ご飯に誘ったら、どういう返事をするだろうと思いながら、自分も帰り支度をした。





***************************

【あとがき】

ニノさんは魔法抵抗力バリ高いんですが、団長は何をどこまで覚えているのやら……全部、意識があって覚えている前提で、二周目読み直していただけると、味わい深いかと思います。


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十分に可愛くなった上司は猫と区別がつかない 雲丹屋 @Uniyauriya

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