第3話 「人間ネタ」は食えない
国連でそれが採択されたときの混乱は、「蜂の巣をつついたよう」という言葉ではとても足りない。連日、必ずどこかの団体がデモをぶちあげ、めいめいの旗印を掲げて通行止めをし、各国の大使館前に陣取り、オッターは渋滞に悩まされた-じっさい、いつもより3時間近く早く家を出てもたどりつかない経験は初めてだった。ときには複数の団体が、一カ所に同時に集まっていることも少なくなかった。もっとも、グラハムは出社が遅れることには寛容だった-すなわち、この空気を手前の肌で感じてこい、というわけだった。時代が動いているときの、生々しい質感を感じ取れることなんてそうそうないぞ、しっかり味わって焼き付けてこい。なんなら写真の一枚や二枚撮ってくるもんだ、と。(グラハムは、なぜか器用にいつでも混雑を抜け出して、定時通りにオフィスに着いていた。)
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こうした文言は絶えずプラカードに書かれ、燃やされ、割られ、そして踏みつけられていった。
はじまりはバッキンガムからだった。2016年に国民投票でBREXITが決定されて以来、20年にかけて同国の保守色は強まっていたが、24年10月に新しく就任した首相は「自国民の保護と優先」を宣言した。すでに自国内で市民権を得て、税金を納めている移民はともかく、今後は出稼ぎのためにわらわらと入り込んでくる人間には一定以上の水準をもうけ、それに合格できなければ入国させない。新しい審査には言語能力や仕事のスキルのほか、個人のこれまでの健康状態やアルコールを含む依存物質の使用歴、さらには性格まで精査するという基準が設けられたから、その厳しさから一時は「ヨーロッパの北朝鮮」とまで揶揄された。
しかし、そのブラックジョークをEUは笑っていられなくなった。ドイツ、フランス、そしてイタリアと、24年の終わりから25年の春先まで次々と保守的・右翼的な傾向が高まった。
それらを皮切りに、G8(このころ、ロシアの国際的地位も復活していた)で協議され、国連が最終的な決定をくだした。
「今後、立候補者は、特定の少数派団体、またその主張を自己のマニフェストとしてはならない。」
国際社会で共通して、あまりにも「少数派団体」というものが増加しすぎたため、というのが国連の説明だった。というのは、これまでに数え切れないほどの団体が発足し、政治に入り込んだが、いち小団体は消滅も早い。そのため、せっかく団体のバックアップに政治家がついても、長続きしないことが問題だった。
それはそうだろう、資金も構成員数も、政治活動するのに最低限必要なだけの分しか所有しておらず、マニフェストの実行よりもただ単に「我々のリーダーが立候補になったぞ!」と言いたいだけの候補者のどこに、政治の持続力があっただろうか。
長続きしない政党は、当然有権者からの信頼も低い。そうなると、そうした勢力の小さな政党を「いちおう選挙立候補者だから」という理由でわざわざ取り扱うのは無駄だ、という世論が広まっていった。
同時に、いくら「多様性」といっても、これだけ分断されたとあっては、特定の団体だけに肩入れしていると「最大多数の最大幸福」という民主主義の根幹が揺らぐことになる。
したがって、もはや少数派の主張というものは、政治家たちのそれとは切り分けられなければならない、というのがこの決定の大きな理由だった。
これは、実際には「少数派を保護しない」という意味ではなかったにもかかわらず、各団体の権利を求める声は止むことがなかった。また、たとえ少数団体による政治の立候補であっても、揃えるべき実力はきちんと揃えてから勝負にでよ、というのは、ある意味とても平等な条件であったのに、「小さい団体なのだから配慮せよ!」という声も止まなかった。
そこへきて、西の候補者と東の候補者の対決である。
マスメディアの間では、この状況を指して
「『人間ネタ』では食えない(humans can't feed humans)」
と言われるようになった-従来のように、小さい団体が、そのユニークな主張でどこまで政治界で通用するのか?といった、読者の興奮や好奇心を満足させられるネタを取り上げることはできないからだ。
かわりに、アンドロイドのことならまだ規制がなく、ホットな話題でもあるのでネタは大漁だった-「人間」の話題よりも機械の話題のほうがウケが良い、という意味合いで、多少の皮肉を込めてこの言い回しが生まれたのである。
頑なに中立姿勢を貫いてきた「グラハム新聞社」は、これまでも特定の団体を持ち上げたり、あるいは下げるような記事は書いていなかったから、この点で言えば今まで通りになるはずだった。
新聞社にとって逆風だったのは、グラハムが今日まで徹底して「アンドロイド反対派」だったことにある。つまり、これからもアンチ・アンドロイドを続けることも、あるいはその反対も、東西どちらかの味方をすることになる-中立が崩れることになる。
そんなとき、グラハムはオッターを呼び出して、このように言って聞かせた。
「オッター、政治家どものことをよく見ていろよ。彼らはしぶといぞ。なぜなら、彼らには後ろ盾があるからなんだ。」
「でも、もう『人間ネタでは食えない』はずでしょう。だとしたら今はだれが政治家たちの後ろ盾になっていると?」
それを聞くとグラハムは自分のデスクに戻っていき、なにか分厚いファイルを取り出してばさばさと広げた。
「これを見ろ。」
グラハムはスクラップブックを開き、黄ばんだ紙束のなかから一つを指さした。それは、町の小さな製紙工場が廃業したという記事だった。
「オッター、昔のことをよく集中して思い出してみろ。プラスチックばやりになる前、なにがあった?」
「それは…紙製品ですよね。」
そう、容器といえば紙だった。ガラスは液体に強いが衝撃に弱い。それに、重量としてもパルプ繊維は薄くて軽い。実際にはプラスチックというものの登場は20世紀以前からあったわけだが、人々の認識としては「かつては紙製品のほうが多かった」と記憶されているのだった。
ところが、次第に紙製品への風当たりが強くなる。それは、「環境破壊」という言葉だった。パルプを作るために、より多くの木々、それも森林を保ち続けるのに必要な本数まで削って伐採している、という主張がそれだった。実際にこれだけの木々を伐採しており、その量は年々増え続け、山はまる裸になる。荒れた地には水分と栄養不足で赤っぽくなった土が露出し、木がないことで動物のすみかがなくなり、やがては人間たちの首をも絞める結果になる、あるいはすでになっている、という論だった。
そのような風潮と引き換えに、人間たちはいよいよ本格的に「プラスチック」というものの恩恵にあずかることになった。液体に強く、衝撃にも強い。そして軽量で耐久性も高いので運搬もしやすい。このように加工しやすく、使い勝手の良いプラスチックはあっというまに暮らしの味方になるのは当然の流れだった。
いっぽう、その皺寄せをくらう業界もある−
「次はこれだ。」とグラハムは言い、二冊目のスクラップブックを取り出した。それはかなり新しいファイルで、まだ黄ばんですらいない。
『海洋プラスチック汚染−魚網の切れ端からマイクロプラスチックまで』
『丈夫さアダに 分解できぬプラスチック破片集積』
『EU各地でデモ 脱プラスチック訴え』
『紙でつなぐ伝統技法 新法活かし現代ニーズに応える』
一番新しい記事はこうあった。
「紙需要再び 増える需要と森林保護のバランスは?」
「昔のことをよく集中して思い出してみろ」−
いま、オッターは別のことを再び思い出していた。それは、オッターがやはり入社したての頃、グラハムが徹底的にプラスチックごみを「社内で捨てろ」と言うよりも少し前のことだった。
オッターが入社したときすでに、グラハムは「古いものを集めている」ことで有名になっていた。そのひとつが壊れたロボットだった。
いや、たんに「ロボット」というのは適当ではない。サイベリウス社のアンドロイド「CR8000」の旧型品だった。グラハムが日々それをこつこついじった後、社内でしばらく雑用係として働いていた。
ところが、ある日を堺に急にいなくなってしまった。
その日、グラハムはCR8000とともに外出していたが、彼だけオフィスに飛び込むようにして戻ってくるや否や、扉を乱暴に後ろ手で閉め、そしてしばらくの間机につっぷしていた。誰かが「あのアンドロイドはどうしたんです」と問いただしても、一向に答えなかった。質問にはただひとこと「聞くな!」と言ったきりだった。
グラハムは元々感情の出にくい
そのときほど感情が出ていたこともなかった。
社内の人間は、それを彼のいつもの偏屈で頑固なところなのだと思って気にかけなかった。あるいは、あえてそのようにしていたのかもしれない。ただ、それ以降彼の態度で明白に変わった点がふたつある。
ひとつは、プラスチックごみは社へ持ち帰って捨てるようにと言ったこと。もうひとつは、「アンドロイド禁止」を持ち出したことだ。
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