第二話 秘めたる姫の幕が上がる
私は、ルイの死体を見ていない。
城門広場に並べられた首も、それを見た民衆が上げた快哉も、話として聞いただけ。
革命を主導した立場にありながら、私は何も知らない。
民衆の中の不満という種火に火を点けて、革命へと進む道を示して、その結果ルイは殺されたのに。
私は常に守られ、隠されてきた。父やアンリに、大切にされてきた。娘として、妹として。
それ以上を望むのは罰当たりだと、自分に言い聞かせなければならないほど。
今の私は、神官長の養女というだけではない。この国を変えた、革命の主導者でもある。
それでもなお、私は顔も名前も知られてはおらず、隠されている。
隠されて、守られて、今も安穏と暮らしている。
元々私が一人で住んでいた家で、アンリと。そして、もう一人の同居人と。
もう一人は、私の双子の兄であるルイの姿をしている。生前と、ほとんど変わらない、ルイの姿だ。
「……あーあ、人の顔見た瞬間吐くとか、アンリってば失礼じゃない?」
ルイの姿を見た瞬間、アンリが口元を抑えて身体を折り曲げた。吐瀉物の匂いがして、アンリの長身が傾いていく。
この一年で、すっかり見慣れた光景だ。
「急にその顔をアンリの前に出さないで、って言ってるでしょう」
睨んだところで、もちろんルイに悪びれた様子はない。
正確に言えば、ルイではない。ルイの身体に寄生する精霊だ。
この精霊は、基本的に享楽的で人でなし。そもそも人ではないけれど。
「君と同じ顔じゃない」
「……違う。アンリには違うわ」
ルイを押し退け、アンリの顔を覗き込む。
呼吸は正常のようだが、石畳の上に倒れたアンリの横顔は蒼白を通り越し、まるで雪のようだ。
「おっと、あんまり乱暴にされたら、ぼくの首落ちちゃうからね。気を付けて」
精霊が悪びれる様子もなく、くすくすと笑う。
「最低な冗談は結構よ。くだらないことを言ってないで、アンリを家まで運んでちょうだい」
「素直じゃないなあ。どうせなら本人にちゃんと優しくしてあげればいいのに。辛く当たりたくなっちゃう気持ちは分かるけどね。ぼくなんて、ほら見てよ、君の恋人に付けられたこの首の切れ目」
「兄よ」
「お互いそんなこと思ってないくせに。血の繋がりなんてないんだし、兄と妹で大した問題があるわけでも……はいはい、分かったよ。だからそんな怖い顔しないで。せっかくのかわいい顔なんだから。それに、簡単な感情をわざわざ複雑にする君らが、ぼくは面白くて嫌いじゃないよ。……よっ」
自分より体格の良いアンリの身体を軽々と持ち上げた精霊が、そのまま肩に担ぎ上げて呟いた。
「うーん、また軽くなったねえ。もっと食べさせた方がいいんじゃない?」
「そう思うなら、吐かせないで」
アンリはこの一年、常に顔色が悪いし、食も細い。元々少ない口数も減って、眠ればうなされる。
アンリの弱さを詰り、呆れて、心配する私も、本当は大差ない。
背負うべき多くのものに、怖気づいて、誰かの救いを求めてる。
でも、このままではいられない。いてはいけない。
* * *
民衆が決起したあの日から、一年。
アンリがそうであるように、たびたび私も夢を見る。過去にあったことを、なぞるだけの夢を。
私はルイを、嫌ってはいなかった。
好きかと問われると言葉に詰まるけれど、憎く思うことも、嫌うこともしていなかった。
実の両親は遥か遠い存在で、王と王妃以上のものではなく、今も大した感慨はない。
でもルイは……、兄と慕っていたわけではないけれど、他人と呼ぶには近い存在だったように思う。
彼はアンリを伴って、よくこの家にやってきた。
私の夢に現れるルイも、同じようにこの家にきて、私と一緒にお茶を飲む。
穏やかな時間だった。ルイが一方的に話すのを、私はただ聞くだけ。それでも、多忙な中、私を少しでも気にかけるルイの存在を、私は肯定的に捉えていたのだろう。
たくさん話をした。
その日の天気の話。
ルイの趣味は乗馬と読書で、好きなのは魚料理であること。
誰にも告げずこっそり遠駆けに行って、城中が大騒ぎになった話。
先日読んだという本のこと。
庭に咲いていた花のこと。
隣国や、世界の果てにある国のこと。
精霊の加護のこと。
政治のこと。
議会のこと。
この国のこと。
民のこと。
そして、王の務めについて。
実際に政治を動かすのは役人であり、議会であること。
極端な話、王など飾りでも
夢の中でも、ルイは同じようにお茶を飲んで話をする。
取り留めのない話をしているようで、実はそうではない話。
一方的なルイの話が、私の中に雪のように降り積もっていく。
そしていつからか、ルイは私に、「お願い」という名目の命令をするようになった。
最初は、とある人物に手紙を届けるだけ。
素性を明かすことなく、顔すら見せることもなく、ただ私の手で誰かに何かを伝える。伝え続ける。小さな火種が炎となって、燃え上がるまで。
私が誰かに伝え続けたそれは、王国の転覆を図るための計略。その意思、決意、策、そして根回し。
気が付いた時には、私はもう、後戻りができないところに立っていた。
気が付けば、王家を根絶やしにするための、革命の指導者に祭り上げられていた。
「私は……何を、させられているの」
いつものようにお茶を飲み、小さなテーブルを挟んで話をする。
珍しく、いや、初めて自分から口を開いた私に、ルイは微笑んだ。
「何って、革命です」
当然だといわんばかりのルイを、呆然と見つめ返す以上のことはできなかった。
「民の心はすでに王家を離れています。貴族と民との軋轢も酷い。長年かけて掘り進めてきた溝です。そう簡単には埋められません」
それでも、王家の一員である王子が自ら革命を主導するなんて。どうかしてる。
「王家も貴族議会ももう駄目です。王都はまだそうでもありませんが、地方は酷い。瓦解は目の前です。各地で暴動が起きてしまえば、そのうねりはこの国の全てを飲み込んで、多くの被害が出る。最早猶予も余裕もないのですよ。そんなことが起きてしまう前に、劇的な変革が必要なのです」
私の困惑を無視して、ルイはなんでもないことのように言葉を重ねた。
「だから、一度王家を滅ぼそうと思っています」
思わず、ルイの後ろに控えているアンリを見る。彼は見守るように、静かに佇んでいた。
どうやらアンリも、既に承知していることらしい。
なんで、そんなことを。
なんで、私が。
いや、考えるまでもない。
王子という身分があるから、自由に動けないルイの代わり。私はルイにとって、ちょうどいい駒だった。
そう、思った。
アンリは、何も言わず、ただそこにいる。
王家にとって、私は不要な子どもだった。そんな私を哀れに思って、父は私を密かに引き取って育ててくれた。今こうやって私が生きているのは、父のおかげに他ならない。返しきれないぐらいの恩がある。
貴族が優遇されて、民の暮らしは厳しい。この国に不満がないわけじゃない。この国のために身を削り、腐心する父とアンリの二人を見て来た。
父とアンリがいるこの国が、彼らの住むこの世界が、未来が、少しでも良いものになって欲しいと願ってる。
自分にできることがあれば、ずっとそう思っていた。隠されるばかりではなく、守られるばかりではなく。
願ってる。
願ってた。
国、民、政治の話。どれも難しい、私からは遠い話。
私とルイの間にあるのは、小さな木製のテーブルひとつ。手を伸ばせば届く距離にいるのに、この人は私では触れることもできないほど、遠くにいる。
「ルイーズ、君がいてくれて本当に良かった。斬り落とした首の数が合わないと、問題でしょうから」
言われた意味が、咄嗟には理解できなかった。
ルイの目が、探るように私を見て、カップを持ち上げる。温かいお茶を嚥下したルイが、茫然と見返すしかできない私に、優しく微笑んだ。
「本当に、私たちはよく似ている。これだけ似ていれば、きっとどちらがどうでも良いのでしょうね。……例えば首だけになってしまったら、見分けなどきっとつかない。そう、思いませんか?」
まるで、慈愛に満ちた神のように。
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