なんでもない日の妻ですけれど

あまくに みか

第1話 妻、男子校へ行く

 私はすがるように手帳にこう書いた。



 転職先条件


 1、家から近い(一駅圏内)

 2、時給1200円(月給だとなおよし)、ボーナスあり(いや、必須)

 3、勤務時間9時~17時

 4、子育てに理解あり

 5、静かな環境


 願いが叶うなら、本に関わる仕事がしたい。



 一週間後。

 まるっと全部、希望通り。

 それも、さらに良い条件の求人を見つけるのだった。



 それが、男子校だとも知らずに。






 コロナ禍、私はプチ貧乏を極めていた。

 正社員を辞め、パート社員として働いているうちに息子が生まれた。と、同時にコロナが始まった。

 家族が増えれば、出費も増える。上がらない給料。混乱する大都会。


 私はついに転職を決意する。

 けれども、良い条件の転職先は見つからない。「条件」を譲歩すれば、給料の良いところはいくらでもあった。


 だが、しかし。

 毎日働くのだ。靴を選ぶように、勤務先だって心地の良い場所で、好きなところがいい。

 私は、ペンをとった。


「絶対にいい場所、見つかる」


 どうなったら最高かを思い浮かべながら「転職先条件」を手帳に書き連ねた。

 すると昨日までにはなかった求人が、ポッと出たように舞い込んだ。


 学校図書館スタッフ急募。


 ここだ! と思った。悩むことなく応募し、履歴書を送った。


「ここで働かせてください!」


 千と千尋の神隠しの千尋のごとく「ここで働かせてください!」と祈りながら適正検査を受けた。



 池の周りを時間差でぐるぐるまわる兄弟や、流れる川を上ったり下りたりする船、円卓の椅子すべてに座りたがる確率問題……。


「池はまるいんだからさあ。二人で動いたら会えないじゃん? 動くなって。逆走もするなって。織姫と彦星かよ」

 と問題に八つ当たりしながら、私はなんとか適正検査を合格した。




「志望動機をお聞かせください」

「家から近いからです」

「不採用です」

「ここで働かせてください!」

「千尋の真似をしてもだめです」

「ここで働きたいんです!」



 夫のケイさんに面接官役をやってもらうも、どうしても千尋のセリフを言いたくてたまらず練習は困難を極めた。



 だが、私は本番に強いタイプだ。

 合格した。



 晴れて私は私立高校の図書室で働くこととなった。

 幸せの極みだった。あらゆるものに感謝した。


 ありがとう! ありがとう!




 だが、一つだけ。

 そこは、男子校だった。





 私は、中学高校と女子校であった。だから、その年代の男の子の生態を知らない。イメージにある男子校といえば、映画「クローズZERO」、ドラマ「ごくせん2」である。



 割れる窓ガラス。

 廊下は落書きやゴミであふれている。

 暴れる高校生。

 着崩した制服。

 倒れる図書室の本棚。

 焚火の燃料にされる本……。




 え……。こわっ。




 妄想をパン生地のようにもっふもっふ膨らませて、私は身震いした。




「男子高校生ってさぁ。どんな感じ?」


 不安に感じて、私はかつて男子高校生(だがしかし共学出身)だったケイさんに尋ねてみた。


「どうって? 普通だよ」


 普通か……と私は自身の過去に思いをはせる。



 女子校は、なんというか愉快で個性的な女の子が多かったような気がする。


「足をと~じ~る~!」という先生の注意も一日に数回は聞いていたような気がするし、見せブラも流行った。


 ここでいう見せブラというのは、ブラウスからわざとブラの柄や色を透けさせて「かわいい~」と見せあう謎の遊びである。(たぶん私が通っていた学校、学年しか流行っていなかったと思う)



 うん、きっと男子校もそんな感じだろう。

 なんだ、全然問題ない。

 大丈夫、大丈夫。と言い聞かせて私は初勤務に向かうのだった。




 当たり前だが、本は焚火の燃料にされていなかった。



 何万冊あるのですか? と尋ねたくなるほど豪華な図書室が私を出迎えてくれたのだった。

 図書室に来る生徒もみんな素直で礼儀正しく、良い子ばかり。

 私の妄想による心配事など一つも起きそうにない学校だった。



 ──と、その時。

 頭の上で、ものすごい音がなった。





 ドゴンドゴン、ドゴンゴガン。

 ボーーーーン。



 ゴジラでもいるのかな? と一瞬思った。

 いやいや、そんな訳が──。




「うぇひょひょひょひょっひょ~い!」

「ぎゃあああああああああああああ!」

「おうおうおうおうおうおうおうおう!」



 体がビクっとなった。

 図書室の上の階で誰かが暴れていて、奇妙すぎる雄たけびをあげ、誰かが絶叫している。あと、アシカもいるみたい。


 とっさに私は上司を仰ぎ見た。



「気になった?」


 彼女は優雅にマグを持ち上げ、微笑んで小首をかしげた。



「いつものことよ」




あ、いつもなんだ。


 いつもなんだ。


   いつもなんだ。

   

     いつも……。

       




 奇妙な雄たけびとトドがリフレインするなか、私はある種のカルチャー(?)ショックを受けながら帰路についた。




「ねえ、高校生の時雄たけびあげてた?」


 疲れ切った頭のまま私はケイさんにたずねた。


「あげないよ」

「……だよね」

「学校でなにしてた?」

「うーん、カードゲームとか」


 カードゲーム……?


「ああ、でも」

 

 ケイさんは思い出したようにパッと顔をあげた。


「立ち上がって『うおお!』くらいは言ってたかな。でも、うおおだからさ」



 それだよ、それ。



 結論、いつの時代も、どこでも雄たけびはあげる。あとアシカもいる。

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