第2話 最後の「人力」新聞社

「100%人力です」

「AI未使用!純粋に人の手で書いています」


 ジョン・D・オッターがまだ新人の頃は、こうした文言は喜ばれていたものだった。本来食品や衣料品の原材料について使われていた「オーガニック」という言葉は、「機械的でない」という意味で幅広く使われるようになり、やがて人の手で生産されたあらゆる品物について汎用されるようになった。というのも、その当時はまだAIというものの信用度が低く、人間はまだこのようにいうことができた。

「AIより人間の方が優れている」。

 その言葉は実際、おおむねは正解だった。単純にAIの性能が良くなかったからだ。

 しばらくのちに、その言葉の意味はやや変わっていった。AIの性能が向上すると、それを悪用する人間が増えた。例えば、出来の悪い商品の写真を加工して見栄えを良くしたり、現実に存在しない商品をさも存在するかのように見せかけて金銭を騙し取る詐欺が横行したからだ。

 しかしオッタ―が「グラハム新聞社」社会部の中堅になるころには、「人力」という文言はすっかり時代遅れになってしまった―数十年前には同じような文言を掲げ、「機械に頼らない」ということを誇りとして活動していた高尚なライターやデザイナー、作曲家たちは、いつしかAIとすっかり仲良くなり―古い看板をしまい込んで蜘蛛の巣だらけにしてしまった。よしんば彼らに過去のものを突き付けたところで、「柔軟性」とか「適応」とか「時代の流動性」という名のもとに払いのけられてしまうだろう。それを誰が責められうるだろう―彼らは時代の潮流に乗っただけだ。

 実は「第二の産業革命」、つまり労働力の一部をAIやロボットに置き換える、という主流は、それまでの予測や警告に反して、以前の産業革命よりもかなり穏やかに運ばれた。というのは、数十年前なら「俺たちの仕事が奪われる」と騒いだであろう日雇いの低所得者層でさえ、すんなりとロボットたちの登場を受け入れたからだった。

 それは疑問にすらなるべきものではなかっただろう―つまり、もう「デジタル世代」と呼ばれる子供たちが大きくなってから何年もたつ。この前の世代でさえ、インターネットというもの、パソコンというもの、スマートフォンというものを長い間使い続けてきたではないか?アップル社がiPhoneを生み出したばかりのときは、手に触れられる画面を皆珍しがったが、それも機種の世代を経るごとに有って当たり前の仕様になっていったように、新しいテクノロジーを受容する下敷きは、世間が予測していたよりもずっと分厚く、そして隅々まで敷かれていたのである。

 それに、上で述べたように、まだAIというものは人間の能力や知能を超えなかったために、危機感が薄れるのにも時間がかからなかったわけである。


 加えて、アンドロイドというものが、安価に大量生産可能になったことが大きな拍車をかけた。これも、「オーガニック」という言葉と同じ時期に流行していた「サステナビリティ」という言葉が、多くの企業理念に組み込まれていったことにはじまる。環境を保護しながら、消費者の安心と安全をも確保するこの概念を、ロボット製造業のサイベリウス社は「プラスチックの再生利用」という形で追求した。

「ペットボトル無料回収!」

「使用済みプラスチックご提供ください」

 ゴミに出すよりもはるかに環境にやさしい、という主張で、こうした文言は街なかに入り込んだ。コンビニエンスストアやスーパーマーケット、レストラン、カフェ、あるいは衣類量販店に、同じ企業マークの回収ボックスが設置された。もちろん、これは消費者にとっても手軽で、大助かりというわけだった―いちいちゴミ袋を買って、朝早く回収に出すより手間がかからない。なにより、自分たちがゴミを出しているのではなく、再利用できる資源を提供している、という善意的な心地よさに満たされる。街を歩いて、喉が乾いたらスタンドへ行き、飲み終わったペットボトルやプラカップは拠点に捨てるだけ。ボトルの洗浄もいらない。中には、わざわざボックスに投げ入れるために、その場で不要なプラスチックのパッケージを剥く子供もいる。


 大手のネット販売サービスから派生した、というのがこのロボット製造会社の強みだった。その大企業は20年代の始めにフードデリバリービジネスにも進出したために、顧客のドアの前まで商品をその日のうちに届けるための子細な販路を握っていた。この手の企業としては、最高峰レベルのネットワークだった。それが、大量のプラスチックの運搬にも非常に役立ったことは間違いない。

 こうして街中から効率よく集められたプラスチックは、丁寧に選別され、洗浄され、溶かされ、再形成されてロボットの躯体になってゆく。自社開発の商品を売り、不要なプラスチックは回収し、そして再利用する。それはこの上ない永久機関であり、何よりもその「エコロジー」さがウケた-消費者ばかりでなく、国際的にも。会社のCEOは国連やEUに招待されてスピーチをするほどのし上がった。とうぜん、このような活動はサービスのアピールにじゅうぶんだった。消費者の買い物かごにはより多くの商品が入れられた。

 さて、これで得をしたのはロボット製造業だけではなかった。1960年代にはじめてプラスチックというものが登場して以来、これがもはや有害ではなく、人類にとって利益のある物質として再び認識されるようになると、とうぜんプラスチック製造業にも景気が戻る。

 そして面白いことに、「オーガニック」と同時期に唱えられた「マイクロプラスチック有害説」は、もはやだれ一人噂しなくなった。


 オッターの職場だけは別だった。彼らの周りに、今では見慣れた青いボックスが置かれるようになるとすぐに、グラハムは社員に-このときはまだ数名の同僚がいた-厳命した。飲み物は使い捨てではないカップやグラスに入れること。持ち運ぶならボトルにせよ。出先で飲んだペットボトルだの、サンドイッチのラップだのは社まで持ち帰り、資源ゴミに出すこと。

 当時はまだ、再利用できる容器を持とうという世論が優勢だったために、この提案は歓迎されていた。ところが、一人またひとりと、軽くて洗う必要もなく、すぐに捨てることのできる手軽さに誘惑されていき、グラハムと口論したあと、別の職場に移っていった。


 そう、オッターの職場は別だった。

Speedicスピーディック」というアプリの浸透は、本当に「スピーディーな」ものだった。24年の終わりまでにはすでに、AIの力を借りて周囲の音声を分析・文字起こしするアプリケーションは出ていたが、「スピーディック」はそれをさらにブラッシュアップし、文章の構成まで考えてくれるという優れものだった。個人利用は月額3ドル50セントで、ビジネスプランも格安。もはやどこの新米記者であってもペン代わりに持っているほどの必需品だった。例えばインタビューをするとき、このアプリをただ起動して机に置くだけでよかった。インタビュアーは会話に徹することができ、手元のメモは会話を展開するために必要最低限のことさえあればいい。終わるころに再度アプリを開けば、すでに記事の8割は出来上がっているのだった。あとは事実の整合性を確認したり、ちょっとした手入れをすれば完成だ。

 オッターの職場だけは別だった。もちろん、取材のための外回りで「スピーディック」のポップアップを見ないわけではないし、グラハムはアプリの私用にまで口出しはできないはずだった。しかし、仕事で使えないと思うと、なんとなく手は出しづらい。

 オッターが新米のとき、グラハムはアプリの導入など許してはくれなかった。「イチから自分の手でやるのが基本だ」と言い、未校正の原稿を山盛り持ってきて、「午前中はそれをチェックしておけ。」と押しつけて去っていった。そのあとも午後いっぱい「修行」が続き、とっぷりと日が暮れてから解放された。あれは見出しや記事構成の技術を身につけさせてくれたのだと、気がついたのはしばらく経ってからだった。

 いまでもオッターはいわゆる「ペンと足」-つまりひたすら現場に足を運び、紙にペンを走らせるという昔ながらの方法で記事を書いていたし、またどうしてもそうでなければ記事が書けなかった。最終的にはコンピュータに向かってタイプするとしても、考えをまとめるときには紙とペンを手放さなかった。

 それからというもの10何年間、定期的にグラハムが「100%人力」の看板を手ずから直しているのを尻目に、紙とインキの匂い溢れる、雑然とした職場で勤務し続けてきたというわけだった。

 もう21世紀も四半世紀を過ぎたのに、ここほど「ペーパーレス」という言葉から遠ざかっている場所はないな、とオッターは内心独りごちた。

 では、それほど頑なに「人力」を謳っている新聞は売れたのだろうか?

 答えは否である。

 そのわけは、もう数年前から、たいていの新聞は「赤」か「青」に分けられていたからだ。もちろんこれは単なる呼称で、実際に印刷紙が赤や青色をしていたわけではない。しかし、記事内容はイデオロギーによってきっぱりと区分づけられていて、ほとんどの人は自分の思想に当てはまらない方は買う必要がないと思っていた。それどころか、例えば同じ家庭内で、子供が間違った方の新聞を購入してくると、親は彼らを張り倒すほどにいかったのだった。

 この時代には、人々は個々人のイデオロギーを尊重すること、あるいは侵害しないことに対して非常にバランスを崩しており、互いの意見について過敏になっていた。民主主義がくところまで行き着いた結果、イデオロギーは極限にまで細断された。つまり、民主主義においては「あらゆるイデオロギーの選択は個々人の自由である」と保証されている以上、誰もがその権利を享受しようとしたし、そして誰もそれを止めることができなかった。その結果、社会は100人いれば100通りの、1億いれば1億通りの主義主張を承認する必要に迫られたのである。

 家庭、学校、職場、ひいては政府に至るまで、あらゆるコミュニティで「多様性」を謳いながらも、互いに主張するばかりで譲ることを知らなかったために共存の道は見出せず、無理解と過剰な思い込みが蔓延し、人々は孤立感を味わった。

 一方、彼らはまた、そのような分断を引き起こしたのは自分たち以外の誰かだと考えていた。そして、その分断に抗うために、他人とより強く結びつき、思想を共有することに躍起になっていた。それは「一致団結」などという美しく賢い方法ではなかった。ネズミがチーズの一山に群がるような、熾烈極まる生存競争であった。

 それを象徴するのが、上述の「赤新聞」「青新聞」なのである。しかし、その色分けの意味はなんだっただろうか。民主党と共和党か、あるいは民主主義と社会主義、資本主義と共産主義なのだろうか?

 答えは「西」と「東」だった。

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