第5話 無知は、罪

当時は、まだ高校生だった。


高校3年生。


周りの子は受験を意識し始めていたけれど、特にやりたいこともなく、大学は「受かるところでいい」ぐらいにしか考えていなかった。

だから同じように考えている子達と、「受験生」という肩書きなんか関係なしに、のんびりとしていた。




知り合ったのは偶然。


友達と行ったカラオケボックスで、トイレに立って戻った時、間違えて別の部屋のドアを開けかけた。



「部屋、間違えてるよ」



その声に振り向くと、スーツを着た、明らかに年上のひとが立っていた。



「すみません」



部屋の場所、覚えてるつもりだったのに間違えるなんて恥ずかしい。


急いでその場を離れ、部屋の番号を教えてもらうためにスマホから友達にメッセージを送った。

しばらく待ったけれど返信がなくて、今度は電話をかけた。

それでも気づいてもらえず、呼び出し音だけが鳴り続ける。


どうしようかと思っていたら、後ろから声をかけられた。



「もしかして、部屋わかんなくなった?」



振り向くとさっきのひとが立っていた。



「友達、電話に出てくれないんだ?」



話すつもりなんてなかったから、ずっと無視し続けた。

でも、わたしが行きたい方に立っていて、どいてくれそうにない。



「このままどっか行かない?」


「遠慮します」



横を取り過ぎようとしたら、慌てたように引きとめられた。



「ごめん、ちょっとかっこつけすぎた! 待って!」





どうしてあの時、立ち止まったりしたんだろう?


バカな好奇心。


一緒に遊んでる子達には彼氏がいて、わたしにだけいなかった。

今まで誰かと付き合ったこともなかった。


あんなふうに声をかけられたのも初めてで、少しだけ浮かれてたのかもしれない。





わたしに声をかけてきたひとは、言葉の軽さとは裏腹に、「女なら誰でもいい」って感じの軽そうな人には見えなくて、ごく普通の人に見えた。



「会社のやつと来てるんだけど、すっごい飲まされるから理由見つけて帰りたかったんだ。のっかってくれると嬉しいんだけど?」


「のっかるって?」


「ちょっとだけ付き合って。お願い!」


「はい?」



了承もしていないのに、その人はわたしの肩を抱くと、さっき間違えて開けかけた部屋の前まで連れ行き、そのままドアを開けた。


途端に大きな音が廊下に溢れ出す。


入り口の一番近くに座っていた男性が、その人がドアを開けたまま入ろうとしないことに気が付いて近づいて来た。



「ドア、開けたままは良くないだろ?」


「悪いけど、オレ帰る」


「何で?」


「彼女に偶然会った」


「彼女いたとか……初めて聞くけど?」


「こいつ、同僚の常広」



男性がわたしの方をじっと見る。


あいさつしろってこと?

彼女のフリとかそんなの聞いてないのに。



「こ、こんにちは」


「社会人じゃないよね?」


「女子大生だよ。いいだろ?」


「マジか」


「そういうことだから、後、ヨロシク」


「まぁ、いいや。じゃあな」



ドアを閉めると、廊下はまたドアから漏れる小さな音楽だけになった。



「あの――」


「助かった。お礼に何か奢るよ」


「いいです。何も奢らなくっていいです」


「お腹空いてる? イタリアン、フレンチ、和食……何でも好きな物言って」



人の話聞いてない。



「遠慮します。もう帰ります」


「……ごめん。強引だった。どこだったらいい?」



そんなに悲しそうな表情されても……



「……すぐそこのファーストフードなら」





『わたしは大学生ではなくて、高校生です』


どうしてあの時、すぐにそう言わなかったんだろう?

すぐに言ってたら何か違っていたかもしれないのに。

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