後編
先生はオレたち三人を廊下に立たせて、点呼を取る。
三人そろっていることを確認すると、オレたちと一緒に部屋へ入ってきた。
「お前たち、本当に海に行ったのか?」
「行ってません!」
三人、声をそろえて全否定。半ばヤケクソだった。
海パンは、障子の奥に乾してある。見られたらお終いだ。
それでも『知らぬ存ぜぬ』を通すしかない。
部屋をゆっくり見渡す。そして、先生は奥の障子に手をかけた。
終わった、とオレは覚悟を決める。
この次に落ちる雷に備え、体を固くする。
だが、いつまで経っても雷……宮下先生の鉄槌は落ちなかった。
「海パンなんて、ないじゃないか」
そうボソッと呟くと、先生は他の子の点呼が終わっていないからと、
早々に部屋を出ていった。
「何が起きたんだ?」
オレは優の顔を見る。
優もぽかんとした顔をしている。
「俺に感謝しろよ」
順がまたニヤニヤしていた。
話を聞くと、オレらが枕投げをしているときに
こっそりと押入れの中に移動させていたらしい。
『さすが』としか言いようがない。
「すごいね、順くん……」
優は信じられないといった表情で順を見ていた。
2日目は心を入れ替えて一日中勉強……なんてことは、
もちろんありえない!
今日は港で釣りでもしようという話になった。
海で泳ぐのもいいけど、のんびり釣りも楽しそうだ。
どうやら港の近くに釣り道具を貸してくれるところがあるらしい。
順の事前情報でそのことは知っていた。
オレたちは朝食を済ますと、昨日と同じ方法で会場を抜け出した。
今日も快晴。釣り日和だ。
朝の海辺は気持ちがいい。
磯の香りがいかにも『海!』って感じで、それだけでも自由を満喫できる。
ホテルから海沿いを歩いてフェリー乗り場を過ぎると、小さな釣り道具屋がある。
そこで釣り道具をレンタルできる。
「あんたら、釣りできんのかい?」
店に入るとおばあちゃんが声をかけてきた。
オレは二人を見た。
釣りをしようってことにはなったけど、実はやったことがない。
優はまたおどおどしてるから、多分やったことはないだろう。
となると、頼みの綱はやはり順しかいない。
「できません。初心者です」
即答だった。
順もやったことがないってことは、オレたち全員ド素人じゃないか!
おばあちゃんは、不愉快そうな顔で「ああ、そうかい」と言うと
店の奥に引っ込んでいった。
「お、怒らせちゃったのかなぁ?」
優が不安そうにオレと順の顔を交互に見る。
だが、少しするとおばあちゃんは竿を3本持って戻ってきた。
「ここ、親指でおさえて、糸を遠くへ飛ばすんだ。餌はこれ」
餌といって、バケツから小さいタッパーに何かを入れる。
なんだかウゾウゾ動いていて、正直気持ち悪い。
「これ、何ですか?」
順が餌を指差して質問した。
おばあちゃんは、『そんなことも知らないのか』と言いたげな表情だったが、
「ウジだよ」と答えてくれた。
オレたちは竿と餌を持って、防波堤のところまで歩く。
オレが黙々と教えられた通りに針に餌を付けていると、優が寄ってきた。
「だいちゃん…餌、付けてくれる?」
どうやらこの虫がダメらしい。
っていうか、オレもできるならこんなもの触りたくない。
だが、渋々と餌を付けてやった。そしたら今度は順が近づいてきた。
「俺のも頼む」
人に物を頼む言い方じゃないような気もしたけど、順は今回色々計画を練ってくれた。
このくらいのことはしてやらなくちゃダメだよな。
餌を付け終わると、オレたちは一斉に糸を投げた。
だけど、飛ばない。飛んだとしても近くだ。うまく行かない。
優は一生懸命何度もチャレンジしているが、
順は自分がうまくできないことが歯がゆくて、イライラし始めている。
そんな中オレは、ゆったりのんびり熱海の風を楽しんでいた。
太陽が真上にくる前、オレの竿がピクンと動いた。
軽く引くと手ごたえがある。
そのままグイッと引っ張りあげると、小さな魚がつれた。
「す、すごいよ、だいちゃん!」
「これは何という魚だろう?」
つまらなさそうだった二人も、オレが釣り上げたことで機嫌が直ったようだった。
正午の鐘が鳴った後、オレたちは一度ホテルに戻って昼ご飯を食べ、
また昨日と同じように海へとくりだす。
オレは釣りでもよかったんだけど、二人はしびれを切らしたようだった。
だから、最近の若者は忍耐力がないって言われちゃうんだ。ちぇっ。
夕食を済ませ、部屋に戻ろうとしたら、宮下先生に声をかけられた。
嫌な予感がする……。
その予感は見事に的中した。
先生は、オレたちを狭い会議室に連れて行った。
三人掛けのソファーと、二つの小さいイス、テーブルが置いてある。
先生がイス、オレたちは向かい合うソファーに座った。
「今日、お前たちを見てたんだが、朝っぱらから逃げ出すとはな」
先生はふうとため息をついた。
もうオレたちは無言だ。
「やったか?」と聞かれれば「やってません、知りません」で通せるのに、
決定的な場面を見られてしまっては、何も言えない。
オレたちはただただ縮こまるしかなかった。
「まぁ、お前たちがそれでいいならいい。遊びたいだけ遊べ。
ただ、先生は責任を取らないからな。点呼もとらん。親にも言わん」
「え……?」
意外な言葉に驚いた。順も優も呆気にとられている。
そりゃそうだ。宮下先生は今回の合宿に出席している先生の中で
一番恐いとされているんだから。
「先生の話は以上。わかったな?」
「はいっ!」
オレたちは嬉しくて飛び上がりそうになった。
なんて太っ腹な先生なんだ! これで名実ともに自由だ!
部屋に戻ると、早速財布を取ってコンビニへ行こうとした。
すると廊下で由香たちとバッタリ出会う。……最悪だ。
「アンタたち、また今日サボったでしょ! 見てたんだからね!」
また由香のお小言が始まった。どうしよう。
こうなると長いんだよな。
そんな由香をさえぎったのは順だった。
「面倒くさいから、もう君たちも来て!」
そう言って、美久の腕を強引に引っ張って廊下を走り抜けていく。
そうか、こうなったら、敵でも仲間にしちまえばいいんだ!
「由香! 悔しかったら、捕まえてみろ!」
「このぉ!」
予想通り、由香もオレをすごい勢いで追いかけてくる。
階段をダッシュで降り、ホテルの外に出た。
順は美久を連れてコンビニ方向に走っている。
オレも二人に追いつこうと必死に走った。
コンビニに着くと、順と美久が待っていた。
オレは到着すると同時に、あっさりと由香に捕まる。
それでもいい。
とりあえず、コンビニまで到着することが目的だったんだから。
「ちょっと! 美久をさらって、どうするつもりよ!」
由香がぜーはーと肩で息をしながら話していると、
優と明季が仲良くしゃべりなが歩いてきた。
「花火やるんだって? 優くんに聞いたよ」
「は、花火?」
由香は鳩が豆鉄砲食らったような顔をした。
「仲間に入れてやってもいいんだぞ」
オレはちょっと偉そうに言った。
花火をスケジュールに入れたのはオレだったからだ。
「……ふん、仲間に入ってあげてもいいわよ」
由香はちょっと恥ずかしそうに、でもずうずうしく、オレたちの仲間になった。
コンビニで花火を買って、ホテルのトイレから持ち出してきたバケツに海水を汲む。
これで準備OKだ。
付属の小さいろうそくに火をつけると、さっそく明季が花火を一本持つ。
「わぁすごい! きれい!」
オレたちも次々と花火を始める。
美久は最初恐がっていたけど、一回やってしまえばどうってことはない。
そんなに大量に花火を買ったわけではなかったので、6人でやるとすぐ終わってしまう。
最後はみんな、一本ずつ線香花火を持って、誰が一番長く続けられるか勝負した。
一番長く続いたのは、意外にも美久だった。
ホテルに戻ると、女子の部屋の方がドタバタと騒がしい。
何かあったのか?
「あ、やばい……」
由香たちは忘れていたらしい。点呼があることを。
オレたち三人は、宮下先生の特別なご好意で点呼を免れていたから問題なかったのだが、
女子は違う。
「まぁ、せいぜい頑張りたまえよ」
オレは昨日のチクったことのお返しをした。
由香は悔しそうな顔をして、部屋に入る。きっと反省文、書かされるんだろうなぁ。
オレたちは、昨日今日と遊びまくったおかげでクタクタだった。
布団を敷いたら、倒れこむように深い眠りに落ちた。
最終日はあいにくの雨。
でも、今日は海で遊ぶ予定ではなく、お土産を選ぶ日と決めていた。
だから午前中はゆっくり寝て、昼ご飯を他の子たちと食べたあと、
駅前のお土産屋さんに行く予定だ。
本来の合宿だったら、お土産ひとつ買う暇ないんだぜ? ひどい話だ。
こんなにいいところに来て、勉強だけひたすらやるなんてさ。
由香、美久、明季は、さすがに今日は一緒にならなかった。
昨日さんざん怒られたのだろう。
目の下にクマができていた。
ちょっと罪悪感はあるけど、普段ボロクソに文句言われているから、ちょっといい気味だ。
「帰りの新幹線は、確か午後3時。それまでお土産見てよう」
海ですっかり黒くなった順が、そう指示した。
順だけじゃない。オレも、優も、勉強合宿に行ったはずなのに、真っ黒だ。こ
れじゃ、母ちゃんたちにバレるかな……。
そんな親の機嫌をとるために、オレたちは必死で喜ばれるお土産を探す。
あじの干物、わさび漬け。アオサのインスタント味噌汁などなど。
これだけ買えば、何とかなるだろう。
お土産選びで疲れたオレたちは、温泉まんじゅうを食べながら商店街のベンチに座った。
「大分風が出てきたねぇ」
優は気持ち良さそうに、風のにおいをかぐ。
駅から海辺まではちょっと遠いのに、磯の香りがほんのりする。
オレたちの旅はこれでお終いなのかと思うと、ちょっと寂しい。
オレが感傷にひたっていると、順が青ざめた顔をして時計を見ていた。
「順くん、どうしたの?」
優が心配そうに順の顔をのぞき、その視線の先を追う。
すると優まで一瞬で顔が青くなった。
「二人とも、どうしたんだよ?」
しびれを切らしてオレが直接聞くと、順は腕時計を見せた。現在午後4時20分。
……午後4時20分。新幹線の時間は……。
「午後3時だ」
オレの思考を読んだのか、順がすばやく答える。
「と、いうことは……」
「置いてかれた!」
三人の声は、商店街にこだました。
「宮下先生、『点呼とらない』って、こういうことだったのか!」
順のメガネがずれる。先生は、オレたちを置いてくつもりだったのか。
駅の窓口に行くと、駅員さんに慌ててたずねる。
行きは新幹線で来たけど、帰り方がわからない。
とりあえず東京まで着けばいいんだけど。
駅員さんに聞くと、新幹線だと片道1830円かかるという。
「僕、もう1500円しかないよ」
「俺も、1800円だ」
そういうオレは1000円しかない。一番ピンチなのはオレだ。これはまずい。
もう一度、駅員さんの所へ行って、もっと安く帰れないか聞いた。
「そうだね、東海道線だったらもっと安く東京までいけるよ。
ただ、ちょっと時間はかかるけど」
その言葉に、オレは心底安堵した。
行きはすごい速さで変わっていった風景だけど、
鈍行だとゆっくり景色が移り変わっていく感じがする。
今度はだんだん緑が減っていき、ビルが多くなってくる。
「俺らの旅も終わりか」
順が感慨深げに呟く。
「見事に遊び倒したよね。勉強合宿なのに」
優は、ちょっと嬉しそうに言った。
「なんかさ……こういうのって、今しかできないよな。大人を裏切って、好き放題って」
オレが感じたことを言うと、二人が変な目でこちらを見てきた。
「おい、大、大丈夫か? 熱でもあるのか?」
「だいちゃん、風邪引いたんじゃない?」
あれ、オレってそんな変なこと言ったかな。
そんな会話が途切れると、いつの間にか全員眠りについていた。
東京に着いたら、親に怒られるんだろうな。
今まで以上に勉強漬けになるかもしれない。
それでもオレは、この2泊3日を一生忘れることはないだろう。
勉強以外の特別な経験をすることができたんだから――。
オレたちだけの夏合宿 浅野エミイ @e31_asano
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