②
「弓削さんの言うとおりだよ、
「黒崎でいいです、所長」
「所長、聞いてたでしょ? 怜ちゃん帰りますからね。そんで、あたしも帰ります」
怜と自身のパソコンを閉じながら、弓削がぴしゃりと言い放つ。
これに対し、所長——
「わー、ほとんど終わってる。ふたりともさすがだね」
まるで抜けた炭酸のような、ぬるい語気。釘がどこまでも沈んでいきそうな糠。
とはいえ、この男。まだ四十代半ばであるにもかかわらず、ここに会計事務所を構えて二十年弱という、驚くべき経歴の持ち主なのだ。人は見かけによらない典型例だと言っても過言ではないだろう。
「黒崎さんがここに就職してくれて本当に嬉しいよ。お父さんにも感謝しないとね」
怜の顔を見つめながら、しみじみと藍原が告げる。懐かしさを重ねるように、怜に視線を注いだ。
「お父さん、すっごく優秀な方でしたもんね。入所したばかりの頃、あたしほんとにお世話になって……」
続いて弓削が言葉を落とす。伏せた目には、はっきりと哀惜が滲んでいた。
怜の父親——
優しくて、温厚で、少し天然で。人一倍努力家で、誰からも慕われるような、そんな人だった。
「寂しいね」
「……はい」
デスク脇に置いたままとなっている、隼人の社員証。純和風の怜とは対照的な色素の薄い肌と髪が、柔和な人柄をよりいっそう引き立たせた。
今から七年ほど前。隼人は、怜が高校に入学してすぐに亡くなった。……癌だった。
準備も覚悟も何もできないまま、最愛の父と死別した。さらに追い打ちをかけるように、当時住んでいたマンションを追い出された。理由を訊けば、「未成年者をひとりで住まわせるわけにはいかない」のだと返ってきた。
頼れる親族もなく、為す術も知識もなく、途方に暮れた。幼い頃に母を事故で亡くし、そのうえ父をも病気で亡くし、どうして自分だけ生き残ってしまったのか。
いっそ自分も連れて行ってくれたら——そう、思ったりもした。
「でも、ひとりじゃないから」
——いやいや、どう考えてもガキがひとりでうろついていい時間じゃねぇだろ。何やってんだよ。
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