1-1.開祖トンスル、その出自

開祖トンスル(漢字表記”臀死児単于”)の出自は謎に包まれている。

チャミスル王朝史に綴られた伝説によれば、トンスルは黄金の羊の腹から生まれたとされる。

トンスルの育った部族が草原で家畜の羊を追っていたところ、蒼色の狼の群れに羊たちが襲われた。

素早く賢い狼の群れに部族の者たちは手を焼いたが、ある一頭の羊が襲われそうになった時、その羊が突如黄金に輝き、その眩しさを恐れて狼の群れは立ち去ったという。

部族の者たちはその羊を神の使いと思い、大切に育てた。

すると10ヶ月後に金色の嬰児を産み落とし、そのまま羊は亡くなった。

残された嬰児は将来英雄になると部族の者たちは確信し、将来の指導者になるべく一族一丸となってトンスルを育てたという。

以上が、正史叉弥斯爾志のトンスルの出自に関する記述であるが、これが魏志臀死児単于伝になるとこういう記述になる。

トンスルは金羊贄という女から生まれた。

未開のチャミスル部では夜這い文化が盛んであったらしく、年頃の金羊贄にも多くの男が通っており、はっきりとした父親は誰だかわかっていない。

トンスルという名前は、金羊贄が出産時に産気を排便と間違えたことから、「大便と間違う」という意味のトンスルという言葉をあてられたという。

この様な命名は奇異に感じるかも知れないが、これは未開の部族ではよくあることで、敢えて汚い名前をつけることで病魔を追い払うという信仰のためだろう。

チャミスル部では生まれた子供の父親を特定せず、全て部族の子どもとして全体で養育した。

その中でトンスルは頭角を現し、成人を迎えた頃には部族の若い首領として皆に認められる存在になっていたという。

二つの史書に記述はこうも違うが、その正確性は命名の由来まで記載されている魏志の方に軍配が上がると思われる。

しかし叉弥斯爾志の記述にも興味深い物がある。

それは蒼色の狼の部分である。

これはモンゴル族(当時は匈奴の一部族と思われる)の伝説と重なるものであり、モンゴル族は狼の子孫を名乗っていることから、チャミスル部とモンゴル族は嘗て対立し、その結果チャミスル部がモンゴル族を撃退したというような話が元になっているのかも知れない。

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