③
当時、駆け出しのバンドマンだった十夜は、いくつかバイトをかけもちしながら活動していた。
川沿いのアパート。間取りは1DK。築年数は三十年。
生活に余裕なんてなかったはず。夢を追いかけるのに必死だったはずなのだ。ボイストレーニングをして、ギターの練習もして。
にもかかわらず、彼は自分のことを拾ってそばに置いてくれた。なくしたぬくもりを、与えてくれた。
「そういえば、旦那さん。怜ちゃんが大学時代ここでバイトしてたときも、夜迎えに来てくれたりしてたよね。あの頃からほんっとラブラブだったよねー」
きゃっきゃっとはしゃぐ弓削に、うんうんと頷く藍原。
改まってこんなふうに言われてしまうと、なんだか気恥ずかしい。鼓動に合わせてじんじんする頬を隠すように、怜は俯いてしまった。
怜がここでバイトを始めたのは、十夜と出会ってから四年後のこと。大学二年生の秋のことだった。
「いろいろあったよね、ふたりとも。……でも、うん。ふたりが結婚できてよかったって、僕もみんなも、自分のことみたいに喜んでるよ」
失意のどん底に沈んだ怜や、デビューするも売れない時代の十夜を知るここのスタッフたちは、夫婦にとって良き理解者だ。みんな親身になって相談に乗ってくれたし、〝大人〟が必要な場面では進んで力を貸してくれた。
今もそれは変わらない。いくら感謝をしてもしたりない。
「いいなー、新婚。眩しいなー。新婚って感じしないけど。あたしも早く帰って旦那と子どもとゆっくり過ごそ。……ってことで所長。あとお願いしますね」
「僕も今日は早く帰って、奥さんと娘と一緒にテレビで十夜くん見ることにする」
「え? 仕事は? 誰がこの書類処理するんですか?」
「あー……と、明日! ……は土曜か。じゃあ来週! 来週みんなで頑張ろう! ……あーっ、みんなそんなに睨まないでっ!」
強く思う。この輪の中にいればいるほど強く。
生きていてよかったと。諦めなくて本当によかったと。
彼に出会えて、本当によかったと。
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