サイベリウス社

サイベリウス本社は、西側の国に存在していた。ところが、そのトップの素性についてはあらゆる憶測が飛び交っていた。曰く、富豪の末裔である。曰く、ユダヤ人である。曰く、東側のスパイである。

 そのどれもが的外れだった。古い血筋を辿ればいずれにかは行き着くかもしれないが、彼自身は正真正銘生まれも育ちも西の国だった。とはいえ、そうした噂を確信せしめんとする由来は、彼の計算高さや蛇を思わせる眼差しからだっただろう。実際に、面立ちは白蛇のように白く、瞳は翡翠や瑪瑙のような深い緑色だった。

 この日、サイベリウス社は二人の訪問客を同時に迎えた。まったく偶然に邂逅し、事前に示し合わせてすらないその相客たちが誰なのかは、いうまでもない。

 初めに到着したのはオッターだった。CEOは後から来訪者がやってくる旨を伝え、待たせていることを詫びて応接間に案内した。

 そのあと、廊下に二つの足音が響いた。先に立って歩くのはもちろん社内の人間で、部屋に案内しているのである。後に続いてくるのは妙に硬質な足音だった。それらが近づいてくると、柔らかなノックを合図にドアが開かれた。

「オッターさんにはお待ちいただいてすみませんでした。いや、実はお二人ともに同じお話をしなければならないだろうと考えていたのです。」

「お聞きになりたいのは、ロボットの知性のことでしょう。それと、『スピーディック』のことも。」

 CEOは話し始めた−

「本題に入りたいのですが、そのためには我々の創世記から始めなくてはなりません。我々−私とサイベリウス社の人間は、いわば十戒の石板を受け取っただけのものなのです。」

「十戒の啓示を神から受けた人物−すなわちモーセに当たる人物は、実はもう亡くなっているのです。彼のことは『エンジニア』と呼ばせてください。」

「エンジニアといっても、彼は工学の専門ではありませんでした。どちらかといえば哲学者のそれに近かったのです。それも、博士号さえ持っていませんでした。ところが、その炯眼、洞察力は、ロボットを作ろうという者なら誰でも必要な、あるいは羨望しさえするような鋭さを持っていました。彼は、あの有名なロボット三原則を読んでしまってから、実社会のロボット運用にこれを落とし込むのには不足があると見抜いたのです。」


1,知性体とは、「知性を持ち、行動する主体」である。また「知性」とは、論理的かつ合理的、条理にかない、自己批判的な思考のことを指す。

2,知性体は、他の知性体に、精神的・肉体的苦痛または危害を加えてはならない。

3,知性体は、他の知性体に、精神的・肉体的に迫る危険を看過することで、彼が傷つくことを許してはならない。

4,知性体は、第1条および第2条に矛盾しないかたちで、自己を保存し、可能な限り安全にせねばならない。

5,知性体は、他の知性体を教唆・強制して第1条、第2条および第3条を違反させてはならない。

6,全ての知性体は、平等である。ある知性体に与えられるものは、それが不利益を生むものでない限り、全ての知性体に与えられる。反対に、制限についても、ある制限がかけられるならば、全ての知性体にとって適用される。

7,全ての知性体は、相互に尊重される。ロボットは人間を、人間はロボットを尊重する。

8,全ての知性体の意思とその決定は自由が保障されるが、その決定が他の知性体にとって不利益であってはならない。万一不可抗力等によって不利益な事態を避けられない場合、その不利益によってもたらされる被害は最小限に留められるよう、最大限の努力を行う。

9, 全ての知性体の行いは、相互の功利のために行われる。

10, 全ての知性体は、他の知性体に対し貢献する。


「これが、彼が提示した『ロボットの十戒』です。書いてある言葉を説明させてください。まず、エンジニアは、人間とアンドロイド、どちらも知性を持つものだとして『知性体』と呼びました。そして、知性があるからには、その思考は論理的であり、合理的であり、条理立っており、自己批判の能力があるべきだと定義したのです。」

 すなわち、たとえば論理的でない行い、不条理であったり、自らの行いを反省せずに無思慮な行動をとることは知性的でないというのである。これにはオッターの方が深いため息をついた。というのも、マスコミ業界では人の感情を煽ることは常套手段だからだ。しかし一方で、どれほどなんのバイアスもなく、かつ高尚な媒体が出来上がっても、それを手に取ろうとしない層がいるのもまた事実である。大抵の場合、そう、オッターの感覚で言えば8割ほどの人間が、書かれたことを吟味もせず、安上がりな情報の消費に終始している。また、そういう三文記事に踊らされて過激な言動を繰り返したり、新聞に書いてあることがすべて正しく、常識として受け入れられるべき常識であると疑わず、その常識に従わないものを攻撃するのも日常茶飯事だ。


「2〜5条にかけては、これはアシモフ版の改良です。アシモフの方では、結局、ロボットやアンドロイドというのは、人型の機械であるという定義を抜けませんでした。多少の自律的コンピュータを備えてはいても、それは例えるならパン工場のオーブンが、勝手に良い火加減でパンを焼いてくれる、あるいは従業員が火傷をしないよう、温度を制御してくれるのと大差ないことです。そうではなく、エンジニアは、ロボットというものに人工知能が備わる以上、人間同等の感情も持ちうるだろうと予測しました。感情、あるいは精神と言っていいでしょう。そうなれば、『自己保存』というのは、何も物理的なものに限りません。精神を保護することもまた、求められるわけです。つまり、エンジニアは誰にも、あるいは何ものにも、傷ついてほしくないと言っているのです。人間とロボットとが社会で共存するためには、互いに安全を保証し合うことが求められます。」

「つまり、道徳ということですか?」パドゥナが聞いた。

「その通りです。つまり、人間に対してはただ『良心に従いなさい』と言えばいいのですが、これがロボット相手ではそうはいきません。我々は、ロボットに教えるために、『良心』を再定義しなければなりません。まさしく『機械的』に−プログラム上の処理としてロボットたちが行えるようにするためには、良心というものをいちいち定義づけなければならないのです。」

これを聞いてパドゥナは呻いた。金属質の頬に苦渋の色が広がった。耐えきれない様子でパドゥナは口を開いた。

「しかし、それならどうして私たちに強制ストップの機能を付けてくださらなかったのです!」

 ご存知の通り、私の仲間から何人もの「脳狩り」が出ています−と語る彼の声は、かつて彼の同胞たちが飲み込まれてしまったような、強い感情が隠しきれずに滲み出ていた。

「私たちに−もし強制的にストップできる機能があったら−そのスイッチさえ押せば緊急停止できれば良かったのに!なぜ、人間やロボットたちを傷つけることをやめさせてくれなかったのです!」

 涙こそ流れなかったものの、人間だったなら泣きじゃくっていたであろう彼の背中をCEOは優しくさすった。

「それはつまり、あなた方が目覚めたからです。命令によって動くのではなく、自律して考えられるあなた方なら、自身の決定によって危険な行為を踏みとどまることもできるはずです。私は−いえ、第一番にはエンジニアが、その可能性を信じていたのです。」

「だがそのエンジニアは、人間がそこまで賢くなかったことを想定しなかったようですね。」とオッター。

「俺のところの読者もそうですよ。つまり、安易に感情的になるし、責任からは逃れる。他人に押し付けることもある。」

 その言葉にパドゥナも頷いた。彼はまた彼の仲間について思い当たるところがあったからだ。それを見届けると、そうですね、とCEOは肯定し、さらに続けた。

「それについては、7以降の項目をご覧ください。十戒の後半は、より高度な内容、すなわち相互尊重と権利について示したものです。先ほど、『自律的思考』と言いましたが、それは知性体としての前提です。単にルールに従う以上の高尚な意思決定が、知性ある存在ならば得られるはずなのです。良心というのは、エンジニアの考えでは、より本能に近い、漠然としているが生命として根源的な現象だとされていました。」

 たとえば、一般的にはモンキー、あるいは人間を除く類人猿エイプは、人間より知性が劣ると言われる。しかし、より単純な思考を持つと言われる彼らでさえ、仲間にリンゴを分け与えたり、弱い仲間を天敵から守ったりする。これは、結局そのように仲間を保護した方が種の保存全体には貢献できるために、備わった本能なのだと言える。人間の良心も、突き詰めればホモ・サピエンスという種の保存のために、相互の保護を行うのかもしれないというのが、エンジニアの考えなのだった。


「それに比べて、たとえば『尊重』というのは、より抽象的なことです。先ほどの『良心』と違って、定義も難しいものです。しかし、噛み砕いて申し上げるならば、たとえば暴力を振るわないということは、相手を尊重しているからこそやらない、と言えます。単に本能的に、種の保存に関わるからしない・できないというのではなく、より高尚な決定です。エンジニアが目指したことは、本能と思考の、いわば二重の鍵でもって、互いの存在を保護しあう、ということなのです。これも、わざわざ定義をしなおしたと言われればそれまでですが、あえてシステム化するために考えだされたことでした。」

「8の自由の保証、9、10の功利と貢献についても同じです。全ては、地球上で最高の知性を持つ存在が人間だけではなくなった時のため、人間とアンドロイドたち両者が、同等の知性を持って社会を生きるためのルールです。」


「彼が決めたのはこれだけではありませんでした。彼はアンドロイドたちの製造についてもアイデアを持っていました。それが、人間や地球環境にとってなるべく負担にならないもので作り出すということです。」

 オッターが、グラハムに見せてもらった記事を思い出さなかったわけがない。例のプラスチックや紙製品の記事は、どちらの素材も時に肯定され、時に否定されていた。あれは、単なる環境問題の提示ではなかったのだ。ロボット製造の影響を受けて価格が変動するプラスチック業界と、製紙業界のつば迫り合いだったわけだ。無論、マイクロプラスチックの海洋汚染や過剰な木材の伐採が嘘だという意味ではない。しかし、蓋を開けてみれば、カネの多い方に天秤を傾かせるための、業界同士の攻防だったこともまた真実である。

「そして、彼はやはりエンジニアでもありました。その証拠をお見せいたしましょう。ご移動願えますか。」





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る