オレたちだけの夏合宿

浅野エミイ

前編

「大、塾の合宿申し込んだからね。」

「はぁっ?」

 

オレは大。

『大』と書いて『マサル』と読む。だから友達は『だいちゃん』と呼ぶ。

今、オレはかなり驚いている。

母ちゃんには塾の合宿があることを内緒にしていたからだ。

 

塾の合宿というのは、二泊三日の間、合宿所で一日十八時間も勉強するという

健全な小学生にはガマンならないものだ。

小学校最後の夏休み、こんなくだらないイベントに出てられるかっていうんだ。


「だいちゃんも行くんだ~」


塾で同じクラスの優(ゆう)が、オレの隣の席に座って申込み込用紙を取り出した。


「優、お前、本当にそれでいいのか? 貴重な夏休みなんだぞ!」


オレはあまりにものほほんとしている優に、つい声を荒げてしまう。


「中学受験するなら、当然じゃないか。優を責めるなよ」


オレと優の前の席に座ったのが、順(じゅん)。

こいつは『レイセイチンチャク』というやつで、いやに大人びている。


「お前らは、親が言うから合宿に参加するのか? 

ただでさえ他の日は夏期講習がびっちり入ってるのに、また勉強!

ありえねぇよ!」


オレは二人を鼻で笑った。だって中学受験なんて、オレは正直興味がない。

ただ親が『いい学校に行かせたい』って、それだけの理由なんだ。


優や順は知らないけど、オレは、極力勉強したくない。

……まぁ、中学行って大変にならない程度できればいいと思ってる。

だから夏休みだって、夏期講習はガマンしてやる。

でも、『勉強合宿』は死んでも行きたくない!


「旅行に行くと思えばいいんじゃないか?」


順が淡々と、教科書とノートを机に広げながらオレに言う。


「そうだよ~。熱海だって。すごいよねぇ」


順の言葉に同意する優。


「温泉もあるみたいだよ~」、なんて申込用紙をながめている。

「だから、お前らはぬるいんだ! 熱海に行っても、ホテルにずっと缶詰なんだぞ!

海も山もすぐそこだっていうのに……」


オレは、拳を振るわせた。

これじゃ、にんじんを顔の前につるされた馬と同じだ。

それじゃなかったら、自分のしっぽを綿毛と間違えて追いかけている犬だ。

遊ぶ場所はあるのに遊べないオレたち。

なんて大人はひどいんだ!


「……確かに、大の言うことも一理あるな」


オレの熱弁を聞いたせいか、いつもは冷静な順が意外にもノッてきた。


「受験のせいで海に行けないというのは、小学校最後の夏休みにはふさわしくない」


メガネを人差し指でくいっとあげて、順はニヤッと笑った。


オレと順は小学三年から同じクラスだからよく知ってるけど、

この笑い方をしたときのヤツは無敵だ。

普段は大人びた、冷静な意見しか言わないくせに、

ニヤッと笑った後はスイッチが入ったように悪ガキになる。


オレも自分で悪ガキだって自覚はあるけど、順は多分無自覚で、オレよりひどい悪ガキだ。


「よし、もうこうなったら、二泊三日ずっと遊びまくろう」


順はいともたやすく『合宿サボり宣言』をした。


「でも……先生たちにバレちゃうよ?お母さんたちにも……」


優が心配そうに順とオレを見る。


合宿を抜け出して遊んでたりしたら、確実に先生たちの雷が落ちる。

もちろん親にも連絡が行って、親からの制裁も受けるハメになるだろう。

例えば、もう受験まで遊びに行っちゃいけない、とか。


「そうだな。その辺はうまくごまかす方法を考えておかないとな」


順は優の心配をよそに、もう抜け出しプランを頭の中で構成しているようだった。



そして、待ちに待った夏休み。

オレたちは学校がなくても夏期講習がある。

夏休み開始第1日目からって、そりゃないよ。


でも、今日だけはちょっと楽しみだったりする。

順が『合宿抜け出し計画』を、発表する日なのだ。


あいつは頭がいいというか、賢い。

だけど、自分がリーダーになって何かしようということはない。

前に、『自分は参謀役が向いている』と言っていた。

陰で人を操る感じだろうか。

口には出さないが、その通りだと思う。


昼休み、オレと優と順は空き教室でパンを食べながら、作戦会議を開いた。


「まず、これを配ろう」


順は自分のカバンから、パソコンの文字をプリントアウトしたものをオレたちに渡した。

これが『合宿抜け出し計画』の内容だ。


まず、作戦1。

一番後ろの、ドアが近い席を確保する。

点呼を取ったらすぐに外へ出られるようにするためだ。

今回の合宿は、多分ホテルの一番広い、結婚式などの会場となる場所でやる。

だから、黒板の前にいる先生たちから一番後ろの席のオレたちは

豆粒同然にしか見えないはずだ。

 

そして、作戦2。

荷物は外にあらかじめ出しておく。

水着や着替えなどかさばるものだ。

こんなものを持って会場に行ったら、脱走するのがバレバレだ。


最後に、作戦3。


「会場の空調を止める……?」


オレと優の声がハモった。

どういうことだ? すかさず順が説明する。


「会場が暑いと、ドアも窓も全開にしないといけないだろ?

ドアが開いているということは…。」


「外に出やすくなる!」


今度は三人の声がハモった。さすが順だ。相変わらず、ずる賢い。


「空調の件は、何気なくフロントに『会場が寒すぎる』と言っておけば平気だろう」


そこまで考えていたのか。油断ならないな、こいつは。


「それじゃ、当日は水着絶対忘れんなよ!」

「おう!」


オレたちは合宿を抜け出すことを楽しみに、夏期講習に挑んだ。



そして合宿当日――。熱海には新幹線で行くことになっていた。

集合場所の東京駅には大勢の親と、これから合宿に行く子どもたちが集まっている。

うちも母ちゃんが見送りに来た。

ちょっと探して、順と優に合流。

優はお姉さんが見送りに来ていたが、順は一人だった。


うちの母ちゃんは、優と順に挨拶して「ちゃんと勉強してるか見張っててね」と、

余計な釘を刺していった。


残念だけど、三人とも授業丸々サボるんだけどね。


その後、母ちゃんたち父兄と分かれて『出発の会』とかいう、

うちの塾長の長ーい話を聞いて、オレたちは新幹線に乗り込んだ。


「新幹線、マジかっこいいなぁ!」


オレはテンションが最高潮に達していた。

オレだけじゃない。

優も楽しそうに前の座席に付いているテーブルを上げたり下げたりしているし、

普段表情が読み取りにくい順も、機嫌良さそうに座っていた。

 

座席は三人席で、オレが窓側、優が中央、順が通路側に座った。


東京を出てから、どんどんと風景が変わっていく。

品川、新横浜、小田原と過ぎるにつれ、緑が多くなっていく。

オレたち三人は、すごい速さで過ぎていく風景に見惚れていたので、

熱海まではあっという間だった。


新幹線を降りると、今度はバス移動。

何台ものバスに分かれてホテルに向う。


着いたらすぐ授業、と合宿のスケジュール表には書かれていたけど、

オレたちのスケジュール表は『着いたらすぐ海!』になっている。


運が良かったことに、部屋割りは自由に決めることができたので、

オレたちは三人一緒の部屋になれた。


部屋に着くなりビニールバッグに下着や着替え、タオルを詰め、

ズボンの下に海パンを履いた。これで準備ばっちりだ。

 

順の計画通り、オレたちは他の子たちより早く会場に行き、後ろの座席を陣取り、

フロントに何気なく『寒いから、クーラーの温度を上げてほしい』と言っておいた。


午後1時。授業開始時間だ。

先生が何人か入ってくるが、室内が暑いのでドアは開放されたままだ。

つつがなく点呼を終えると、オレたちは計画通りスッと会場を抜け出した。



「作戦大成功!」


外の植え込みに隠しておいたビニールバッグを回収すると、

オレたち三人は手をパチンッと合わせた。


「さすが、順参謀だな」


オレが冷やかすと、順はまたニヤッと笑った。


「うまく行ったね!僕、すごいドキドキしたよ~」

「優は相変わらず小心者だな」


順が不満そうに言った。自分の作戦に絶対の自信を持っていたんだろう。


そんな話をしながら、オレたちはるんるん気分でホテルのすぐ側にある海の家へと向った。


「ほら、何やってんだよ。優」


メガネも取って、準備万端な順が優を急かす。


「日焼け止めぬらないと……」

「そんなのいらねぇって! 行こうぜ!」


オレはモタついてる優の腕を引っ張って、無理やり浜辺へくりだした。


さすがに夏休みだけあって、浜辺は賑わいを見せていた。

オレたちは、人ごみをかきわけ、ザブザブと海へ入っていく。

太陽の暑さと海水の冷たさのギャップが気持ちいい。


三人でぷかーっと浮いたり、潜って水中ジャンケンした後、

誰が一番ブイまではやく泳げるか、競争することになった。

勝ったヤツは海の家の焼きそばだ。


ヨーイドンで、一斉に泳ぎだす。

泳ぎは得意な方だったけど、二人もなかなかやる。

得に優は、陸地にいるときよりも動きが素早い。


結局優勝は優。2着がオレで、ビリが順だ。


でも三人ともほとんどタイミングは同じくらいだったんじゃないかな。

ともかく勝者の優に焼きそばをおごることになった。


散々海で遊んで「疲れたなぁ」、と思った頃には、

ちょうど日が落ちてくる時間になっていた。


オレたちは無言で、海に日が沈んでいくところを眺めていた――。



海で遊んだ後は、こっそり自分たちの部屋に戻る。

まだ授業をやっていたが、オレたちは構わず大浴場に移動。

どうやら一番風呂のようだ。


「ああ!」

優が叫び声を上げる。

その口をオレと順が手でふさぐ。

まだ一応授業中なのだ。見つかったらヤバい。


「どうしたんだよ?」

「ホラ、やっぱり焼けてる……。赤くなっちゃったよ~」

確かにオレも背中がピリピリ痛い。順も同じようだった。

とりあえず、応急処置として、水をかぶる。

日焼けのせいか、あまり冷たく感じなかったオレたちは、

まだ人がいない浴場で水をかけ合ってはしゃいだ。


風呂から出たあとは、髪をよく乾かし夕食の会場に何食わぬ顔で合流だ。

ただやっぱり日焼けしたせいで、不審に思ったやつらがいた。

しかも最高に面倒くさいやつらだ。


「あんたたち、海行ったんじゃないの?」


食後の自由時間に、同じクラスの由香が詰め寄ってきた。

由香はオレのことを目の敵にしているフシがあって、よくつっかかってくるのだ。


「え、オレ授業受けてたぜ?」

「どこの席よ?」

「そんなのお前に言う必要ないだろ!」


順の作戦、その4。

『何を言われても知らぬ存ぜぬを通せ』。

だが由香はしつこく食い下がってくる。

終いにはキメ台詞、「先生に言うよ!」だ。


結局オレは振り切れず、由香は部屋にまで入ってきた。

由香だけじゃない。美久と明季も一緒だ。

二人はどういうわけか、いつも三人一緒にいる。

女って面倒くさいな。


順と優は、今日の海で遊び疲れているせいで早く寝ようと布団を敷いていた。

もう今日のスケジュールは、先生の点呼を残すだけになっていたし。

そこに女子三人組が現れたって、迷惑なだけだ。


「あ!」

明季が小さく声を発した。

まずい、あっちの障子の向こうには……。


「何よ、コレ! 海パンじゃないの!」


由香が叫ぶ。

そうだ。

洗って乾して、また明日も海に行こうとしていたのだ。


順は頭を抱え、優はおろおろしている。

こうなったら、オレが何とかしないと。


そう思ったら、自然と手が枕を投げていた。


「きゃっ!」


枕は美久に当たった。

それに怒ったのは本人ではなく、由香だった。


「何すんのよ!」


由香はとっさに足元の枕を拾い上げ、オレに投げつけた。

オレが横に避けたら、後ろにいた優が顔面で受け止める。


「うぅっ、そっちこそひどいよ!」


今度は優の反撃だ。

だが、由香もいい動きをしている。ひらりと簡単にかわした。


「何、なに? 枕投げ? 私もやる!」


そこでしゃしゃり出てきたのが明季。

オレたちの攻防が枕投げに見えたらしい。

いや、実際、枕投げになってたんだが。

足でひょいと枕を拾い、オレの方に投げた。油断した。後ろ頭にヒット。


「この!」

明季めがけて、渾身の一撃。


「や、やめてぇ!」


いきなりオレと明季の間に入ってきた美久に、それが当たった。


「乱暴すんな!」


また、由香の攻撃だ。

枕をブンブン振って、オレの方へ近づいてくる。これはヤバい。


「お前たち、うるさいぞ!」


そんな由香を止めたのは、宮下先生の鋭い声だった。


「点呼の時間だ。女子も部屋に戻りなさい!」


七三ヘアーに黒ぶちメガネ、ジャージ姿の宮下先生は、女子を追い返そうとした。

これで何とかごまかせた……と思ったら、帰り際由香のヤツが先生にチクりやがった。


「先生、男子たちが授業サボって海行ってたみたいですよ。奥に海パンが乾してありました」


先生にチクったあとの由香は、してやったりという顔で、女子の部屋へと戻っていった。

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