第4話 規格

 アビゲイルは自分の価値を示すために、前世知識を使って実績を残すことにした。

 まずは手始めに二進法とその計算について発表した。これはウィリアムの伝手を使って、王立アカデミーでの発表となった。

 ゲーム内での設定はプレーヤーに理解しやすいように基本は十進法であり、時間については六十進法が使用されている。その設定がそのまま適用されているので、二進法については使われていなかったのである。

 この二進法の計算だけではたいして注目もされなかったであろうが、アビゲイルは前世知識を使ってコンピューターの概念を一緒に発表したのである。勿論、敦子は専門家ではないために、一般知識としての説明程度しか出来なかったが、電力の代わりに魔力を使って、1と0の組み合わせで回路を使って入力と出力を行うという画期的な理論はアカデミーに好意的に受け入れられた。

 何が出来るかわからないものではなく、現代の地球で使われているパソコンやスマートフォンのようなゴール地点を具体的に提示できたこともその一因であろう。瞬く間に予算が組まれ、研究チームが立ちあげられた。当然そこにアビゲイルも加わることになる。アカデミーでは「次の王妃様は天才である」との評判が立った。


 アビゲイルはそれだけにとどまらず、産業規格についても新しい考えを発表する。いままでも武器や馬車、機械などは紙の図面をもとに作成されていたこともあったが、多くは工房で職人が頭の中に描いた図面をもとに作られていた。戦場で壊れた部品を作りなおすときは、壊れた部品の寸法を見ながら似たような寸法で作りなおすため、非常に効率が悪かったのである。

 アビゲイルはそこに公差という概念を持ち込んだ。例えば荷車の車輪と軸。これの嵌め合い公差を設定することで、あらかじめ替えの部品を準備する事が出来る。公差内で作られていれば、交換するときに寸法の調整なく組み付けが出来るのだ。

 この概念の登場により、今年度の軍事予算での購入品に対して大幅な見直しが入った。調達を遅らせてでも公差を設定したものにすべきという意見が大きかったからである。

 安全な後方で替えの部品を作るのであれば、育成に時間のかかる職人を戦場で失うことはない。これが工房の職人たちにも支持された。こうして瞬く間にアビゲイルの評価はうなぎ登りとなったのである。


「アビゲイル様、この前の二進法の計算についての講演素晴らしかったです。現在人が行っている計算を将来的には魔力を使って計算機に計算させるための基礎理論。0と1というオンオフだけで、それ以上の数字の計算ができるなんて、どうやったら考え付くのか想像もつきません」


 レイミリアは興奮気味にアビゲイルをほめたたえる。今は昼休み。アビゲイルとレイミリアは一緒に食事をしていた。あいむかいに座って食後のお茶を飲んでいる。レイミリアがアビゲイルをほめたたえたのは二日前にあった、二進法についての学園での講演についてであった。アカデミーだけでは人員が足りず、学園の学生たちに今のうちからその理論に触れてもらい、卒業後にはアカデミーでの研究者が生まれてくれたらという思いからであった。ただし、内容が国家機密に近いため、講演を聞ける学生はかなり慎重に選ばれた。当然、他国からの留学生などはその対象となってはいない。

 レイミリアからの称賛に対して、アビゲイルは愛想笑いをした。


「偶然、夢で見た内容を覚えていたのよ。どうしてそんな夢を見たのかはわからないわ」


 そう、前世の知識であるなどと言えないので、そこは夢の内容ということで誤魔化したのである。


「でも、夢でもそういう事を考え付くアビゲイル様が凄いんです。とっても特別な存在で」


「あら、それなら竜星の乙女であるレイミリアだって特別な存在よ」


 アビゲイルはレイミリアの顔をみてニッコリと笑う。レイミリアはそんなアビゲイルの言葉を両手を振って否定した。


「私にはファンクラブはありませんけど、アビゲイル様にはファンクラブがあります。みんな、卒業してからもどうにかアビゲイル様と一緒に過ごせないかと狙っているんですよ。王宮での仕事につこうと今から画策している子が多いんですから」


「それって侍女になろうっていうこと?」


「それもありますけど、役人を目指している子もいるんですよ」


「女じゃ無理じゃなくて?」


 アビゲイルの疑問は尤もであった。乙女ゲームの世界でありながら、この世界の女性の扱いは低い。女性が働くのは農民か都市部での給仕のようなもの、あるいはメイドといった職種くらいであって、役人を女性が勤めているというのは殆どない。絶対にないわけではないが、それは貴族の子供が親の領地で役人をやっているような場合であり、王宮で女性の役人がいるということはない。役人に登用してはならないという決まりは無いため、不可能ではないのだが慣習としてはあり得ない事であった。

 そんなアビゲイルにレイミリアがやや不思議そうに聞き返す。


「アビゲイル様はご自分の功績をご存じないのですか?」


「二進法と公差のこと?」


「そうです。それを発表したのがまだ学生の女性ということで、年齢や性別にこだわっていることが無意味だとみんなわかったんですよ」


 それを聞いたアビゲイルはティーカップを手に取ると、一口お茶を飲んだ。それは冷静さを失わないための一呼吸だった。


(まずい。やりすぎたわね。実績が欲しかったけど、こんなに一気に進めたら副作用もあるか。女性の社会進出は歓迎するけど、社会通念が大きく変わるのはエンディングに影響を及ぼすかもしれない)


 アビゲイルの心配はエンディングであり、いまだにどのルートなのかわからないので、なるべくゲームのストーリーを壊すようなことはしたくなかったのである。

 ただ、保身のため使える人物であるという評価は欲しかったが。


「女性だから、若年だからという理由で受け入れられない社会が少しでも変わっていくのは望ましいことね」


 と、レイミリアに返事をすると、前にも増してレイミリアの表情は明るくなった。


「アビゲイル様は学園内のことに興味が薄いからご存じないのでしょうけど、これからは女性も社会進出していけるって同級生の間では盛り上がっているんですよ」


「そうなのね」


 と、そこで二人の座る席にひとりの男子学生がやって来た。大柄で引き締まった体からはかなり鍛えているのがわかる。肌は日焼けして黒く、髪は水色の顔が整った美男子であったが、アビゲイルの記憶にこんな攻略対象はいなかった。


「どのようなご用件でしょうか?」


 と不審に思ったレイミリアは訊ねてみた。それに目の前の美男子は答える。


「僕の名前はエインズ。ターセル帝国から来た。ソレイユは狙われている」


「えっ?」


 アビゲイルは驚きの声をあげた。


「驚くのも無理はないだろうけど、これは本当の事だ」


 そう言われたが、アビゲイルが驚いたのは別の理由だった。が、レイミリアもエインズもそれは気づかなかった。


「どうしてそんな重要な事を私たちに?」


 レイミリアは再度訊ねる。


「本当はウィリアム王子に伝えたかったけど、彼等と接触する機会がなくてね」


 エインズのいうように、ウィリアムは食事を学生食堂ではとらない。理由は毒殺を避けるため。そして、生徒会室の前には護衛がいて直訴できるような状況ではない。

 ただ、やろうと思えばどうにでも出来たのだが、世界がそれを許さなかった。


 そう、アビゲイルが、前世の敦子が作り出した世界がだが。


(これは私の同人誌『蒼き竜星のレイミリア』の世界なの?)


 蒼き竜星のレイミリアとは世紀末救世主伝説っぽいロボットアニメと竜レイの世界観をミックスした、敦子の同人誌である。エインズの登場でアビゲイルは確信したのであった。

 なお、その内容はターセル帝国の攻撃で、ソレイユ王国の都市は悉く壊滅。人口は半減して生き残った人々もターセル帝国の熾烈な占領政策の前に虐げられているというものであった。

 アビゲイルはそんな事を思い出して、恐る恐るレイミリアに質問する。


「レイミリア、竜星の色は何色だったかしら?」


「空に蒼く輝く一等星ですけど、どうしてそんな事を?」


「そうだったわね。今、それがどうしても気になってしまって」


「あの夜の銀河を統べるような輝く星に選ばれたことを誇りに思います」


 と、胸を張るレイミリアを見て、アビゲイルは頭をかかえた。なにせ件の同人誌はアビゲイルの結末が決まっていない。が、ソレイユ王国は滅びるのは確定しているのだ。どうせろくなことにはならないのはわかっている。

 なお、敦子が同人誌で結末を決めなかったのは、元になるアニメを見たことが無かったからであった。兄から聞いた知識と、友達がカラオケボックスで歌っていた主題歌から作ってみただけなので、特に深い知識は持っていなかったのである。なので、あまり元ネタとかけ離れてはいけないと思い、中途半端なストーリーにしたのであった。ただし、そんなに売れたわけではないので杞憂であったのだが。

 今、アビゲイルは脳細胞が過労死するんじゃないかというレベルで動かしていた。なにせ、ここから先は未知数で埋め尽くされているのだから。

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