当時、駆け出しのバンドマンだった十夜は、いくつかバイトをかけもちしながら活動していた。

 川沿いのアパート。間取りは1DK。築年数は三十年。

 生活に余裕なんてなかったはず。夢を追いかけるのに必死だったはずなのだ。ボイストレーニングをして、ギターの練習もして。

 にもかかわらず、彼は自分のことを拾ってそばに置いてくれた。なくしたぬくもりを、与えてくれた。

「そういえば、旦那さん。怜ちゃんが大学時代ここでバイトしてたときも、夜迎えに来てくれたりしてたよね。あの頃からほんっとラブラブだったよねー」

 きゃっきゃっとはしゃぐ弓削に、うんうんと頷く藍原。

 改まってこんなふうに言われてしまうと、なんだか気恥ずかしい。鼓動に合わせてじんじんする頬を隠すように、怜は俯いてしまった。

 怜がここでバイトを始めたのは、十夜と出会ってから四年後のこと。大学二年生の秋のことだった。

「いろいろあったよね、ふたりとも。……でも、うん。ふたりが結婚できてよかったって、僕もみんなも、自分のことみたいに喜んでるよ」

 失意のどん底に沈んだ怜や、デビューするも売れない時代の十夜を知るここのスタッフたちは、夫婦にとって良き理解者だ。みんな親身になって相談に乗ってくれたし、〝大人〟が必要な場面では進んで力を貸してくれた。

 今もそれは変わらない。いくら感謝をしてもしたりない。

「いいなー、新婚。眩しいなー。新婚って感じしないけど。あたしも早く帰って旦那と子どもとゆっくり過ごそ。……ってことで所長。あとお願いしますね」

「僕も今日は早く帰って、奥さんと娘と一緒にテレビで十夜くん見ることにする」

「え? 仕事は? 誰がこの書類処理するんですか?」

「あー……と、明日! ……は土曜か。じゃあ来週! 来週みんなで頑張ろう! ……あーっ、みんなそんなに睨まないでっ!」

 強く思う。この輪の中にいればいるほど強く。

 生きていてよかったと。諦めなくて本当によかったと。

 彼に出会えて、本当によかったと。

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