第2話 猫の飼い主の51%は猫の下僕らしい

「夜行性なのか、家に帰ってからのほうが元気になってさ。一度にたくさん食べられなくて、数時間でニーニー鳴くんですよね。夜中にご飯とトイレの世話は睡眠時間的に辛いかなぁ」


 といいつつニヤけているじゃないかと、職場の子持ち連中に笑われた。人間の新生児の世話はもっと大変らしい。


「世界中のお母さんを尊敬します」

「何いってんだ。子供は周囲の大人全員で育てるもんなんだぞ」

「なるほど……田舎の両親と祖母に手紙を書こう」

「今度の長期休暇に顔見せに行ってきなよ」

「そうします」


 結婚はまだかと言われるのが嫌で、最近とんと会いに行っていなかったのだが、自分が新生児のときに、これ以上の手間暇をかけて育ててくれた相手を素気なく扱うのはダメだなと反省した。


「よーし、ご飯にしようねー」


「ニノさんが、母性に目覚めている」だの、「ニノ母さん」だの言って冷やかされた。やかましい。お前たちも仔猫の魅力で骨抜きにされるが良い。



 仔猫入りのバスケットを団長の机の上に置いていたら、誰かが団長の席のネームプレートに手書きの紙を貼って、”レオカディオ・バンデラス”というゴツい名前を”レオ”だけにしてしまった。


 命名『レオ』


 勇まし可愛いカッコいい。


 昨日よりも元気になった仔猫が、バスケットの中で目を覚ましてニーニー鳴く声に、室内の全員がソワソワした。


「猫団長代理がおなきあそばしている」

「ニノ母さん、レオ様にミルクを!」

「はいはい」


 二日目にして、ここの全員が仔猫の可愛さにやられつつあった。




「レオ団長代理様、こちらの書面をご確認ください」

「おいおい。仔猫に決済を任すな」

「はい。というわけで、フェルミ副団長お願いします」

「うーん。仕方ないな」


 有能団長就任前は、副団長が全部やっていたのだ。問題はない。

 なんなら団長の改善活動で、無駄なチェックやサインは削減されている。よゆー、よゆー。

 最近、副団長業務まで団長に任せて、ちゃっかりサボっていたフェルミさんをこき使って、事務を回す。

 定期演習の時期や決算期でもないので、仕事自体それほどない。

 事務室は猫団長の下でゆるゆると一週間を過ごした。




「お前とも明日でお別れかー」


 レオをブラッシングしながら、しみじみとこの一週間を振り返る。


 なかなかトイレが上手にできなくて、こちらが見ていないときに粗相をしてしまうレオのために、猫トイレの仕様や置き場所を試行錯誤したり、お風呂を嫌がるレオを捕まえるためにほぼ裸で家中を走り回る羽目になったりしたのも、過ぎてしまえば楽しい思い出だ。


 伸びた爪を切るために、レオが気持ち良くなるところを重点的に撫でてやる。この一週間ですっかりポイントは熟知した。今やレオは我が魔性の手にメロメロだ。

 全然痛くない猫キックや甘噛みを微笑ましく思いながら、くすぐってやると、レオはすぐに喉を鳴らして陥落した。

 うっとりして力の抜けた脚を握ってちっちゃな爪を切る。ついでに肉球をフニフニ揉んでも、怒られない。はぁー、極楽。


「レオ、かわいいね。いいこ、いいこ」


 すっかり知能レベルが低下しきった頭でレオを愛でるクセがついてしまった。明日からのロスは辛いだろう。

 そんなことを思いながら、その日はいつも以上にレオを甘やかした。




「え?延長ですか?」


 出勤したら、副団長がこの世の終わりのような顔色で、レオをもう少し預かっていて欲しいといってきた。魔法省での解析が思うように進まないので、事件がまだ解決しそうにないのだという。当然、団長もまだ帰れない。

 猫団長、継続らしい。


「そういうことなら仕方ないですね」


 声が弾まないように気をつけた。





 やってきた当初よりも、少し顔つきのしっかりしたレオが、バスケットから這い出してきて、床に飛び降りる。

 トコトコと仕事中の足元にやってきて、身体を擦り付けるように足にじゃれてくる。

 見下ろして目が合うとニーと鳴いて、今度は扉の方に行く。


「レオ団長、トイレ休憩です」

「では、私達も休憩にしますか」


 お茶の用意をし始めた同僚に、目礼して、レオが待つ扉のところに行く。開けてやると、レオはするりと出ていった。本当は自由に出入りできるように、いつも開けておいてやりたいのだが、事務室の保安上の問題と、レオ自身が行方不明になると困るのとで、こうして毎回、この下僕めが開けしめさせていただいている。

 家でも騎士団でも、レオの猫トイレの場所は、人目につかない奥まったところの隅っこだ。広いと落ち着かないようなので、脇に衝立も置いてあげた。苦労の末にたどり着いた落としどころである。


 廊下で待っていると、用をたしたレオは、何もしてませんよという、すました顔で帰ってくるので、また、戸を開けてやる。

 手早く猫トイレの始末を済ませて、手を洗ってから部屋に戻り、お茶をもらう。



「平和だよねー」

「すっかり猫団長に馴染んじゃったよね」


 膝の上でくつろいでいるレオを、隣からつつきながら、同僚がため息をつく。


「でも、そろそろ本物に帰ってきていただかないと」

「もうすぐ演習ですもんね」

「流石に演習計画は団長に仕切ってもらわないと困る」

「猫団長の肉球スタンプじゃ、公式演習は無理だからなぁ」

「猫団長はフィールド出れないし」

「やばい。あの強面団長が、にゃーって指揮とっているとこ想像しちゃった」

「笑うからやめろ」



 バンデラス騎士団長殿は、精悍な男前だ。腕も立ち、若いのにガンガン出世した有望株だが、生まれが上級貴族ではないので、中央の花形部隊ではなく、うちのような今ひとつパッとしない騎士団に配属されたらしい。当然、彼の経歴はここで終わりではなく、すぐにもっと出世して余所に栄転するべきだし、そうなるだろうというのが、事務職員の総意である。


「ああいうキチンとした優秀な人を、ここのゆるい空気に染めちゃいかん」

「うちを堕落汚染源みたいに言うな」

「そんなようなもんだろう」

「でも、まぁ、戻っていらっしゃったら、休憩の時お茶に誘うとか、みんなでご飯食べに行くとかしてもいいかもしれないですね」

「うーん、まぁなぁ」

「本人がどう思うかだな」

「そういう付き合い嫌いな人っていますからね」


 機嫌よく遊んでいたところを、横からつつかれて、怒って同僚の指を引っ掻いたレオを、団子丸めの刑に処しながら「猫と一緒だ」と笑う。


「ニノさんは、猫で人格が変わったな」

「そうそう。クール伝説が崩壊した」

「勝手に変な伝説を作らないでください」



 適当なところで休憩を切り上げて仕事に戻る。

 レオはしばらく足先にじゃれて遊んでいたが、飽きたのか、バスケットに戻って寝た。いつも通りだ。




 夕方、フェルミ副団長が、いつも通りではない顔色でやってきた。

 レオを魔法省に連れて行くという。

 バスケットを渡そうとすると、レオが不安そうにニャーニャー鳴いた。


「同行してよろしいでしょうか」

「やむを得ん。来たまえ」


 不安がレオに伝わらないように気遣いながら、バスケットを抱えて魔法省まで出向いた。

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