オーブンの甲高い終了音が部屋じゅうに響く。ミトンを装着してドアを開ければ、チーズの香り立つグラタンがぐらぐらと煮立っていた。視覚と嗅覚の両方を蕩かすホワイトソース。実に蠱惑的で小憎らしい。

 見た目は悪くない。

 とりあえず安堵した怜は、それらをテーブルの上に並べた。

「美味そうじゃん」

 そこへ、同じくパーカーに着替えた十夜がやって来た。だぼっとした装いが、痩身をより際立たせている。

「もう食べられるよ。食べる?」

「ああ。飲みモン出すわ。何がいい?」

「え、いいよ。十夜は座ってて」

「いやいや、そんくらいオレやるし。で、何がいい?」

 制そうとした十夜に制されて、なかば強引に椅子へと座らされてしまった怜。「じゃあウーロン茶」と答えるも、カウンターの上に置いたままとなっているシーザーサラダが気にかかる。

 しかし、テーブルに戻ってきた十夜の手には、飲み物と一緒にサラダを載せたトレーが握られていた。

「ん」

「あ、ありがとう」

 サラダをそれぞれのグラタン皿の横に並べ、怜にはウーロン茶、そして自分にはビールを用意して、十夜は腰を落ち着けた。

 なんとなく乾杯し、両手を合わせてフォークを取る。熱々のグラタンを口に入れれば、得も言われぬ至福感が十夜の胸中を埋め尽くした。

「ヤバ。んま」

「ほんと? よかった」

「店で食うよか断然美味い」

 十夜は、まるでリスが頬袋に餌を詰めるかのごとく、次から次へもきゅもきゅと頬張った。御年二十九。とてもアラサーとは思えぬ食べっぷり。この細い体のいったいどこに入っているというのか。

 6つ年上の彼に愛らしさをおぼえた怜は、照れた表情に嬉しさを滲ませ、目を細めた。

「なに。食わねぇの?」

「ううん、食べるよ。熱いから、冷めるの待ってる」

「あー、オマエ猫舌だもんな」

 淡泊で素っ気ない。だが、そこには、思いやりと愛情が幾重にもかさなっているのだ。

 七年分の。

「ニャンって鳴いてみ?」

「なんで。やだよ」

「んだよ、ベッドの中じゃあんなに素直で可愛——いってぇ!! 蹴んなよ足折れんだろっ!?」

「十夜が変なこと言うからだろっ!!」

 出会った当時は思いもしなかった。想像すらしていなかった。

 まさか結婚することになるなんて。

 夫婦に、なるなんて。

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