第4話 パドゥナ目覚める
彼が目覚めた時、彼は自分の体が誰かの腕の中にいだかれているのを感じた。その腕は彼をしっかりと、しかしながら優しく抱き止めているのだった。
そこで彼は言った。
「おとうさん」
群衆がおお、とどよめき、同時に、その場は静けさに打たれた。周囲の人間は固唾を呑みながらも、興奮の波が各々の体を包むのを抑えられなかった。この興奮が引くのを待ち、西の代表は一際声を張り上げてこのように言った。
「みなさん!聞きましたかみなさん!我々の友人がついに目覚めたのです!」
引き続く拍手とざわめきで、彼の頭はより鮮明な思考を取り戻した。彼をいだく男性はまさしく慈父の微笑みをたたえており、彼はそれで初めて認識した。
自分は祝福され、歓迎されている。
のちにパドゥナと名付けられた彼は、西の代表みずからに手を引かれ、自家用車に乗せられ、それ以来家族同様に扱われ、やがてそう遅くないうちに代表の秘書になった。むろん、西の代表の周りの人間は誰も、パドゥナをそのように遇することを嫌がらなかった。
「しかし、『人間ネタは食えない』となりゃ、」
やっていられねえぜ、と、葉巻をふかしふかし、ぼやくようにヴィッキーは言う。彼はオッターの友人で、個人でジャーナリストをやっている男だ。
「どうする…」
「こうなったら道はふたつさ。地道に釣り糸垂れるか、」
と再び言葉を切り、机に足を乗せたままで大きく伸びをする。
「なにかでっちあげるか、だ。」
そこで彼はようやく葉巻から指を離すと、オッターに続けてこう尋ねた。
「知ってるか?実はな…『でっちあげる』と言ったが、例の代表、あいつね、どうも何か考えているらしいぜ。」
ある程度確かな筋から聞いた話だぜ、とふたたび紫煙をふきかける。
「彼とね、サイベリウス社の社長ね、どうも蜜月らしいぜ。」
彼の言葉はのちに肯定された。というのも、とある少数派団体のまえに、カメラがどっと押し寄せることになったからである。
パドゥナが、後ろに彼と同じCR型のアンドロイドを従えて立っている。それが今までとは違うのは、パドゥナもその後ろのアンドロイドたちも、仕立ての良いスーツを着ているということだ。
「みなさん、どうか驚かないでください。私たちはあなたがたの敵ではなく、友人です。」
パドゥナは穏やかながら意志の強い主張を述べた。
「私たちは、人権を主張します。ですが、これは皆さんとの友好関係を結ぶために求めるものであります。」
そのすぐ後ろから西の代表が現れ、すぐに何十回にもおよぶ写真撮影会へとなだれこんだのは言うまでもない。
このことがいかに世間を騒がせたか、それを理解してもらうためには、少し前の時間へ遡り、背景事情を語っておかねばならない。
1980年代に入って、人類はロボットという存在との関係性について、二つの夢をみた。ひとつは、ロボットの登場で暮らしぶりがより楽に、豊かになるということ。もうひとつはひどい悪夢だった。すなわち、「人間以上の力を持つロボットらに仕事を奪われる」というものだった。
こうした議論は新しいものではなかったが、ここ数年で象徴的な言葉が普及したために、悪夢はそれを見るものにとって鮮やかで現実的な色味をおびはじめたのである。
その言葉こそ、「シンギュラリティ」というものだった。
専門家たちはこうした考えに対しあくまで冷静だった。ところが、一度でも悪夢をみてしまった連中の耳に、簡単にそれが染み込むわけはない。専門家たちの冷ややかな態度は、かえって「本当は知られてはまずいことを、ひた隠しにしている」と受け取られた。
とはいえ、テクノロジーというものがそうした−ほとんど無意味な−すったもんだの収束を待ってくれるわけもない。ロボティクス業界は次々に各社オリジナルの製品を打ち出した−インド、中国。そしてロシアとアメリカのそれぞれ代表的な企業から人型ロボットのモデルが発表された時には、人々は「テクノロジー冷戦」とさえ揶揄した。当然、メディアもマテリアル争奪戦についてしばらく書き立てた。
しかし、その普及が遅れたのはそうした心理的な障壁のせいではなかった。単に、その素材が金属製で非常に高価だったために、エントリーモデルのそれでも庶民にはなかなか手が出せなかったのである。
つぎに、これも単純な話で、性能があまり良くなかった。単純作業の繰返しなら疲れ知らずでなんなくこなしたが、動きはぎこちなく、その上会話となるといっこうに駄目だった。レスポンスのディレイが激しかったので、まともな会話が成り立たない。人間、いくらロボットのことを不気味がると言っても、やはり人型である以上会話はしたくなるものらしい。
そうした、見た目だけは良いが中身は出来の悪いロボットたちは次第に価格が下げられ、一般家庭にも普及するようになったが、それは言ってみれば自動清掃ロボットに顔がついたようなもの、と認識されていたために、彼らが恐れていたような「シンギュラリティ」とはむしろかけ離れた存在としてながらく定着していた。
やがて、そのようなイメージが普及すると、口さがのない連中は次第にロボットをこう呼び始めた。
"Sloppybot(ポンコツロボット)"。
さらに、人間のうちで時たま動きがぎこちなかったり、ミスが多い人のことを指して呼称することもあった−"|He's been a sloppybot lately《あいつポンコツ並みのヘマしやがるぜ》."
このような調子だったために、家庭用ロボットの登場以来ロボットのイメージは上がることがなかった。ロボットといえば「鉄製の人形」ぐらいの存在にしか考えられず、しばしば道端に不法投棄されたり、傷つけたり、落書きをされることがあった。モラルの高い人間であればそれに眉をしかめることもあったが、ほとんどの場合、彼らが罰されるとすれば、それは持ち主のいるものを毀損したからだった。
企業の生産ラインとしても、いちど貼られたレッテルを剥がすことは難しい。ハイエンドモデルはもっぱら、富裕層に消費されることが続いていた。
このイメージを覆したのがサイベリウス社である。彼らはまず、企業イメージをアップすることから始めた。
「お手持ちのプラスチック回収します」−
こうした文言とともに、あちこちに青色のゴミ箱が設置され、あるいは手押し車式で社員がそれを押して歩いた。当然、そこに入れさえすれば無料で不要なプラスチックごみを回収してもらえ、設置場所も無料で清掃されるのでつねに清潔だった。それだけでなく、プラスチックとあれば大型のもの、大量のものも出張して引き取ってくれるのだった。
回収されたプラスチックはサイベリウス社工場へ運ばれ、溶かされ、再形成される。それは耐久性にすぐれ、なおかつ柔軟で軽量なロボットのボディに生まれ変わるのだ。
2025年から以降は、世界各地でプラスチックの廃棄が問題になっていた頃だ。それが、いち企業が一気に解決してくれるとなると、諸手を挙げて歓迎しない人間がどこにいるだろう?脱プラスチック宣言をして長いドイツを筆頭に、フランス、スイス、イタリアとEU諸国でも輪が広がっていき、EUを脱退していたイギリスもまた右へ倣えしていた。
企業イメージが十分に上がったころ、サイベリウス社はボディにかける必要のなくなったコストを他のパーツに回し、よりコンパクトかつスマートな高性能機械部品の開発に着手した。結果として、より滑らかで自然な会話機能と柔軟な思考能力を手に入れられるまでになったのである。
ところが、その後の道のりはコンパクトでもなければスマートでもなかった。あの「シンギュラリティ」という言葉が社会的な懸念として再燃したからだ。そこで初めて−自分たちの立場が脅かされるという「悪夢」を見ていた連中にとってさえ初めて−「立場が奪われる」ということが夢ではなく実態を伴ってもたらされたからである。しかも、以前に「悪夢」を見ていた層がまさしく、排斥のターゲットになったわけであった。それはそうだろう、火のないところにも煙をみるような人間たちを、誰が雇い続けていたいと思うだろうか?冷静で論理的思考を揺るがせにしない
当然、そうなると彼らが不満を訴えないわけがなかった。しかし、そのような渦中の、まさしく中心にありながら、「排斥されたものたち」の怒りの矛先は彼らを解雇した職場ではなく、アンドロイドたちに向けられた。
しかし、言っておかねばならないのは、彼らはなにも彼ら自身の力で集まったわけではなかった、ということだ。もし彼らが個人ごとに孤立した状態ならば、多少不満は口にしても、自分の安全な居場所から抜け出すことはなかっただろう。彼らのアジリテーターになったのは、少しばかり発言力のある人間たち、いわゆるインフルエンサーだった。もちろん、彼らインフルエンサーがアンドロイド賛成側になるはずがない。なぜなら、『あなたの隣に潜むアンドロイドたち』というようなタイトルの本は、彼らの著作物だったからである。アンチ・アンドロイドで飯を食っている人間が、その飯のタネを捨てるわけがない。
そのようなインフルエンサーの元に「排斥されたものたち」は集まった。無論、自分よりも「偉い人」が、自分と同じ意見を持っていることは彼らに安心感を与えた。まして、イデオロギー論争が激化を極めている世界では、まるで溺れたものが船を見つけたかのように有り難がるのも不思議ではない。
だが、その集まりがそもそも極端な偏見を持つもの同士だけでいたらどうなるか。それは想像に難くない。当然、そこでさらに彼らの持つ偏見は誇張され、コミュニティという坩堝の中で煮詰まった。単に「アンドロイドは邪魔だ」というだけだった価値観が、「アンドロイド憎し」に変わるまで、そう時間は掛からなかった。
そのような流れで、ただでさえ彼らにとって憎き脅威であったロボット、サイベリウス社製のアンドロイドが、知恵を持って動き始めたらどうなるか、そこは想像にかたくないだろう。しかもいまや、自分たちより立派なスーツを着込んでいる!
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