「あ」

「あ?」

 ひと悶着ありつつも、久々に夫婦水入らずで夕食を堪能した後。

 洗い物をしようとシンクの前に立った怜に、怪訝そうな声で十夜が反応した。

 スポンジを持ったまま固まる妻。その様子を、カウンター越しに夫が見つめる。

「どした?」

「……洗剤買うの忘れた」

 言葉を吐き出しながら、怜は萎れるように肩を落とした。

 今朝、家を出るときまでは覚えていたのだ。仕事帰りに買って帰ろうと。なんなら、店に入るときまで覚えていた。大容量の詰め替え用を買って帰ろうと。

 どうやら、グラタンの材料を求めて店内をうろうろしているあいだに、失念してしまったようだ。

「ショックだ……」

「オマエ、頭めちゃくちゃいいのに、そういうとこ抜けてるよな」

「……呆れた?」

「バカ。むしろ安心してんだよ。オマエもうっかりすること普通にあんだなって」

 ふっと笑って、妻のもとへと歩み寄る。

 いまだ立ち尽くす彼女に向かって、十夜はこんな提案をした。

「今から買いに行くか? 行くなら車出すけど」

 今の時間なら、行きつけのドラッグストアもまだ開いている。洗剤を買って帰るくらいなら、急がなくてもじゅうぶん間に合うだろう。

 妻と家庭を気遣う夫の提案。いたって普通の。

 しかし、その提案を、妻は全力で拒んだ。

「えっ? い、いい! 大丈夫! 食洗機用の洗剤はあるから、今夜は食洗機にお世話になる……!」

「ああ? 食洗機はなんか信用できねーっつって、いつも手で洗ってんだろ。なんなら、洗剤買ってきてオレが洗うし」

「と、十夜にそんなことさせられないよ! 今日、せっかく早く帰れたのに……」

 ぶんぶんと、音が鳴りそうなほどかぶりを振る。その勢いで、数ヶ月間しまったままとなっていた食洗機用の洗剤を取り出し、まごまごしながらビルトイン食洗機を起動した。

 夫には、家でゆっくり休んでいてほしい。それが真意だ。そこに嘘や偽りなどはまったくない。

 だが、怜の本心は、実は別のところにあったのだ。それには、十夜も気づいている。

「なあ、レイ」

「……な、なに?」

「いいかげん公表しねぇ? オレたちが結婚してること」

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