第1話 兎狩り

 天高く伸びる木々が不規則に生えそろう森の中に一人の青年が佇んでいた。今の時刻、太陽は真上に昇っているはずだが、木々の葉に阻まれて地面に届く光はごく僅かだ。


 青年の漆黒の髪は綺麗に暗闇に溶け込んでいた。髪の下の深い青色の目はまっすぐ前を見据えている。


 遠くから遠吠えが聞こえた。それが野犬のものなのか、オオカミのものなのか、それとも別のナニかの声なのかは青年には分からない。


 大人でも恐れる不気味さの中心にいながらも青年はひどく落ち着いていた。いや、むしろ何かを待っているかのように堂々と立っている。


 青年は自身の身長ほどはあろう太刀を背負いながら周囲の音に耳を澄ませる。不思議なことに青年の周囲には木がほとんど生えていない。


 太刀を振るには充分なスペースに加えてナニかに不意を突かれない絶好の場所だった。不意に青年が背から大太刀を抜いた。


 そのままの勢いで太刀をなぎ払う。青年が太刀を抜くのと、横から飛び出したナニかが青年に飛びかかるのは全くの同時だった。


 ガンッとナニかから生える大きな角と太刀がぶつかり暗い森の中を照らすように火花が散った。青年とナニかが距離を取る。


 そこで始めてナニかの姿が青年の瞳に映った。飛び出してきた生物の姿は兎をしていた。しかし、ただの兎ではない。


 青年の倍ほどの大きさに加えて口先に見える二本の大きな牙。

 それに額からは一本の巨大な角が生えている。兎そっくりだが、可愛らしさのかけらもないこの生物の名前は一角兎ホーンラビット――魔物だ。


 魔物とは魔法使いによって生み出された生物だと言われている。高い身体能力を有していることも多く、人にとっては出会っただけで人生最大の不幸になることも珍しくない。


 何よりも、全ての魔物は恐るべき術――魔法を使える。例え熟練の戦士であっても魔法を食らったらひとたまりもない。


 どれだけ鍛えていようが無力。そんな恐るべき力。

 ただでさえ厄介極まりないのだが、魔物は適正のある一つの属性しか使えない精霊術師とは違い、多数の属性を扱える力を有している。


 強力な魔物の中には全ての属性を扱える万能性も有している個体もいるという。。例え天地がひっくり返っても、一般人などは敵うことのない怪物だ。


 しかし、そんな怪物を目の前にしても青年は動じない。まあ、魔物の領域に単身入っている時点で一般人とは呼べないだろうが。


「ちっ」


 青年は自身の剣を受けながらも傷一つない一角兎を見て眉をひそめる。一角兎の跳びかかりを狙った渾身のカウンター。


 しかし、金属よりも硬いと噂される角に阻まれて完璧に防がれてしまった。


 青年と一角兎の間に障害物は何一つない。ここからは力と力のぶつかり合いになるだろう。


「グルルッ」


「あの角を切り落とすのは無理だな。全くこんなに硬いとは……くそっ、せっかく研いだのに……」


 自身の領域に潜り込んだ不届き者に目を血ばらせる一角兎とは対照的に青年はどこか余裕を感じさせるような緊張感のなさだった。


 今も意識は一角兎ではなく愛刀に注がれている。そんな青年の態度に一角兎の怒りのボルテージは一気に上昇した。


「グルァァ!」


 一角兎がそう叫ぶのと同時にいくつかの火の玉が一角兎の頭上に浮かんだ。


「うおっ、フレアダム!いきなり第三階級呪文かよ!」


 それまで目の前の兎に興味なさそうにしていた青年の表情が一気に変わった。それもそのはず。


 一角兎が使おうとしている魔法は並の精霊術師の最高火力と同じだけの力を誇る魔法だったからだ。


 精霊術とは一部の精霊の民が精霊から力を借りて無から火や水を発生させる力だ。

 この点は魔法と似通っている、というより魔法と精霊術は術の効力なども非常に似ている。


 異なるのは精霊術の発動には杖が必要なこと、そして使い手が扱える範囲にある。


 精霊術師は生まれもって決められた一つの属性しか扱えないのに対して魔法使いは魔物同様に属性が一つに縛られない。


 そんな魔法や精霊術にはそれぞれ階級がある。どちらも最弱の一階級から数字が増えるに連れて力も増す。


 たとえ最弱の一階級の術であっても大人ですら食らえばただでは済まない。第三階級ともなれば、人を数人殺せるレベルの魔法であり並みの精霊術師の限界に位置づけられる。


 一角兎の出せる魔法は第三階級で限界。いにしえから伝わる書に記してあることが事実なら青年を殺すため一角兎は全力を放ってきたことになる。


 一角兎の上に浮かぶ火球が青年に照準を合わせて飛んだ。迫り来る死、しかし青年の目に恐怖は浮かんでいない。


 シッ、そう軽く息を吐きながら青年は太刀で火球を切りかかった。刀で魔法を防ぐなど不可能――一角兎は勝利を確信して邪悪な笑みを浮かべた。


 しかし、青年の太刀が火球に振れた瞬間、火球が真っ二つに割れた。分かれた火球は青年ではなく木に当たり周囲を火で包んだ。


 青年は火球の行方など目もくれず、一角兎の元へ突っ込む。もはや火球は青年の障害ではなかった。火球は青年を燃やすよりも先に太刀で撫でられ消えていった。


 全力の一撃をたやすく破られたことで一角兎は悟った。目の前の人間は自分の領域に誤って潜り込んできた愚かな人間ではない。


 自分を殺すためにここに、今、目の前に立っているのだと。一角兎が迫り来る脅威から逃れようと一歩後退したときには既に青年は懐に入っていた。太刀が振りかぶられる。


「あばよ」


 一角兎が青年のぞっとするほど冷たい声を聞いたのと神速で振られた太刀が首を跳ね飛ばしたのは同時だった。

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