十分に可愛くなった上司は猫と区別がつかない

雲丹屋

第1話 業務命令は仔猫のお世話

 午前休をとって、午後から出勤したら、騎士団長の席で仔猫が寝ていた。


「なんですか? この猫」

「あ、それ、団長代行」

「は? 団長は?」

「任務で出張中」


 なんでも、今朝、魔法省関連の事件で、一悶着あったらしい。

 マジックアイテム絡みの面倒な案件で、うちのやり手の団長もその捜査で駆り出されてしばらく戻れないというから相当だ。


 この猫は、事件発生当時同じ部屋にいたため、一応、捜査が一段落するまで、他の押収品と同様に騎士団で管理しないとまずいのだという。


「だからって、団長の席に置いておくのはダメでしょう」

「その椅子が一番寝心地いいらしいんだよ」


 なるほど。たしかに押収品や書類が散らかり放題の石の床よりも、そこの革張りの椅子のほうが居心地は良さそうだ。

 しかし、起き出して爪でも研いだら大惨事だ。

 ただでさえ顔の怖いうちの団長が猛烈に不機嫌な顔で椅子と猫を睨みつける情景を想像してゾッとしたので、とりあえず自分のクッションを敷いてやることにした。

 寝ている仔猫を起こさないようにそっと抱き上げて、クッションを敷き、その上に仔猫を戻す。


 ん?寒いのかな?

 えーっと、何か一枚上からかけてやれるものは……と。


「ニノさん、猫好きなんだね」


 副団長のフェルミさんがニコニコしながら、そう言った。

 この人がこういう感じで話すときは、ちょっとした雑用を押し付けてくるときと相場が決まっている。けして悪い人ではないが、困った人なのである。

 余計な仕事は受けたくはないが、下っ端の事務員の身では、副団長から「そこをなんとか」と頼まれると断りにくい。


「動物は嫌いじゃないですけど、特に猫好きってわけじゃないですよ。飼ってもいないし」

「良かった! じゃぁ、家に猫はいないんだよね。だったらこの猫をお願いしてもいいかな」

「え?困りますよ」

「そこをなんとか。一週間だけでいいから」


 昼間はここでいいが、夜間に連れ帰って面倒を見る人が必要らしい。


「餌代その他、必要経費は色つけて出すから」


 なんで自分がと思ったが、宿舎、借家住まいと、子供のいる妻帯者には頼めないと言われると断りづらい。騎士団員は基本的に宿舎住まいだし、事務職員は自分以外みな家族持ちなのだ。


「子供がいるほうが可愛がってもらえそうじゃないですか?」

「一応、要監督の押収品なんで、子供に構い倒されて病気になったり、逃げ出したりされると面倒なんだよ」

「なるほど」


 病気になったり、逃げ出したりしないように、適切に世話をしろという指示ですね?


 ものすごく面倒だったが、生き物のことではあるので、結局、渋々ながら引き受けることになった。



 とりあえず、ありあわせの器に水を入れて、仔猫のそばに置いておく。起きたら好きに飲むだろう。

 そう思って、仕事を始めた。


 仔猫は、ずっと大人しく寝ており、思ったより面倒なことにはならなかった。


 ここの仕事は、騎士団関連の事務処理だ。大きな事件がなければさほど忙しいことはない。

 魔法省の件は団長が直々に出向く重要案件だったらしいが、逆に団長以外の人員が動かないならば、事務の仕事は発生しない。

 報告書もあの優秀な団長が自分で書いて出すなら、我々の出番はない。


 先代までの団長は名誉職状態の爺さんや、現場大好き書類仕事大キライな脳筋で、この事務室には寄り付きもせず、我々事務職員に全部丸投げだった。

 今の団長は若くて優秀で生真面目な人で、ちゃんと事務仕事もやってくれる。むしろ、ちゃんと事務室の団長席に座って、怖い顔で黙々と仕事をされるせいで、放任状態になれていた我々事務職員は、ちょっと気詰まりというか、緊張気味だった。

 怒鳴られるとか、嫌味を言われるという話ではない。常在戦場みたいな重い空気をまとったシリアスなエリート様の前で、ゆるい冗談を言って持ち寄った菓子を食べながら休憩するのは気が引けると言った程度のことだ。


 有能で働き者の団長は、長年、保留にされたまま溜まりに溜まっていた団長決済案件をバリバリ片付けて、なんと3ヶ月で残件無しにするほどだった。効率の悪い仕事のルールもガンガン改訂してくれて、おかげで事務職は一気に楽になった。だから、団長様には感謝しかないのだが、それと親しみやすさは別物なのである。


 個人的には、ダラダラし過ぎだった以前の状態よりも、きちんと仕事が回る今のほうが好ましいとは思っているが、それはそれとして、団長席で猫が寝ている今日の緩んだ空気は悪くない。


 一週間は猫団長で決定だな。


 団長代理のお猫様の世話係をやるからには、それなりにきちんとやらねばなるまい。

 そう思ったので、一通り自分の仕事のキリがついたところで、仔猫のお世話の仕方について既存の文献を調査し、有識者を探して複数人から供述を募った。


 その結果、わかったのは、小さな仔猫のお世話というのは、想像以上に大変だということだった。


 色々聞きかじったせいで、仔猫がずっと寝ているのも心配になる。これは衰弱しているのではないだろうか?

 脱水症だの低体温症だの、それは猫の話なのか?と思う病名で有識者に脅かされたので、猛烈に不安になった。仔猫というのは相当に弱くて気を使わねばならない生き物らしいのだ。




 家に持ち帰るために、野外演習に随伴するとき用のランチバスケットにクッションを詰め込んで、制服のスカーフでくるんだ仔猫を入れる。体温の管理は重要らしい。


 必要なものを購入して帰宅した。聞きかじったことを、とりあえず信用して実践することにしたので、あれこれ買ったら結構な量になった。遠慮なく経費で落とそう。



 家に帰ったところで、仔猫をバスケットから出した。


 小さい。柔らかい。温かい。

 少しぐったりしている気がする。


 どの程度のものを食べさせてよいのか確認するために、よく手を洗ってから、指先で口元をつつくと、ムニムニと少し抵抗された後、ちょっと濡れていたらしい指を、はむっと咥えられた。


 おぐっ。


 薄くて小さい舌を筒状にして、指先をチュウチュウ吸いに来る。


 はうぁ。


 軽く指先で擦って、歯が生えているか口腔内を確認する。

 口の中を触られるのは嫌なのか、ジタバタするが、それでも指は吸おうとする。


 な、なんぞ、このかわゆさ。


「はいはい。お腹ペコペコですね〜。今すぐゴハン作ってあげますからね〜」


 日頃の冷静な自分が聞いたら寒気がしたであろう声でそう口走ると、通常の家の用事を何もかもうっちゃって、買ってきた材料で仔猫用ご飯を作った。


 よし。パーフェクト。


 トロトロに作った汁を教えられた通り、指先にちょっとだけつけて、口に運んでやる。

 まだペロペロ舐めるのは難しいらしいので、さっきみたいに口に指を突っ込んで上顎においしいトロトロを付けてあげる。

 小さな鉢にほんのちょっぴりの汁を、何回もに分けて様子を見ながら食べさせる。

 どの程度が適量なのかさっぱりわからない。


 お腹がいっぱいなのかどうか確かめようと、食べさせながらひっくり返して、お腹をそっとさすってみた。

 毛も薄くて柔らかいお腹は弱々だ。ちっちゃすぎて触ってもオスかメスか全然わからなかったが、刺激してしまったせいか、ちょっぴりオシッコが出た。

 ビックリしたが、ここで大声を出したり叱ったりすると、怯えてトイレトレーニングが上手くいかなくなるらしい。


「あ、上手にできたね。えらい、えらい」


 慌てず騒がず笑顔で褒めて、すぐにきれいに拭いてあげる。

 よし! このままトイレトレーニングだ。有識者いわく、最初が肝心らしい。

 濡らして軽く絞った柔らかい布でお尻を拭いてあげる。お母さん猫が舐めてあげる優しさで拭く必要があるらしい。

 すぐには無理らしいので、根気よく続ける。


 これもできたら褒める。


 頑張れ。専用トイレで自力で用がたせるようになるのが目標だぞ。

 もちろん必要なものは入手済みである。後で猫用トイレを作ってやろう。




 丁寧に毛づくろいして、ノミがいないか確認する。ブラッシングは強くしすぎると弱った体にダメージが出そうなので、今日は程々に。お風呂は体力が問題ないのを確認してからにしよう。ぬるま湯を絞ったタオルで拭いて汚れを落とし、猟犬部隊の飼育員さんからわけてもらった蚤取粉を、言われた通りの分量で慎重に使う。


 一通り終わったときは、疲労感を上回る達成感と幸福感に満ち満ちていた。

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